X0.10月上旬の活動記録
 1日は市民活動支援センター(通称「きさらづみらいラボ」)が開所するが所管課が市民部なのでセレモニーは教育民生常任委員会の対応となる。私は午前中に私的な用事を済ませて午後から見学に行く。ファシリテータ要請講座が行われている中で施設を見学する。登録団体が増えて活用される事を願う。
 駅前庁舎に行き企画部等と打合せる。9月議会で質問した特殊合計出生率が県下1位から6位に下がり、館山市や君津市の後塵を拝する事態になったことなどを話してきた。帰宅しHPの更新をしてから木更津駅まで送って貰い、JRで君津に移動してハミルトンホテルで開催される「きみつの地酒で乾杯を推進する条例」施行1周年記念イベントに出席した。多くの君津市議や佐久間富津市長も来場されていた。
 地元8銘柄のうち、聖泉・吉寿・鹿野山・峯の精・飛鶴は一緒に青年会議所を過ごした友人である。会場には500人が入場しており人の多さにも驚いた。午後7時半に全国一斉の「日本酒で乾杯」セレモニーが行われ盛り上がっている中、木更津も消費地としてこの様なイベントが欲しいと思っていた。
 
 2日は未明から強風で家が揺れる中で目を覚ます。朝のテレビ報道によると27.9[m/sec]の風が木更津で観測されたようだ。
 午前中に私的な用事を終え、昼から頼まれものを購入するためにMOPに行く。観覧車や椰子の木にとっては強風の試験のような一夜であったろうと思いながら買い物を済ませる。午後から朝日庁舎で打合せを行い、帰宅後には事務所の片付けを行いながらHPの更新を行った。
 
 3日は一般社団法人かずさ青年会議所の創立50周年記念式典の日であり、青年会議所のOBとしてアカデミアで開催される式に出席する。姉妹締結をしている台湾花蓮青年商会を始め、小樽・岡崎・宮崎・横浜といった全国の青年会議所、そして県内の全ての青年会議所が式典に来場され、厳かに式が始まった。
 
 私が経験した30周年の時には百名を越えるメンバーが居たが、今では40人に達しない人数で多くの事を対応する事は大変だったと思うし、増える一方のOBに手が回らないことも仕方ないと思うが、記念式典を知らなかったという話が多く聞かれたことが残念であった。
 式典後には矢那で「耕す」を始めたミュージシャンの小林武史さんの講演に引き続き宮崎治夫さんとのディスカッションを聴く。
ap bankが実践活動を展開する場として木更津市を選んだ事に感謝しなければと思うし、小林氏も渡辺木更津市長を始めとする木更津市民に大きな可能性を感じると言われ、もっとその活動を理解せねばと思った。
 フォーラム終了後、記念祝賀会の会場に移動するが、並行して君津市のハミルトンホテルで開催されている四市の議員による「賢友会」の勉強会後の懇親会にも顔を出すために中座して移動する。選挙が終わったばかりの君津市議の友人を始め他市の市議から多くのヒントを得ることが出来た。賢友会の懇親会が終了後はタクシーで木更津に移動し、創立式典の懇親会後のメンバーに合流して祝賀を続けた。
 
 4日は産業・創業活動支援センター(通称「らづサポ」)が開所するが所管課が経済部なのでセレモニーは建設経済常任委員会の対応となるので私は式典終了の時間に木更津商工会議所に行き、開所記念セミナーとして行われる「伸びる会社の極意」を聞く。
 講師の小出宗昭氏は静岡県富士市で行列の出来る産業支援センターの所長を務めている方で、一度その話を聞きたいと思っていたのであるが、想像以上に具体的な話であり、産業支援はビジネスコンサルティング業で有るべきで結果が重要という姿勢には感動させられる。
 常に世の中のトレンドや需要を理解し、中小企業事業者が常識にとらわれて気付かなかった真の強みを活かし、視点を変えた新商品開発やコラボレーションによるシナジー効果を発揮させ、新顧客を広げることで7割の企業の経営状況を改善しているという事に驚かされる。アドバイスは経営分析といった今まで国が行っていたような処方と違い実践的であり、常にビジネスセンスを磨きニーズを把握するために店舗陳列やCMを意識するなど消費の最前線に居る姿勢も感心させられる。事業者には大きな投資を必要としないアイディアを示すため、失敗したら直ぐに再挑戦が行えるようにする等、参考になる取り組みが多かったが、この講演を聴いた人には木更津での取り組みに対する期待が大きくなるだろうと思わざるを得ない。
 講演が終わったら帰宅して荷物を車に積み込み、友人を拾って日光に向かい、戦場ヶ原の駐車場で車中泊をした。
 
 5日は天気予報に反して雲が多い朝となった。太郎山に登る予定を変更して戦場ヶ原散策や
半月山を楽しんでから帰路につく。
 ボランティアに入ろうと思っていながら需要が少ないと言われた常総市に入るとさほど水害の跡は感じられない。映像で流れたアピタに立ち寄ると1階は休業中であった。生鮮食料品が無いためか客足も少ない中、エイド気分で買い物をしてから旧道に回り南下する。
 決壊箇所に近づくと工事中で通行止めと成っており、家の前には土嚢が積まれ、倒壊した塀や家屋、水田には流入した土砂が目に付く。流石にカメラを向ける段階では無さそうなので横目に見ながら通り過ぎ、少し先で横倒しになったガードパイプだけ撮影して帰路についた。
 
 6日は私的な仕事を片づけてから市役所に行き行政視察の調整と会派報の原稿作成を行う。明日も天気が良さそうなので翌日分の仕事を夜遅くまで行った。
 
 7日は夜明け前に起床して南アルプス前衛の
富士見山に登り夕焼けの富士山を見て来た。健康づくりに励んでいると理解してくれれば幸いである。なお、この日から市長や議長は姉妹都市であるアメリカ合衆国オーシャンサイド市へ、教育民生常任委員会は関西方面に行政視察である。
 
 8日は仕事の片付けや議会質問の準備を行い、夜にはHPの更新を始めたが少し溜めすぎてしまい、作業終了は深夜になってしまった。
 
 9日は午前中から諸般の調整で朝日庁舎を回る。駐車場所やお茶を飲んで休む場所にも慣れてきた。午後3時には農協岩根支店の監事監査講評に役員として立ち会い、夜には同窓生の集まりに参加して幸せな時間を過ごしてきた。
 
 10日は早朝から江川熊野神社の清掃活動を行った後、矢那にある『耕す木更津農場』で開催されている『やまのいえ感謝祭』を見に行く。先日の小林武史さんの話で聞いていた地元の農場を始めてゆっくりと見たが、対岸から木更津に来訪者を集める新たな可能性を見てきたような気がしてきた。
 帰宅後は午後から来月の矢那川彼岸花球根植えに向けた準備を行った。なお母校の群馬大学工学部がこの日に創立百周年記念式典を行っているが、とても顔を出す時間を設けることが出来なかった。
 
 
 →
2015年10月中旬の記録