21.7月下旬の活動記録
 21日は参議院議員選挙の投票日である。かずさマジックの3回戦も有るのだが試合開始が18時で、20時20分に開票立会人として木更津市民体育館に入ることを考えると、今回も見に行けず、残念である。
 日中はのんびり新聞を読み、夕方に犬の散歩を終え、風呂に入ってから日没後の投票所に行く。そのまま外食を済ませ、体育館に入って準備中の開票所の撮影を済ませたら立会人控え室に入り、他9人の立会人とともに諸注意の説明を聞く。
 21時10分より開票が始まり、この日の投票率が配布された。木更津市内の投票率は49.32%と低く、その1/4以上となる12.50%は期日前投票の値である事にも驚かされた。広報無線が煩いという意見も少数から出されているようだが、投票意識を高めているのは間違えない。
 更に投票所別の投票率を見ると、意外な結果で驚かされた。
投票率 Best 7
順位 投票所名 地区 有権者数(人) 投票率(%)
1 波岡公民館 波岡 4,177 58.89
2 矢那高倉集会所 鎌足 389 56.30
3 地蔵堂公会堂 富来田 267 55.43
4 富来田公民館 富来田 2,745 54.72
5 畑沢公民館 波岡 4,995 54.69
6 真舟集会所 木更津 3,387 54.53
7 八幡台公民館 波岡 7,158 53.02
投票率 Worst 7
順位 投票所名 地区 有権者数(人) 投票率(%)
7 桜井公民館 木更津 2,936 45.78
6 請西小学校体育館 木更津 5,480 45.31
5 金田公民館 金田 1,659 45.03
4 牛込区集会所 金田 812 44.58
3 中郷公民館 中郷 2,140 43.79
2 請西南公園集会所 木更津 4,875 41.95
1 高須集会所 金田 850 40.94
 今回の選挙から加わった、新興住宅地の請西南公園が最下位と思っていたが、金田や中郷のような郊外部の投票率が低く、その一方で最多の有権者を持つ八幡台の投票率が高い。投票所の大小や都市農村の区分に係わらず、傾向が見えない投票率分布となっていた。
 そんな分析を行っている内に開票結果が寄せられ始め、県選挙区の開票が終了したのは23時50分であった。5.16%を占める2,709の無効票の内、白紙が1,168、「誰も居ない」や「×」等の雑事や記号を書いた物が423、党名を記載した物が616で県選挙区の候補者以外の氏名を記載した物が446で有った。県選挙区以外の候補者名として比例選挙区の候補者名を書いている物が数多く、政党名の記載者とともに選挙制度を間違えているのだと思う。もっと簡単な制度にすればと思いながら日付が変わった後に、比例区の確定作業をしている体育館を引き払い、自宅で選挙特集のテレビ番組を見てから寝た。
 
 22日は朝から新聞を読み、HPを更新して市役所に向かう。市役所で打ち合わせと、資料作成を終えて自宅に帰り、航空自衛隊の盆踊り会場に向かう。かずさマジックは昨日も逆転勝ちしたようだが、今夜も行事が重なり応援に行けない事が歯がゆい気分である。
 航空自衛隊は来月1日から入間基地の支処となり、隊員も大幅に縮小となる。その最後を記念して隊のマークが入った升が用意されており、木更津基地が有った記念に一つ頂いてきた。支処になっても盆踊りは続けるという噂であるが、帰途と住民の交流のため、写真のゲートのように来年に期待したい。
 
 23日は公務がないので、午前中にTシャツに首タオルで事務所の片付けを行い、午後から銀行等の用事を済ませるため着替え、換気のため窓を開けたまま事務所を出る。雷の音は聞こえていたが雲が黒くないと安心していた所、千葉銀につく直前にゲリラ豪雨に直面する。車から降りることも出来ず、事務所が心配になり引き返す。前も良く見えないほどの大雨で、ゆっくり帰ったため窓際はずぶぬれ状態であった。それでも雨は早く通り過ぎ、午後7時からのお囃子の練習が終わる頃には雲の隙間から満月が見えていた。
 
 24日は昼間に行政視察の確認のため会派会議が予定されている。そこで少し早めに市役所に行き、資料の入手と整理を済ませる。昼食をとりながら会議を行う。拓大紅綾卒業の宮木議員と木更津総合(旧名中央)卒業の草刈議員が高校野球の結果を気にするが、残念ながら紅綾が敗退し準決勝の木更津対戦は行えなくなった。午後も会派室で少し作業を済ませた後、帰宅。祭礼の練習が休日なので、夜は読書などをして過ごした。
 
 25日は午前中にHPの更新を済ませ、市内で所用を済ませてから農協へ行き「木更津市農業振興協議会」のシンポジウムに参加する。
 
 米穀状況と青果物の動向について2名の講師から豊富なデータを元に説明を受ける。米の1人あたり消費量が減っている事は知っていたが、購入先にネット通販を選んでいる消費者が10%に達している事は驚きである。農業情勢として伊豆の国市で静岡県の就農支援としてミニトマトのハウス栽培が成功している事例などは、見てみたいと思った。
 シンポジウムの後は市内で祭礼の景品や飲み物などを引き取り、帰宅後はお囃子の練習に立ち会った。
 
 26日は朝から比較的涼しく、事務所で書類整理などを済ませ、午後から所要で市原に行く。木更津に帰ってきたのは深夜で、早寝をしたところ早朝の雷雨で目を覚まされることになった。
 
