20.7月中旬の活動記録
 11日は朝から事務所で人口データの整理をしていたが、気温が高くなってきたので場所を議会の会派室に移し、夕方まで作業を続ける。成果は最近思う事に連載する。市役所から農協岩根支店へ回り、理事として職員とともに増資運動を行って夜8時過ぎに帰宅した。
 
 12日は午前中にHPの更新を行い、昼から熊野神社祭礼の役員としての所要を済ませながら市役所に向かう。9月の議会質問に向けた打合せを行い、帰宅後は家の雑務を片づけた。
 
 13日は江川熊野神社の祭礼の準備を朝から進めていると、父がビューホテルで開催される祝賀会に送ってくれと言う。ではその帰りに八剱八幡様の大祭に寄ろうと行程を調べ、大和町で勇壮な御輿を見る。
 
 祭礼の飲み物などの手配を済ませて帰宅し、市内で買い物をし、真舟小学校の状況を近くで見ながら富津公民館に向かう。前衆議院議員の中後氏より「房総政治塾」を始めることと、その初回講師が竹田恒泰氏という案内が届いたためである。講師の著作が好きだった事もあり、中後氏が何を発言するのかも気になりつつ、上総湊に到着した。
 元は皇族の竹田宮である講師の日本人に対する「自然観」「死生観」「歴史観」という視点で日本人としてどうあるべきかという話は素晴らしく、もう数冊読んでみようと思った。主催者の中後氏がこれから政治的に何をしようとしているのか、その真意については、よく解らなかった。
 
 14日は朝7時前に神社に集まり、氏子総出で草刈清掃を行った後、役員で仮宮の建築を始める。毎年の事では有るが、今年も手順に戸惑いながら作業をする。午前中に仕事を終え、午後は自宅の風通しの良い部屋で本を読む。パソコンで都市対抗の結果を見ると、マジックは初戦に勝ったようで嬉しくなる。
 夜は祭礼の役員から呼び出しがあり、これからの地域の祭りのあり方について遅くまで議論をした。
 
 15日は海の日で公務がなかったが道路の渋滞が朝からラジオで伝えられていたので、午前中に所要を済ませ、午後から袖ケ浦図書館に行き先日の講師である竹田恒泰氏の著書を夕方まで読んでいた。
 
 16日は午前中にHPの更新を終えた後、市役所に行き、午後1時半から開催される庁舎整備検討委員会を傍聴する。新たに新庁舎に統合することに成った組織や、今後の財政計画などの質問が行われていたが、そこは明確にすべき事項であると私も思った。
 市役所で打合せを終えて帰宅し、お茶を大量に購入して7時に江川熊野神社に向かい、お囃子の練習をサポートする。今夜が練習の初日なので、途中でゴミ袋や箒などを購入しに出かけるなど、雑用を担当した。移転事業で周辺に住宅が無くなった神社はそれだけが月夜に浮かんでいた。
 
 17日は10時から庁舎整備特別委員会の幹事会が開催され、特別委員会の副委員長として出席する。19日の委員会に追加配布する資料の説明が行われる。内容は事業手法についての検討報告書で、PFIとした理由や財政支出計画なども示されていた。今回質問する議員にとっては、回答を配布されるようなものだなと思いながら説明を聞いた。
 昼食を執った後、港まつり資金部会の委員として清川方面に協賛金の集金に出かけ、次に熊野神社祭礼役員として警察や八剱八幡神社と打合せを行い、更に千代嵐後援会の世話役として資料引継と打合せを行い、夜はまた祭礼の段取りで江川日枝神社の役員に相談に行ったりと、慌ただしく過ごしている内に夜9時に成ってしまった。
 
 18日は気温も少し涼しいので、仕事の合間に自転車で町内を回り、祭礼の奉賛金を集金する。多くの世帯が平日でも自宅に誰か居るので、防犯上の効果も高そうだと思う。夕方は街中で会合があったので祭礼の練習は欠席した。
 
 19日は10時から庁舎整備特別委員会が開催され、5人の議員が質問を行った。良く整理された質問も多く、翌週の月曜日である22日から開始されるパブリックコメントに反映される事を願うばかりである。昼食後は月末に迫った会派視察の行程について旅行会社と打合せを行い、午後3時からは農業委員会の総会に出席する。県の担当者の判断と農業委員会の総意が違うという案件も出るなど、今回も白熱した議論が続くことになった。帰宅後、犬の散歩を終えてお囃子の練習に立ち会った。
 
 20日は朝5時半に西山の御堂に出かけ、豪雨水害が報道される山形に旅立つ出羽三山講の人々を無事を祈りながら見送る。
 9時には岩根西公民館に行き住民会議が主催する環境浄化作業に参加し有害ビラをはがす予定であったが1枚も見つからず、散乱ゴミの回収を行う。煙草のフィルターの多さは相変わらずである。翌日は投票所になる公民館の前にゴミが集積されていた。
 昼前に自宅に帰り、HPの更新を行って、午後2時半から中里神明神社の祭礼に臨席する。気温が涼しいので獅子の巡回にあたり熱中症を心配しなくて済むことが良い。神事の後は地区の役員と杯を交わしながら過去の地域の歴史について、色々なことを教えていただき、日没後に帰宅した。
 
 
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2013年7月下旬の記録