38.1月中旬の活動記録
 11日は前日に養生していたので少し体調も良くなり、知人の誘いで南房総に少し早い春を見に行った。富山の帰り道に前日から読み始めた森沢明夫著作の『虹の岬の喫茶店』の舞台になった明鐘岬に立ち寄り伊豆万太郎に沈む夕日を見たが、映画ロケに使うためか建築工事が行われていた。富津に一つ名勝が増えそうだ。
 帰宅して薬を飲み暖かくして早く寝床に入った。
 
 12日は朝から消防出初式である。風邪もほぼ直り、時折日差しのさす中で行事を見守り、その後の年頭行事にも出席した。帰宅後は翌月7日に予定している『巌根駅に快速電車を停めよう!推進協議会』の資料作成と打合せを行い、夜には後援会報の作成に向けて準備を進めた。
 
 13日は朝から資料の整理を行い、昼過ぎに先週に行われた同窓会の写真を恩師に届けに行き、その後は市内で雪山企画の打合せ。一旦帰宅して夜にも会合が入り、酒を飲む。風邪は完全に治ったと思って薬も飲まなかった。
 
 14日は朝7時半に木更津駅に集合し、会派羅針盤で行政視察に行く。内房線特急から上越新幹線に接続し新潟を目指す。冬型が強まり、高崎まで快晴であった天候も湯沢では豪雪に成り、どうなることかと心配していたが長岡を越えると雪も少なくなり、新潟から乗り換えて辿り着いた新発田市には殆ど雪も無く、拍子抜けしながら駅を出ると議会事務局の迎えが来ており、そのまま車に乗せてもらい昼食会場へ行く。
 これは視察項目の『食の循環』の象徴的農産品としてアスパラガスが有り、それを利用したアスパラグリーンカレーを市の名産としてアピールしているものであるが、今は季節でないため供給している店が少なく、新発田市がわざわざ手配して戴いたものである。昼食後は迎えを辞退し、市役所へ歩いて行った。
1.新潟県新発田市
 市制施行 昭和22年1月1日
 人口 101,608人(平成25年11月1日現在)
 面積 532.82km2
 平成25年度一般会計予算額 440億2千万円
 財政力指数 0.496 (平成24年度)
 視察項目 食の循環によるまちづくり条例について
 新発田市で1998年に当選し3期務めた片山前市長は食品会社を経営していたこともあり、新発田市は食糧供給都市として進もうと行政目標を立て行政を進めた矢先、お米から天然由来と思われるカドミウムが基準値以上に検出され大きくイメージを損なう事態に至る。そこで市が直営で運営する堆肥工場(有機資源センター)を建設する一方で、平成17年より「食と農の資源循環型社会づくり」をテーマに庁内で検討チームを設け32回に渡る会議を行った結果、食を核としたまちづくりを進める有効性を確認するに至る。継いで平成19年より23人(うち市職員4人)より成る「食のまちづくり検討委員会」を設置し市民を中心とした議論を行った。
 その委員の中に資源循環型社会を進めるNPO法人が「循環」の意義を意識した事から、循環社会を通じて都市の有り方を考えるべきという結論となり、再度庁内で検討組織を設け、平成20年12月に「食の循環によるまちづくり条例」を制定し、翌平成21年12月に推進計画を策定し、今に至っている。
 この考え方の素晴らしい事は、単に農業の「産業の発展」という意味に留まらず、「健康及び生きがいの増進」、「教育及び伝承」、「環境の保全」、「観光及び交流」と多くの分野に広がり、商工・福祉・教育など多くの部署を包括した118事業で展開され、行政運営の根幹に据えられている事である。その為、主管課は企画政策課であり、推進計画に基づく運営がされていない部署にはテコ入れをしていると聞く。例えば昼食のアスパラグリーンカレーは「地場産農作物を使用した新たな農産加工品の開発促進」であり、市役所に到着した時に多くの職員がしていた歯磨きも「食への感謝と正しい食習慣の確立・定着」という文脈の中で位置づけられている事に感動した。このように多くの事象に及ぶ条例なので名称は意図的に硬いものにしたようだ。
 この政策に要する費用として、平成24年度予算では118事業に約3億15百万円を計上しているが、そのうち約74百万円が市の運営する堆肥工場のコストである。堆肥工場は市内に3箇所あり、畜産農家等の汚泥等の受け入れで手数料収入が約34百万有り、堆肥の販売などの収入を除くと行政の負担は約17百万円に留まっているそうだ。そこに各学校の食べ残しや市内300地区のうち11地区の町内会で集めた食べ残しを前述のNPOが回収して処理することで食べ残し等を出さない生活を送ることの重要性を教育するツールにも成っている。他にも、大型スーパーの消費期限切れ食品などが集められるなど、諸団体からの協力も寄せられている。
 人口の減少や中心市街地の衰退など、新発田市でも多くの行政課題は有るようだが、志の高い市政運営を行っている姿には学ぶものが多く、木更津市でも農協から提案されている条例制定も更に一段高いテーマとして捕らえるべきであろうと考えさせられた。
 
