X0.10月上旬の活動記録
 1日は午前中に自宅で仕事を片づけながら勝浦警察署に電話を入れると、デジカメが届けられた事は無かったようだ。長野五輪の頃には無くした物が翌日には出て来る奇跡の国として世界のマスコミが日本を紹介していた記憶があるが、最近の日本人は落とし物を着服してしまうほどモラルが低下しているのだと嘆き、勝浦の撮影データが失われたことを悲しみながら、午後から同じカメラを探しに店巡りをする。モデルチェンジが有って同じ物が無く、水中写真用のハウジングが一度も使わないまま、不要品に成ってしまうもったいなさを感じた。
 
 2日は午前中に所要を済ませ、午後から恒例の
定点写真を撮影して回る。市役所には70周年の看板が立てられていた。天気予報は曇りと言っていたのに結構良く晴れている。登山にでも行っていれば良かったかなと思いながら買い物をして帰宅し、夜遅くに約1週間ぶりのHP更新作業を行った。
 
 3日は台風19号の接近で天気が悪くなると予想される中、過去の資料の整理作業と事務所の整理整頓を行い、途中で市役所に行き資料等の入手をしてくる。帰りがけに本屋に立ち寄り、夕方からは読書の秋とばかり、購入してきた「天地明察」を読み始めた。
 
 4日は前日に続き内業を続け、午後から市役所に行く。アクアラインマラソンに間に合わせるために市役所近くの道路工事がハイピッチで進んでいるが、良い物を作ってもらいたいと思う。庁内で幾つかの打合せを済ませて帰宅した。
 
 5日は前夜から泊まりに来ていた友人と早朝に出かけて、富士山の近くにある
十二ヶ岳に登山する。この日はスポーツの秋である。残念ながら台風一過の快晴を味わうことが出来なかった。道志みちを通って帰宅し、MOPで夕食を取って解散した。
 
 6日は登山記録の整理を終えてからのんびりと読書に耽る。夕方になり買い物に出かけたついでに新港に行き、護衛艦『みょうこう』が接岸されているものを見てきた。
 
 7日は朝から雨が振る中、袖ケ浦市の市議会議員選挙が告示された。
 
 24名の定員に対し30名が立候補する厳しい選挙になりそうで、知人の元に激励のために訪れる。その後、馬来田まで移動しコスモスフェスティバルと共に「万葉の歌碑除幕式」を見学に行く。
 昼には雨もすっかりあがり、時折日差しが指す中で、馬来田には多くの人が訪れていた。臨時駐車場になっている富来田中学校に車を停め、会場まで歩き、若干遅れて除幕式の式典会場に着く。来賓として来たつもりも無いので遠くから見守っていたが、司会より紹介を受けてしまい、早退するのが気恥ずかしかった。
 帰り道に、また袖ケ浦を回り、某候補者の事務所を訪ね、袖ケ浦駅前で掲示看板の写真等を撮影して帰宅する。HPの更新を行おうと考えていたら雑用が入り、手を出すことが出来なかった。
 
 8日は木更津港に寄港している護衛艦『みょうこう』による観艦式の事前公開に参加するため、朝6時半に迎えに来ていただいた私の後援会長と共に新港に移動する。既に多くの車が集まっており、乗船した艦内では多くの知った顔に合うことも出来た。
 
 富士山もうっすらと見える快晴の中、相模湾に集結した艦艇や航空機による展示を満喫し、木更津港に帰ってきたときには日も沈む時間となっていた。とても満足できる内容で、得難い経験であったが、12時間を超える乗船時間は、非常に読書がすすむ物となった。
 
 9日は、またも1週間ほど溜めてしまったHPの更新作業を午前中に行い、午後から市役所に出かけ地元の要望の打合せを行う。
 その後、勝浦まで走り、警察署の依頼で盗難届の文章の一部修正を行う。無くしたカメラが出てきたわけでもないのに2分の事務処理で済むことに往復約3時間を費やす事が勿体なく、圏央道の(仮)市原南ICの工事状況を見て、勝浦タンタンメンを食べて帰ってきた。
 
 10日は午前中に市役所で各種の打合せを行った後、午後から東京に出かけ、防災拠点や自衛隊基地利用について勉強会をしてくる。森田千葉県知事が東京の東側を木更津と明言してくれないため、実務が進んでいないことが残念でならない。
 
 
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2012年10月中旬の記録