22.8月上旬の活動記録
 1日は朝8時10分の近鉄特急に乗り伊勢市を目指す。昨日とは打って変わり朝から小雨模様である。それでも9時31に到着した伊勢市駅は高曇りで、遷宮に合わせてかバスターミナルの屋根の白木も新しい木の香りを放っていた。式年遷宮の年の賑わいが駅前の気配からも伝わる外宮参道を歩いて伊勢市役所に向かい2日の視察を開始する。
2.三重県伊勢市
 市制施行 平成17年11月1日(宇治山田市は明治39年9月1日)
 人口 131,108人(平成25年3月31日現在)
 面積 208.53km2
 平成25年度一般会計予算額 484億2186万円
 財政力指数 0.64 (平成23年度)
 視察項目 景観計画及びおはらい町保全事業について
 伊勢市は平成21年度から景観保全団体となり景観計画を進めているが、その中に内宮おはらい町と二見町茶屋地区という2箇所の重点地区を設け、江戸時代の建築様式を踏襲した細部に渡る規定を設けている。 個人的には財産権に侵害ではと思うほど厳しい規制を始めた背景を、特に内宮おはらい町について聞くと、昔は栄えた門前町が市内電車や宇治橋前駐車場の整備により往来者が低迷する中で危機感を持った30歳から40歳の住民が『次の御遷宮までになんとかせないかん』という合い言葉で立ち上がり、内宮門前町再開発委員会を昭和54年に立ち上げ、80回を超える話し合いを行うとともに先進地視察や三重大学との研究を重ねた結果、古い建築を凍結保存するのではなく生活する場と新たに再生しながら古いまちなみを作っていく事となったのである。賛同しない人を除いた世帯で重点地区は設定されたため、境界は複雑に入り組んでいる。なお、赤福が建設した「おかげ横丁」は地区に隣接するが中には含まれていない。
 新しい景観を創造するために行政は資金貸付制度を儲け、15件が合計約3億円を利用したが返済不能などの事態には至っていない。なお、この原資は赤福の寄付金で、市中金利が安くなったこともあり平成21年9月30日をもって制度は終了している。建築行為に関しては、十分話し合った結果の制度なので、建築意匠は良く守られているようだ。最も罰則もなく是正措置等の指導も行われない、紳士協定のような位置づけであるが、地域で良く話し合って結論が出されるようだ。
 経済的な成果は絶大で、昭和54年に20万人だった来訪者は年々増加し、平成22年には441万人を数えるまでになり、今年は御遷宮で遙かに凌駕する値が出されると思われる。それに伴い、バブル崩壊後の地価下落の影響を受けることなく、近隣商業地が半額以下に下落する中で横這いを続けている。もちろん、そのため空き店舗なども殆ど無い。この成功に触発されたのか、市内でも河崎地区等で重点地区に指定する事を希望する動きが住民の中より上がり、行政はそれを積極的に進めるのではなくサポートする立場で意識の高い地区に拡大を図っている。
 市役所で説明を聞いた後、現地視察は職員を伴わずに直接向かうことにしたが、その前に市役所に近い外宮の参拝と昼食を済ませた。

百五銀行の支店

ファミリーマート

陸屋根のビルも前面を化粧

ともかく人が居ました
 市営駐車場から宇治橋までの800mを歩きたいところでは有ったが、短くしろとの要望もあり「おかげ横丁」横の参宮会館より歩き始める。実は個人的には3年間にも訪れているが、その時より賑わいは多くなり、店舗数も増えているように感じられた。コンビニの看板に至るまで色調を抑え、街並みの統一を図っている姿は流石で住民意識の高さを垣間見るにつけ、木更津との差を痛感せざるを得ない。市内でも伊勢神宮から離れて人通りが少なそうな二見や河崎などの状況も気になるところではあるが、それは別途個人的に見る事にして、翌日の移動が楽な松阪まで移動して宿泊する。伊勢では式年遷宮に伴う混雑で宿が確保できなかったと言う事情もある。
 せっかく松阪まで移動したのだからと、市役所に立ち寄り借金時計を見学する。国のそれは増え続けているが、松阪は見る見る減っていたが、それでも17万人の市にはまだ巨額に思われた。
 
