雨乞岳 2,037m 山梨県北杜市
2013年09月22日登山:単独

 
 台風18号で何もできなかった3連休の翌週の3連休は全国的に天気が良い。個人的には真ん中の日曜日だけが休める日なので、遠出をすることが出来ず、いつものように近場の山梨県に行くことにした。
 
 21日の夜10時に布団を後ろに積んで中央高速を進み、日付が変わった頃に到着した双葉SAで仮眠を取る。翌朝6時半に周辺の騒がしさで目を覚ますと広大な駐車場は満車である。さすが連休中と思いながら手洗いを済ませて韮崎まで走り、ICを出ていつもの牛丼チェーンで朝食を取る。中秋の名月が甲斐駒に沈もうとしていた。
 今回の雨乞岳を選んだのは、20年ぶりに更新した北岳の登山地図にルートが記載されていた事と、年末年始には厳しいと思われる標高の山で有りながら登山口からの標高差が少ないからである。その登山口であるヴィレッジ白州に車を停め歩き始めたのは8:05であった。余り有名な山でもないのに暫くの間、整備された木製階段が続き道幅も広く歩きやすい。「#3」の道標からは普通の登山道になってきたと思う頃に先行する2人の登山者が見え始める。様子が違うと思いながら近づいてみると、マウンテンバイクを押し上げていた。山頂を超えて反対側にダウンヒルするという事であるが、昭文社の地図でも山頂までのコースタイムが3時間の道のりである。頑張って、と声を掛け先に進む。
 水場も過ぎ、道には倒木が目立つようになる頃にナギに出て南アルプスの展望が楽しめ始める。少し下に日向山の白い岩場も見え、遠くには富士山が霞む。近くの鋸岳が木立に隠れて見えにくい事が残念である。特に急な坂や岩場もないまま10:25に山頂に到着する。連休中なのに夫婦と思われる登山者が一組居るだけの静かな頂だった。東側には草原が開け、花の季節に来れば快適な所だと感じながら周辺を散策している内に夫婦は下山し、一人になってしまったので軽食を取りながらセルフタイマーで記念写真を撮る。
 20分ほど休んでから下山を開始すると山頂直下で自転車の2人に出会う。倒木でかなり疲労が溜まっているようなので激励の言葉を掛けてすれ違う。暫く順調に下っていくと水場の手前で夫婦を追い越して、一足先に「運が良ければ水場」の水にありつく。後は秋の恵であるキノコの写真等を撮影し、枝道になる遊歩道を経由して駐車場に帰り着いたのは12:37であった。
 
 林道を西に通り抜けて降り立ったところに有る白州塩沢温泉で汗を流し、奥籐竜王店でもり蕎麦を食べて甲府昭和ICから中央道に乗ると笹子トンネルから渋滞が起きていた。上野原で耐えきれずに高速を降り、本日2湯目の秋山温泉に入り、相模原経由で横浜に至り、家に帰ったのは夜10時を回っていた。充実した24時間が終わった。
浅草岳 1,586m 新潟県魚沼市
2013年09月30日登山:単独

 
 今年の4月23日に山頂目前で視界不良により撤退した浅草岳にリベンジしたいと考えていたところ、9月29日の出発が遅くなり東北まで一気に入れないことが決まった。そこで、東北の旅の最初に戦うことを決め、荷物や布団を車に詰め込み夜の関越道を飛ばし、入広瀬の道の駅に着いたのは日曜の23時55分であった。天の川も見える綺麗な空に感動してなかなか寝付けなかった。
 
 30日は朝6時前に目が覚める。睡眠時間は5時間程度だが疲れは感じない。ただ前夜の快晴が高曇りに変わっていることが残念であった。前日に小出のコンビニで購入した弁当を食べ、前回のホテル大自然館を過ぎ、雪のない道でネズミモチ平の登山口まで車を走らせる。5ヶ月前に比べると、登山口の標高も約400m程高くなっているので楽な登山に成るはずである。
 どんどん細くなり未舗装となる道に心配になる頃、登山口の大駐車場に到着し、着替えて出発したのは7:04であった。往路は前岳に直登するコースを選んだが、前回の雨乞岳とは比べもにならない急坂に、山は本来こういうものだよなと思いながら、標高を稼ぐ。次第に背後の守門岳も良く見えるようになる頃、前岳が近づいてくる。風は爽やかで紅葉はまだ少し早いと思う頃、分岐に到着するとそこからは綺麗に木道が整備されている。爽快な気分で残り少しを歩き、8:51に山頂に到着したが、鬼が面の断崖を見るため、田子倉登山口に向けて少しだけ下る。谷には雲が入り、壮観な風景であった。
 誰も居ないのでセルフで写真を撮り、田子倉湖を見下ろしながら小休止を取り、フェイスブックに投稿したりして9:14まで休憩し、春のルートである桜ゾネ登山口に向けて下山を開始する。
 前岳撤退したピークの手前にある細い尾根に、無理に進んでいると危険だったな、と前回の自分の判断を肯定し、5ヶ月ぶりの小ピークに立てば、下界の風景が大分違う。地形は一緒のはずなのに木立が深く、下山路では視界がない。あの時はここから3mぐらい高いところを滑り降りていたんだよな、と思いながら降りていると2人の登山者とすれ違った。皇太子の成婚記念に設置されたと書いてある「浅草の鐘」に辿り着いたときには、全く記憶が無く、冬季は撤去しているのだろうかと考えながら鐘を打った。
 ここからは林道歩きになり駐車場を目指すだけである。脇から流れ落ちる清水に喉を潤し、顔を洗って爽やかな気持ちになって10:51に車に帰り着いた。前回は小ピークまで登るのに4時間を要しているのに、今回は往復が4時間係っていない。あぁ夏山は快適だし楽だなと思いながら登山終了である。これから登る3人組と挨拶を交わし、駐車場を後にした。
 
