29.10月中旬の活動記録
 11日は午前中に自宅で各種の手続きを行い、午後から市役所や県土木事務所に行き来月2日の矢那川彼岸花活動の手続き等を済ませる。その後買い物に金田のホームセンターに行くと夕焼けが綺麗だったのでアクアラインを見るために海岸へ回る。ここに至る道の解り難さや駐車場不足が難点だと考えた。
 
 12日は午前中に仕事を片付け、昼に市内で所要を済ませてから商工会議所青年部の主催する『だっぺ村』に顔を出すと、既に多くの職員も休日を利用して賑わいをかもし出している。私も木更津バルを楽しみに街中に繰り出し、2冊のチケットを一晩で使い尽くすように9軒の店を巡ってしまった。
 
 13日は前日の強行で朝寝坊して午前中はゆっくり新聞を読んだりテレビを見たりして過ごす。赤い橋の音楽祭が開催される街中の様子を見に行こうかと思ったが、知人に捕まると飲まされそうだから自宅で視察の準備を始める。夜には明日も天気がよさそうなので山へ向かった。
 
 14日は午前中に
鶏冠山へ登り、体力的に余裕があったので八王子城址にも立ち寄ってみる。日本百名城にも選ばれた史跡で、午後2時を回った時間であったが駐車場には多くの車が停まり、駐車場から標高差200m強の本丸を目指して多くの観光客が登っていた。ボランティアガイドも多く、環境の良さに感心した。
 
 15日は台風26号が接近する中、翌日午前中に予定されていた行政視察の日程をどうするか協議するため市役所に行く。松江市役所は翌日午後に予定されていた視察を明後日の午前中に変更することも可能だといい、旅行会社が飛行機の変更も可能だというので、10:45に羽田を飛び立つ飛行機を16:05に変更し関連する諸日程の変更と委員への周知を行った。午後に自宅に帰りHPの更新を行っているうちに台風が接近し風雨が強くなってきた。
 市役所や消防団が待機しているという情報を得て、私は自宅事務所で台風情報を聞いていると、君津市は小糸川が氾濫危険水位を超えたため、午前3時に小糸地区のほぼ全域にあたる8,840人に避難指示を出した。これは尋常ではないと考え、まず仮眠をとることにした。
 
 16日は2時間も寝ずに目を覚まし、風雨の強さに外を見ると薄闇の中、庭が一面水没して隣の田んぼや前面の道路と同じ高さになっている。事務所の階下で飼っている犬を2階に避難させていると、木更津市でも矢那川と小櫃川流域の17,649人に対し、午前5時20分避難勧告を出したことをテレビが伝えてきた。私の住む江川は対象範囲ではなかったが、小櫃川の堤防決壊が生じると大変な事になると緊張し、テレビでは午前6時には雨雲が通過すると予測していることに望みを託し続ける。
 台風の速度が速かったことも幸いし、午前7時には雨も上がり、しばらくして青空も見え始めてきた。風は強かったが8:25には避難勧告を解除するメールも届き一安心である。庭の水位が下がり、車が出せるようになった9:30より状況を見に行こうと街中方向に向かうと開通したばかりの中野畑沢線は深く水没していた。車を切り返し、先に小櫃川を見に行こうとすると久津間地先でも深く水没。エンジンが止まらないことを祈りながら、少しでも浅いところを伝わり金木橋までたどり着く。橋の金田側に車を停めて川の様子を見に行くと、堤防天端まであと少しだった。
 
 紙一重で救われたな、と思いながら金田を抜け国道16号線に出てみると鉄道が止まっているためか登り方向は大渋滞である。矢那川が氾濫して水没したという噂が流れた一番街商店街では店の清掃や濡れた商品を外に出すのに急がしそうであった。帰りのアジサイ通りも多くの場所で冠水が続いていたが、アクアラインも11時に通行止めが解除され、視察に出ても支障は無い状況になってきたか、と断腸の思いで荷物をまとめ、午後2時に木更津駅に行き、この日の正午現在の被害情報のメモを読みながらアクアラインバスで羽田に渡った。
 羽田空港は意外に混乱の気配も無く、前日に変更した便で定刻通り出雲空港に着く頃には日没を迎える。この日は松江市のホテルで寝るだけなので、隠岐の魚を摘みに島根県の日本酒を少々飲んで、寝不足を取り返すように深い眠りについた。
 