 27日は雷鳴で4時前に目が覚めたまま、祭礼の会計を整理し、6時から岩根西中学校に行き地域のラジオ体操開会式に参加する。雷雨は通り過ぎたが校庭は水溜まりで使用できず、体育館で青山先生をお迎えし、体操の後に運動の効能をお聞きする。
 体操が終了したら自宅に帰って自転車から車に乗り換え熊野神社に行きテントやお飾りの設営など、翌日の祭礼準備を役員12人で行う。お昼になり近くの食堂に移動して高校野球を観戦しながら定食を食べる。習志野の粘りに苦労しながら木更津総合が県大会を制した瞬間は皆で喜びを分かち合った。 
 午後からは本番での飲み物や、紅白餅等を受取に市内を回り、一通りの手配が午後4時半に終了する。直ぐさま自宅に着替えに帰り、車から自転車に乗り換え、岩根4丁目の睦会・若木会・子供会の共催によるふるさと夏祭りの前夜祭に参加する。
 芝生の緑が綺麗な児童公園で多くの子どもたちが遊ぶ中、カラオケや踊りの出し物を鑑賞し、地域の方々の話を伺う。法人会による芝生化事業の成功で、この公園には地元だけでなく、中里や江川など、遠くの子供も遊びに来ているようだ。公園はこうありたいと思う。
 日没後に会場を後にし、自宅に帰ると夕立が訪れ、気温が一気に下がる。翌日は涼しい気温の中で祭礼が行えるかと期待して床についた。
 
 28日は江川熊野神社の祭礼である。朝から日差しが強い。6時半に神社に集まり役員7人で八剱八幡様に行き獅子の清めを行っていただき、8時に熊野神社を出発し、江川の町内を獅子2頭で練り歩く。この獅子は神社の縁起によると、初代が大正6年の大津波で流され、その数年後に海軍航空隊の進出に伴う補償金で作られた2代目のようである。
 
 90年を超える獅子の歴史や歩いて坂戸神社まで行った事も驚くが、大正6年の大津波というものが気になって調べてみると1917年9月30日の台風による高潮被害の事で、東京や千葉県内を中心に、死者・行方不明者数1324人という被害規模を生じたようだ。室戸台風以降、国内で大規模な高潮被害は出ていないが、2005年にはアメリカでハリケーン・カトリーナの大被害なども生じており、地球温暖化の中で過去の災害を知ることは重要だと考えさせられる。
 獅子は町内を4時間掛けて回り、正午に神社に帰る。私は途中で同時に祭礼を行っている江川日枝神社にも顔を出し、熊野神社では最後の舞いに加わって祭礼は終了。境内で車座になり会食の後、仮宮やテントのの解体・片付け等を行い午後3時頃に帰宅した。流石に疲れ、昼寝を楽しんだ。
 
 29日は早朝から雷雨。最近雨が多いと思いながら祭礼の会計の整理や、このHPの更新を行い、所要で市内を回り、明後日からの視察に備え新書などを購入する。夜は友人と暑気払いを行い、祭礼からの日々から気持ちを切り替えた。
 
 30日は午前中に視察用の荷造りを終え、午後から農協の理事会に出席する。
議案9件と報告事項17件で、委員会も含めて4時間に及ぶ会議であった。57歳になると管理職から外れるという厳しい人事管理制度を定年延長の流れの中で見直す案件が有ったが、これによる人件費増加は大きくない用である。一度、農協の人事制度を市役所と比較するのも検討したいと思った。
 
 31日より会派の行政視察に出発するため9時に木更津駅に集合し、特急から新幹線を乗り継ぎ飯田線の豊川駅に降りる。狸の街から狐の街に来てしまったなぁ、等と言いながらお稲荷さんの参拝を済ませ、暑さで人影の少ない参道でお稲荷さん等の食事をしてから市役所に入り、視察の開始である。
1.愛知県豊川市
 市制施行 昭和18年6月1日
 人口 180,046人(平成25年4月1日現在)
 面積 160.79km2
 平成25年度一般会計予算額 546億1千万円
 財政力指数 0.872 (平成24年度)
 視察項目 シティセールス戦略プランについて
 自治体を積極的に売り込む、情報発信を行うという事を目的に、近年はシティプロモーション事業に取り組む街が多い。豊川市でも企画部企画政策課に担当部署を設け取り組みを開始している。「いなり寿司」で街おこしを目標にB-1グランプリに参戦し、3年前の
厚木全国大会に初出場して、今年は早くも念願の全国大会を開催するに至っている。なお、豊川市がプロモーションではなくセールスの言葉にしたのは隣接する豊橋市との差別化で深い意味は無いようだ。
 経済部局に観光対策の組織が残り、観光協会もそちらが主管するなど縦割りの解消には至って居らず、予算の拡充や調整権限も付与されていないなど、現在の所は理念先行型で、この秋のB-1グランプリ大会という巨大イベントが終了した後に取り組みが進むようである。そもそも目的の一つが、平成の大合併で吸収した周辺町村に同じ豊川市民だという意識を持って貰う事であり、それが企画政策課で取り組む遠因にも成っているようで、積極的にPRをする機関車のような機能を目指している物ではないようで、想像以上に静かな取り組みであった。
 何れにしろ、観光は担当部署が行うものという気持ちから、観光部局以外でも豊川を売り込もうという、職員の意識改革には繋がっているようで、木更津市でも座して待つような観光政策から、企業誘致までを視野に入れた政策まで一歩先に進むことの必要性は感じさせられた。
 視察終了後、豊川市の議会事務局に名鉄諏訪駅まで送って貰い、準急で名古屋に向かう。ホテルに入る前に熱田神宮に立ち寄り、蝉の声が降り注ぐ夕方の森の中を歩いて参拝する。都心にある鎮守の森の素晴らしさを改めて実感した。
 
 
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2013年8月上旬の記録