 視察を終え、新発田駅まで移動する。新発田市内には月岡温泉という名湯も有るが、翌日の移動を考え新潟市まで移動して宿泊する。全く雪を意識しなくて済む新潟の夜は拍子抜けするもので有ったが、気温は低く、治ったつもりになっていた扁桃腺が再度悪化する事に成った。
 
 15日は長岡駅まで9:12の新幹線に乗って移動する。市の規定では距離が短く新幹線代が出ない事に成っているので、この分は持ち出しである。9:36に到着した長岡駅の改札口に迎えに来ていただいた長岡市議会事務局職員に誘導され、スカイデッキで市役所に移動すると凄い空間が現れた。
2.新潟県長岡市
 市制施行 明治39年4月1日
 人口 281,039人(平成25年12月1日現在)
 面積 890.91km2
 平成25年度一般会計予算額 1458億28百万円
 財政力指数 0.617 (平成23年度)
 視察項目 新公共施設「アオーレ長岡」について
 長岡市は平成の大合併で市域が巨大化し、人口も約10年間で9万人以上増えるなどの変遷を経た結果、郊外部に近い旧市役所は手狭となり、その上平成16年に発生した中越地震で被災もしていたため合併を期に新しい市役所を作ろうという話は出ていた。一方、駅前にあった厚生会館も昭和33年の建設より50年以上が経ち老朽化も目立ち、耐震性能も満足していない中で更新という話も出ていた。また、市の郊外に大型商店が進出したことで中心市街が寂れている状況でもあった。
 そこで、市役所の建設に当たり、議論を重ねた結果、市役所を駅前に移設することで旧市街に賑わいを持たせようという事になりコンペを行ったところ、隈研吾氏の設計が採用され、平成24年4月1日に「アオーレ長岡」としてオープンし、この空間を利用して数多くのイベントが開催され、市街地の賑わいが戻ってきているということである。
 
 アオーレという名称は「会おう」の長岡方言で9歳の少女の提案が採用された名前である。この名前に示されるように人々の出会いを作る場として市役所総合窓口、市民交流ホール+議場、アリーナと云った3つの建物と大屋根に囲まれた、外部と一体化した空間である「ナカドマ(中土間)」を中心に構成され、この利用受付や運営は市役所でなく民間団体である市民交流ネットワーク「アオーレ」が行っている。また、市役所は直接市民に関わりのある部門だけをここに入れ、都市部局や環境部局、教育部局などは周辺の建物に分散させることで意図的に人々の回遊と賑わいを生み出そうとしている。
 設計に当たってはどのような機能が欲しいかという事だけ示して、他は全て設計者に任せたため、議場は1階の角でガラス張りに成ってしまったようだ。設計者の隈氏は私も4年前に
作品を見に行ったが、このアオーレには驚かされることが多い。
 議場に話を戻すと、長岡市議会も驚き、設計者を議場に招聘し真意を問うた様だが、開かれた議会とすることの意義を解り、承認したようだ。ただし運営に当たっては外部の反射がまぶしい時にロールブラインドを降ろす等、試行錯誤は続いているらしい。天井に吊るされた板も含め違和感を感じる議場である。
 事業費はスカイデッキを除き約131億円で、歳入の内訳はまちづくり交付金が約29億円、合併特例債が約52億円、他の地方債が2億円、基金が約45億円で、現年の一般会計からは3億程度しか使用していないという事で、財政運営の点についても感心させられる。
 市街地の賑わいという点では、施設内にハンバーガーショップ以外の食堂を設けず、市役所への出前を禁止することで、近隣の食堂へ職員が出かけるようになった事、また旧市役所の頃には7割の職員が自動車通勤していたが、新市役所では職員用駐車場を設けず、個人的に駐車場を契約するようにした結果、約8割の職員が公共交通機関を使って通勤するようなったという事である。様々な政策が市街地活性化につながっている事に感心するばかりである。
 このような施設なので昨年中の視察者は20万人を越え、議会も2千人近い受け入れがあって大変だったと聞く。確かに一見の価値がある施設であることは間違えない。
 