 17日は朝6時半に目覚めシャワーを浴び、心地よく晴れた松江の街で早朝の散歩を楽しむ。松江城は開門前なのでお堀端まで歩くが木更津のように旧市街地に駐車場と成った空き地が無い事にとても好感が持てる。宿に帰って朝食を取り、8時半に迎えに来たタクシーで松江市役所に向かう。
 松江市の視察は、本来なら昨日午後の予定であったものが、台風接近により本日の午前に変更していただいたものである。松江市の計らいに感謝しながら視察を開始する。
1.島根県松江市
 市制施行 平成17年3月31日(旧松江市は明治22年4月1日)
 人口 206,519人(平成25年8月1日現在)
 面積 573.00km2
 平成25年度一般会計予算額 968億31百万円
 財政力指数 0.55 (平成23年度)
 視察項目 通称:空き家管理条例について
 正式な視察項目は『松江市空き家を生かした魅力あるまちづくり及びまちなか居住促進の推進に関する条例』と長いのであるが、松江市民にも通りやすいように通称名で呼ぶらしい。この正式名称に示すように条例の目的は@空き家の適正な管理及び活用促進、Aまちなか居住促進、といった2つの目的を達する事を目的としている。そのため@の対応を建築指導課で、Aの対応を都市計画課で担当している。
 昨年度に問題となった空き家は52件有ったが、事前に「お願い文」の郵送により持ち主が解体処理を行うなど対応がなされ、条例による指導件数は2件だけである。その先の勧告・措置命令・代執行に至った事例はまだ無い。条例制定後は自治会による調査が行われるなど市民意識も変わってきたようだ。
 松江市の個性的な点は、空き家を貴重な財産と考え、松江駅や城を中心とした約4haの「まちなか」地区とそれ以外で制度の有無や補助率が違うなど、政策に濃淡をつけて居住促進につなげようとしている事である。具体的にはA:若年者まちなか住宅家賃助成事業補助金交付制度(まちなかのみ)、B:中古木造住宅取得等支援事業事業補助金交付制度(取得した中古住宅の改修及び建て替えの補助)、C:戸建賃貸住宅改修支援事業補助金交付制度(個人用の住宅を賃貸するため改修する補助)、D:まちなか住宅団地整備計画の認定制度と補助金交付(まちなかのみ)の4制度を運用しており、Bの人気が特に高いようだ。予算規模は4事業合計で約32百万円で、その内約24百万円がBの事業に充てられている。これらの制度により老朽住宅が流通に乗り、撤去や改善が行われ、居住が進むのなら素晴らしい案だと感心した。
 条例の制定の背景として、毎年約8百件づつ空き家が増え、住民や議会から苦情が集まっていたという事が有ったというが、それは木更津でも同じである。昨年度中に松江市をはじめ足立区や大仙市など9の先進自治体が国交省に呼ばれて空き家対策を話し合ったようだが、そのようなメンバーに木更津市が常時入るような先進自治体を目指したいものであると説明を聞きながら考えていた。
 細部について聞きたいことも多くあったのであるが、この日は県境を越えた三次市の視察が午後に予定されているので、後ろ髪を惹かれるように質疑を終了し、本年3月30日に開通した松江自動車道に乗り、途中の「道の駅たかの」で簡単な昼食取り、三次市水道局には予定された午後1時丁度に到着した。
 
2.広島県三次市
 市制施行 平成16年4月1日(旧三次市は昭和29年3月31日)
 人口 56,234人(平成25年9月1日現在)
 面積 778.19km2
 平成25年度一般会計予算額 383億5千万円
 財政力指数 0.33 (平成23年度)
 視察項目 水道事業の第三者委託について
 三次市は水道法の改正が有った平成14年に第三者委託を日本で最初に実施した市で、既に10年を超える経験を積んでいる唯一の市である。長期間民間業者に委ね続ける事の弊害や改善点は生じてこないものかと思って今回の視察に加えた自治体である。なお、三次市は新庁舎の建設中で各部署が平成の大合併を行った旧町村役場に分散され、対応する三次市議会事務局は約15km離れた布野支所から駆けつけた。恐縮しながら視察を始めた。
 三次市の委託会社は潟Wャパンウォーターで、木更津市が委託する潟Eォーターエージェンシーの子会社にあたる。人口は木更津市の半分以下であるが浄水場の数は4.8倍、配水地も約3.4倍と多いため委託費用は木更津より若干安い程度である。しかし、これは長期委託の結果として高くなったのではなく、平成の大合併による簡易水道を数多く編入した結果であり、当初の上水道部分は最初の安価な契約から特に謙虚な変化は生じていないようだ。
 管の補修や漏水対策は市の職員が実施しており、この体制は今後も続けるという事であるが、施設運転のノウハウはほぼ失われ、仮に委託業者が変更になる場合は業者間の引継ぎで対応してもらわねばならない状況にあるようだ。三次市でもその点の問題意識は持っているとの事である。
 委託前は水道事業担当職員が15人であったが、委託後に合併を経ても11人であり、人件費の削減による効果は直営の頃に比べれると4割以上の削減だということであり、今後の委託見直しは特に考えていないという事である。なお、質疑の中で木更津市で問題となっている大手需要者の井戸水使用の有無を聞いたが、三次市ではそのような事例は無いようだ。原因は木更津市より3割程度安い水道料金のためで、木更津でも大手の水道料金を見直すことで水道への回帰が図れるのかもしれない。
 なお、水道の視察をしている日に木更津市では近隣四市と水道事業団の業務統合に向けた調印が行われていた。その巨大組織の業務をどの様に民間と市役所で分担するかが今後の課題になると考え、話し合いながら再び県境を越えて出雲市に向かい、時間が若干あったので出雲ドームを見学してから市役所に近いホテルに宿泊した。1日に2箇所の視察は結構疲れ、夜には一人で駅前にある温泉銭湯で足を伸ばした。
 