 2日は前日に早く寝たので早朝に目が覚めた。外は良く晴れているので城跡に散歩に行く。城下町の美しい街並みは心が洗われる。この日の電車は朝8時37分の紀勢本線なので時間にゆとりが有り、松阪市民に混ざってラジオ体操をしてきた。ホテルに帰って朝食を取り松阪を後にする。
 各駅列車が鈴鹿の山に近づき、終点が亀山である。終点が亀山とは久留里線のようだと思いながら駅前に迎えに来てくれた議会事務局の車に乗り、最終日の視察を開始する。
3.三重県亀山市
 市制施行 平成17年1月11日(旧亀山は昭和29年10月1日)
 人口 49,661人(平成25年4月1日現在)
 面積 190.91km2
 平成25年度一般会計予算額 484億2186万円
 財政力指数 1.120 (平成23年度)
 視察項目 債権対策及び行政サービスの制限について
 亀山市では債権対策として、市税等の滞納者に対する行政サービスの制限と、私債権の管理に関する条例という、木更津から見ると踏み込んだ対応を行っている。この制定の経緯や運営の手法について聞き取りに伺ったのであるが、研修には亀山市の櫻井議長が最後まで同席していただき、議会の状況についても説明いただけたので大変参考になった。
 滞納者に対する行政サービスの制限は若手職員14名のワーキンググループの検討を経て制定されたもので、議会や市民からの意見でない。同様に私債権の回収対策を義務づけた条例も滞納判定委員会の弁護士から提案があったという事で、改革的な行政運営は三重県の特徴なのかも知れない。
 回収には当初、国税庁OBを臨時雇用していたが、県の回収機構に出向していた職員が帰ってきたことで現在は職員だけで対応しているようだ。債権情報のシステムによる一元化が出来ていないため、各担当課による調整会議を行うなど、運用上の改善点は想定できるが、市民と大きなトラブルになっていないなど、告知などもしっかり行っている事が解る。ただ、市営住宅の退去処分のその後など、気になる点もある。いずれにしろ、しっかり準備をすれば、市民に対し毅然とした姿勢を示し、内部的にも債権回収対策の強化を条例化することが難しいことではないことを理解できたことは収穫であった。
 亀山の視察を終え、名物の焼きうどんを食べて駅に着き、観光案内所で亀山に日本武尊の御陵が有ることを知る。関西本線の快速に乗りながら、歴史的にも縁の深い街だったなと考えていた。名古屋で新幹線のぞみに乗り、品川から高速バスに乗り変えて夕方の木更津に帰ってきた。
 
 3日は視察の疲れを癒すように午前中はゴロゴロと読書を楽しみ、午後からは近所で所要を済ませ、夕方には溜まっていた事務処理をした。
 
 4日も特に公務のない日曜日で、君津市民祭りなどを見に行こうかと思っていたが、視察の整理をせねばとパソコンに向かい、HPの更新を行うが、途中途中で他の用事が入り、完了は深夜になっていた
 
 5日は10時から議員会主催による水道企業会計の研修会に出席し、その後庁舎整備特別委員会の正副委員長で打合せを行い、午後からは会派の視察で入手した資料を木更津市の担当部局に貸与して回り、2時からは市役所4階会議室で東京大学工学部都市工学科の4年生が研究テーマとした「木更津市の今を見つめ、将来を描く」と題した報告を聞く。
 さすが東大と思わせる詳細な調査項目(例えば駅西口には居酒屋が1kuに60軒も有る)に驚かされる事も有ったが、高齢化社会に対応して各地域で集約を図るべきという提案や、金田に水路を引き込むべきという提案には目新しさを感じなかった。個人的には岩根にも触れて欲しかった。
 午後4時に退庁し、市内で定点写真を撮影したり、地域の役員と話していると農協岩根支店から電話が入り、5時半からの検査部長会議に地元理事として参加する。中旬から米の検査が始まることに合わせてであるが、理事という立場だけでなく農業委員としても一度見ようと思った。
 
 6日は午前中に自宅で事務仕事を片づけ、午後から昨日の続きとなる定点写真を撮影して回り、3時から新港の野球場で議会野球部の練習を行い、帰宅して犬の散歩をしてから水シャワーを浴び、夜はビューホテルで開催されるJCの納涼例会に出席する。
 
 年に1度の現役とOBの交流の場として、また次年度理事長予定者の披露の場として、今年は例年以上に多くの人が集まっていた。私も久しぶりになる人達と夜遅くまで交流を深めさせていただいた。
 
 7日は朝から良く晴れ、気温がどんどん高くなる中、2週間後に迫った議会質問に向けた準備や、HPの更新を行う。明日も天気が良さそうで、幸い公務が入っていないので昼から車にパソコンを積み込み山梨県の一ノ瀬高原へ向かい、民宿の部屋で議会質問原稿を作成した。
 
 8日は東京都の水道水源である
笠取山の登山を終え、帰宅している途中の首都高の代々木PAを過ぎたところで携帯に緊急地震速報が届いた。最初は南海トラフかと緊張したが周囲の車は路肩に寄せる事なく渋滞した道をゆっくり流れていた。直ぐにワンセグでNHKを見たが甲子園は何事もなく野球をやっており震源地が奈良と表示され直ぐに誤報だと解って良かったが、本物であったらどうなっていただろうか。
 
 9日は午前中に市内で所要を済ませてから木更津駅に行き、翌日の甲子園の宿と切符を確保しようとするが、非常に混んでおり、何とか神戸の宿を確保して市役所に行く。
 午後からは経済環境常任委員会が継続審議となっている陳情の調査で木更津市の水道水源である君津市の産業廃棄物処分場に行き、その経緯や今後の計画を聞き、水処理施設等を視察する。処分場としては高度な対策を講じていることは感じたが、詳細については甲子園から帰ってから記載する。
 
 10日は早朝からHPの更新を行い、アクアラインバスで品川に渡る。品川駅の新幹線ホームは帰省ラッシュで大変な混雑である。ひかり号で新神戸まで移動し、地下鉄三宮の駅から懐かしい街の散策を始める。
 三宮センター街を抜け、元町の南京街で小休止を取り、夕方のメリケンパークで阪神大震災のメモリアルパークを見て、東遊園地の「希望の灯り」に至る。震災から18年経ち、記憶を記録に留めようとする神戸市の取り組みは東日本大震災へ受け継がれるだろうと思う。
 ホテルに荷物を置いた後、滝口議長を始めとする木更津市議団に合流し、夜の神戸で明日の甲子園で木更津総合高校が勝利する事を願った。
 
 
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2013年8月中旬の記録