 最後にシアターで長岡の花火大会の3D映像を見て視察が終わった。感動しながら近くの蕎麦屋でへぎそばを食べてから新幹線に乗車した。長岡市は晴れていたが、この日に館山市では雪が積もったとニュースで聞いていた通り、アクアラインバスで辿り着いた木更津は寒かった。
 
 16日は午前中に溜まった仕事を片付け、昼間に自民党木更津支部の役員会議に出席し、袖ケ浦市の長浦おかの上図書館に移動し、午後2時からかずさ四市議長会主催の議員研修会に出席する。
 研修会は「21世紀〜グローバル社会は、千葉内房のチャンス!〜議員各位と職員のコラボレーションが、地域を変える!」と題して公共経営研究機構の関山祐介理事による講演であった。先進事例としての富士宮市も示され勉強になった。
 帰宅してHPの更新作業を始めるが、午後7時から岩中同窓会の清算及び反省会の幹事会に参加したため作業は終わらず、翌日持越しとなってしまった。
 
 17日は朝からHPの更新や各種資料の整理作業に追われる。昼から2件の打合せを行い、夜は岩根東地区区長会の新年会に出席し、市の現状や巖根駅の見通しなどについて解説を行いつつ懇親を深めてきた。
 
 18日は午前中に会派の視察概要を取りまとめ、HPにアップする。昼間は市内で所要を済ませ、夕方のアクアラインバスに乗り、横浜中華街で知人と新年会を行い、日帰りで帰宅した。
 
 19日は後援会報の原稿や会議資料を作成しているうちに昼になり、中央公民館に行って「木更津市景観シンポジウム」に参加する。
 千葉大学の宮脇准教授の基調講演に続き、木更津イルカ計画・盤洲干潟を守る会・武田川コスモスロードの会・みなと木更津再生構想推進協議会の活動報告が行われた。座談会で宮脇准教授も申していたように、木更津では実に多くの団体が地域のことを考えて行動している事が改めて解り、視野が広がった。
 帰宅後は地元で打合せを行い、その後は自宅で車に荷物を積み込み、HPを更新した後、仕事を終えた友人と深夜の長野に泊まった。
 
 20日は早朝から善光寺参りを行った後、斑尾高原スキーに行く。冬型は強かったが山頂から日本海も見渡せ、黒姫や野尻湖も綺麗に見える、ふかふかの雪を楽しんでいた。
 
 3時を回り車に戻ると無線で鍵が開かない。凍りつたかなと思ってキーを捜すと紛失している事に気がついた。生まれて初めて車の鍵をなくしたのが遠くのスキー場である。方々を探したが出てこない。インフォメーションで色々と検討したが友人には近くの温泉に泊まってもらい、一人新幹線で鍵を取りに帰宅する事にした。午後5時のバスで斑尾を出て自宅には午後10時半に帰り着いた。色々メール等の処理をせねばならない事態にもなっており、都合の良い帰宅でもあった。
 
 
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2014年1月下旬の記録