 下山の途中に国民宿舎浅草荘に立ち寄ってみると日帰り温泉を営業していた。GWは休みだったのですよねと受付の娘に聞いてみると、そんなことは無いはずですがという。狐にバカされた思いのまま浅草岳温泉の湯で一汗長し、その後は東北へ向かうべく六十里越えの長い国道を会津に向かって進み、この夜は山形市に泊まった。
大潟富士 0m 秋田県大潟村
2013年10月01日登山:単独
(というかネタである)
 
 台風22号が近づいていると思い太平山の登山を諦めたら午後には快晴になった。悔しいので「日本一低い山」に来た。三角点の標高としては大阪の天保山が有名だが、標高は4.5mほど有る。こちらは山頂の標高が0mで全て海面下。右の写真の球が海面の位置である。
鶏冠山・黒川山 1,716m 山梨県甲州市
2013年10月14日登山:単独

 
 3連休は秋の高気圧に覆われて天気が良いという。土日は用事があって快晴の中でも旅に出れないが、せめて最終日でも、と考え山の計画を立てる。西沢渓谷から破風山の日帰りも考えたが、水曜日の出張が筋肉痛になりそうだと思い、比較的楽な今回の山にした。そうときまれば、前夜のうちにアクアラインを渡り、道の駅まきおかで車中泊をする。連休中だけあって、駐車場には20台以上の車が停まっていた。

 翌朝は日の出の明かりで目を覚ます。既に周辺の車は出発した後で、ずいぶんゆっくり寝てしまったものだと思う。洗面をすませ柳沢峠の市営駐車場に着くと既に多くの車が停まっていた。私も着替えて準備を終え8:01に出発し、東京都水道局が植林のため整備した快適な道を歩き始める。
 歩き始めて25分も経った頃、少し脇に入った所に有る展望台に着く。飛龍山から木賊山にかけての奥秩父の稜線が一望される風景に、この先も楽しめそうだと期待が踊る。
 昭和43年の植林票の残るような造成林の中を快適に進み、六本木峠、横手山峠を超えて黒川山[1,710m]には9:30に到着した。柳沢峠との標高差は僅かに230mだから疲れも溜まらない。まず三角点を確認し、次いで西側に有る見晴台に行くと雲が出始め遠望は効かない。
 見晴台から戻り、メインの鶏冠山へ向かい、このコースで唯一の岩場の上り下りを越えて、鶏冠神社には10:47に到着した。後ろの岩の上に立つと高度感も素晴らしく目前の大菩薩峯が鋭く聳えていた、しかしながら雲がより深くなり、最初の秩父連邦展望台が最も良い風景だったのか、とガッカリする。それでも山頂に集まっている数人の登山者と四方山の話をしながら遅めの朝食を取り、10:20より下山を開始する。黒川金山跡は特に何も無さそうなので、復路は往路をなぞり11:50に柳沢峠に帰り着いた。整備された道は高速歩行には楽である。
 
 このまま真っ直ぐ帰るには早すぎる時間なので、日本百名城の一つである八王子城[標高450m]に立ち寄っていく事にした。麓の駐車場から本丸まで標高差は200mを越える結構な登山で、気温が高いだけ鶏冠山より大汗を流して悲劇の城跡見学を済ませ、午後4時過ぎに昼食として八王子ラーメンを食べ、いこいの湯多摩境店で汗を流して保土ヶ谷バイパス経由で帰宅した。ラジオからは高速道路の酷い渋滞が聞こえていたが、裏道を使い続けたのでストレスは感じなかった。
稲含山 1,370m 群馬県下仁田町
2013年11月28日登山:単独

 
 先方の返事が届かず仕事が進まないと嘆きながらテレビを見ていると群馬県で桜が咲いていると取り上げられていた。記憶の引き出しから群馬百名山の桜山を思い出し、明日の仕事を休んで見に行き、ついでに午後から晴れるようだから2年前の誕生日に撤退した稲含山も登って来ようと考えたのは、例によって前日の夕方のことであった。
 