 18日は前日よりゆっくりとホテルのロビーに集合し、歩いて市役所に向かった。出雲市役所も平成の大合併によって手狭になったので新庁舎を建設し4年前に開庁したようだ。延べ床面積は24,868m2で日本建築学会作品選集に選ばれている。
3.島根県出雲市
 市制施行 平成17年3月22日(旧出雲市は昭和16年11月3日)
 人口 174,755人(平成25年8月1日現在)
 面積 624.13km2
 平成25年度一般会計予算額 729億3千万円
 財政力指数 0.48 (平成23年度)
 視察項目 出雲市公共事業等景観形成指針について
 出雲市は平成18年度から景観行政団体となり景観基本条例を定めている。平成20年には景観計画を策定し、良好な景観の形成を目指している。特に5箇所の景観計画区域を設けて重点的に規制誘導を行っている他に3箇所で住民協定を締結し出雲らしい街並み形成を計っている。
 後者の事例は会派で見に行った伊勢市と同様に歴史ある街並みを、より深化させる手法としてデザインを統一している事に対し、前者の事例は普通の街並みの中で、取り組みが行われ建築行為や木竹の伐採などを届出行為に指定していたことが斬新と感じた。
 ユニークな点としては宍道湖の近くで防風林として松の生垣を形成している『築地松』の保存維持に助成を行ったり、視点場の重要性として高所から見下ろす展望地について計画の中に位置づけをしている事で、木更津でも中郷などの屋敷森の維持や太田山等の展望地の扱いを考えるべきと思った。
 公共事業の景観における位置づけについては予想外に統一されたコンセプトが無く、また予算措置の上で優遇をされているわけではないという事が逆に意外であった。考えてみると市役所の建築がモダンすぎるように思われたが、この地区では十分な緑地を確保しているので問題ないようだ。例えば全てを大社造にする等したら逆に気持ち悪いだろうか。
 市役所内での質疑の後、通常の住宅地である「リバーサイドタウン川西景観形成地域」の現地調査を行った。この場所は斐伊川の改修で集団移転した住宅地で、生垣の整備と勾配屋根が条件になっているようだ。観光地や商業地でもなく、なぜ此処がと思うが、生垣が全体に設けられた街並みは落ち着いて感じられた。
 
 出雲市の職員とは現場で別れ、帰りの飛行機までの時間を利用し、出雲大社の門前町である神角地区の建築協定の状況を見たり、60年に一度となる「平成の大遷宮」で平日なのに大いに賑わう出雲大社の参拝や、それに隣接する県立古代出雲歴史博物館の見学を行った。
 博物館では高さ48mの古代大社の複数案を見比べ、膨大に出土され国宝に指定された銅剣・銅鐸・銅矛に圧倒され、たたら製鉄の送風機模型の上で「地踏鞴を踏む」(じたたらを踏む:これが転訛して「地団駄を踏む」となる)を実践した。金鈴塚出土品が国宝になったら博物館は現状で良いのかと考える。
 出雲空港16:35の飛行機で羽田に飛び、アクアラインバスで木更津に帰りついたのは午後7時半を回っていた。この晩はアカデミア音楽コンクール実行委員会が開催される案内が届いていたが、流石に疲れて欠席させてもらった。
 
 19日は台風のほぼ徹夜の状況から濃厚な視察に出た疲れが出たのか、急激に気温が下がった為か解らないが疲れがどっと出て、昼間に地域の被災情報を見て回った後は、夕方に光明寺で開催される「お富与三郎の夕べ」は欠席させてもらい、のんびり本を読んでいた。
 
 20日は「かずさYOSAKOI木更津舞尊」が行われる日程であるが朝から雨である。その内に中止になったという情報も流れてきたので、所要を済ませるために君津に出かけ、夕方からHPの更新を行った。行政視察の報告は時間がかかる事を改めて確認した。
 
 
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2013年10月下旬の記録