92.7月中旬の活動記録
 11日も前日に続き良く晴れた土曜日で、八剱八幡神社の大祭を見に行くつもりで居たが、自宅に浄水器の設置や荷物の整理等、雨で溜まっていた家の雑用を片付けて1日が過ぎてしまった。
 
 12日は朝7時から江川熊野神社の清掃を行い、26日の祭礼の役割分担を決めて午前9時に解散。10時からは江川区の役員と民生員で要支援者サポート体制について平成26年度の取組状況報告と今後の課題について議論し正午に解散。食事後は明日からの旅の準備を始める。
 午後4時には市内で所要を済ませながら、八幡様の祭礼を見に行く。
 
 境内は多くの屋台で賑わい、ご当地ヒーロー『鳳人ヤツルギ』も気持ちよく子どもたちと写真撮影に応じていた。重さ1.5tの大神輿は宮入前の新田区で揺れいる姿を写真に撮り、今年の祭を満喫してきた。
 
 13日の月曜日の朝から16日の木曜日の夜まで
フィリピン共和国セブ島への旅行に出かける。東南アジア諸国のうち人口が多く今後の成長が有望な国としてVIP(Vietnam,Indonesia,Philippines)という3ヶ国が挙げられているが、そのうちフィリピンに行ったことがなかったので観光地とはいえ、第二の人口を誇るセブ市を見ておきたいと思ったことも選択の理由であるが、基本的にはプライベートな旅行である。
 
 ホテルから空港まで送迎する車に偶然乗り合わせた若者が、フィリピンの貧しくとも頑張っている姿を見て『改めて日本は何て恵まれて居るんだろうと実感できた』と話していた事が印象深い。たまには海外を見てくることは刺激になるし、考えさせられることも多い。
 帰宅は飛行機が遅れたことで羽田到着も遅れ、23:20に出発するアクアライン最終バスに間に合わなかった。国際ターミナルから金田駐車場までタクシーで移動する羽目に成ったが、深夜割り増しと高速代を加えて9,930円であった。6月議会の一般質問で深夜バスの必要性を訴えたが、直ぐに自らがその立場に成ってしまうとは思いもしなかった。
 
 17日は旅の後始末を簡単に行ってから自宅事務所のパソコンを開くとメールが103通も届いていた。それらの処理を終えてから役所に行き、今後の委員会運営の打合せ等を執行部と行い、お昼からは会派会議を行い、視察や代表質問の割り当て等を決めた。
 会議終了後にも今後の運営などについて他市の事例を知りたく、滝口議長に相談したりして夕方まで市役所にいて帰宅。夜は知人と日本の酒を楽しませていただいた。
 
 18日は8:30から岩根西公民館で地域の環境浄化活動が開始されるが急用が入って遅れ、10:30からの青少年育成団体会議に遅れて出席する。県警の伊藤課長補佐による薬物問題の状況を具体的な話を元に聞く。特に平成26年に交通事故18件も発生させた危険ドラッグの現状には危機感を感じさせられる。
 会議終了後、巌根駅前で要望のあった場所の確認を終え、午後からは中里神明神社の祭礼に来賓として出席する。午後3時に神社を出発した子供御輿は町内を練り歩き、後で聞いたところ午後8時まで回っていたという事である。江川の祭が町内を回らないと決めた中で、中里の活動は羨ましいとさえ思える。
 
 19日は朝5時に出発する西山月山講の人達を見送り、帰宅後に嫁を誘って岩根西中学校でこの日から開始される地域交流ラジオ体操に出席する。明日以降は地区7箇所に別れて開催であるが、初日と最終日は一箇所でまとまって行われるため、多くの住民が参加していた。
 
 ラジオ体操終了後は自宅に帰って荷物の整理や仕事の片付けを行うがどうも体調が優れない。幾つかの予定を止めて休養する。
 
 20日は江川会場のラジオ体操に出席した後、地域内を挨拶や打合せで回る。帰りがけに綺麗な夕日を港で見る。この数分後に綺麗に雲が焼けたが運転中になっており撮影が出来なかった。夜になり前日からの痛みが気になっていた身体を見てみてると、赤い斑点が出ていたところに水膨れが出来ていた。
 
 21日は市民まちづくり塾が26日に行う講演会の案内で記者クラブに行き、その後に地元の重城病院で診察を受けると「帯状疱疹」に成っていると診断される。伝染性はないことに安心するが、治療が長引きそうなことに落胆して帰宅し、静養に務めた。
 
 
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2015年7月下旬の記録