 朝6時に家を出ると、昼から晴れる予報であったが既に天気が良い。関越道経由で9時に到着した駐車場で500円の料金を払って案内図を貰い、土産物屋が並ぶ駐車場から歩き始め、紅葉と桜のコントラストを楽しみながら桜山[591m]山頂に到着する。直下におでんの売店も出ており、この時期は多くの人が楽しみに来ている事が想像できる。周辺の庭園などを散策し10時過ぎに車に帰る。
 稲含山の登山口に向かう途上で小幡に差し掛かり、時間も早いので歴史ある街中を散策して歩く。道の駅で山用食を購入し、前年に復元が終了したという楽山園に後ろ髪を引かれ、1時間ほどの散策を終え、山深い集落を抜け、登山口に着いたのは正午を回っていた。
 
 登山口からの標高差は僅か300mで、地図のコースタイムは往復2時間と楽な山であるが、楽な割には展望が素晴らしいとF島に聞いていた山である。里では紅葉が楽しめていたが、山は既に葉も落ち初冬を実感させる。12:07より歩き始め、稲含神社には12:41に到着した。麓に有る14小中学校の校歌にこの山が歌われていると貼り出してあり、本当に地域に愛されている山なんだと感心する。
 12:45に到着した山頂からは荒船、妙義などの西上州の山々が良く見え、高崎や前橋の街も見下ろせる高度感には感動を覚えるが、北の山々に雲がかかり、赤城や榛名といった手近な山の稜線もハッキリしない。八ヶ岳や浅間も雲の中に入り、少し残念な感じである。
 それでも誰も居ない山頂で、道の駅の甘楽町物産センターで購入した「桃太郎ごはん」と「野沢菜おやき」を食べる。最近はコンビニのおにぎりやパンが多かったが、このような地元の料理を食べるのも悪くないな、と思いならが陽だまりの中でのんびりする。
 天気が変わりそうも無いので13:10には下山を開始し、13:32に下山を終えた。帰りのコースタイムは僅か22分であった。車に帰ると浅間山の雲が取れ、雪が綺麗に見えるのはいつもの事である。
 
 甘楽の温泉に入り、帰りがけにご当地グルメでも食べようかと「深谷煮ぼうとう」や「東松山やきとり丼」をネットで調べるものの、夜営業まで待たねばならないことが解り、さっさと吉井から高速に乗って帰宅する事にした。東京外環が事故渋滞を起こしていたのでカーナビに従い、環状7号線で東京を通過し、アクアラインで自宅には午後7時に帰りついた。
本社ヶ丸 1,631m 山梨県大月市
2013年12月14日登山:単独

 
 先月末から元気がなかった番犬のチャコが12月に入って食欲が無くなり、12日の深夜に亡くなった。年齢も14歳を回り老衰で苦しまずに逝ったのだが、一つ屋根の下で長いこと暮らしていたから堪える。悲しみを山に置いてこようと登山を考えたのは13日の夕方だった。
 
 5時に起床して自宅を出て奥野沢川に有る発電所の少し先の橋を渡った標高920m地点に車を停め、7:57より歩き出す。気温は氷点下で北の谷には光がさしていない。ダートの林道を少し歩き、可愛い登山ポストから山道に入る。苗木を植林した開けた道を進み、霜柱の成長した道で標高を稼ぎながら、愛犬の在りし日に想いを巡らす。台風で浸水した時に2階に避難させた事や、花火大会の音が嫌いだった事、寒さが苦手で食事は好き嫌いが多く、それでも事務所と自分が好きだった事、最後の散歩の姿を想い出し、嗚咽が止まらなくなった。
 稜線に出て、まず西に進み清八山[1,593m]の頂には9:20に到着した。誰も居ない展望の良い山頂から富士山を向き、チャコへの長年の感謝とお別れを告げる。南アルプスや八ヶ岳には雲が掛かっていたが、富士山は綺麗に聳えていた。facebookへ投稿し、この日の目的地である本社ヶ丸を目指し、岩場の多い稜線を進む。
 10:07に到着した山頂からは河口湖も見下ろせるが三つ峠に隠される部分が多く富士の姿は清八山の方が整っている。山頂で記念写真を撮り、往路を忠実に戻り始めると多くの登山者とすれ違い始める。聞けば電車縦走の人も多いようだ。下山路でも霜柱が解けておらず、滑る苦労をせずに11:49に車へ帰り着いた。
 
 昼飯も摂らず都留市にある『芭蕉月待ちの湯』で汗を流して着替え、昨日から留守番が居なくなった事務所に早々と帰った。やはり、悲しみの全てを山においてくるのは無理だった。
No73 .2013/9-2013/12    ←No72No74→
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