01.1月上旬の活動記録
 1日は「ゆく年くる年」を見ながら日付が変わったところで先週に早稲田の穴八幡宮で入手した「一陽来復」のお札を貼ってから就寝。朝5時に起床して暗い房総スカイラインを経由して鴨川まで行き、今年が良い年になることを祈念しながら初日の出を見る。
 
 保田経由で「道の駅保田小学校」や江月水仙ロード」等を見ながら帰宅して朝食にお雑煮をいただいた後、江川熊野神社と坂戸神社の初詣に行く。帰宅後は新聞を読み、夕方から年始詣りに出かけた。
 
 2日は我が家に集まってきた親族で食事に出かけ、お酒をいただき、楽しい正月気分を満喫する。夕方には届いた年賀状の整理を始め、市内の方々には公職選挙法第147条2の規定による「答礼のための自筆によるもの」を準備したり、他の雑務を片づけて新年2日目が終わった。
 
 3日は朝から農協本店に集合し、理事として役職員大会に出席する。式の中で農協職員に日本を代表するようなスポーツ選手が誕生しそうな状況に胸躍り、最後に株_林中金総合研究所の新谷取締役調査第二部長による記念講演を聴いて終了となった。
 役職員大会後は折り込みの会派報を確認した後、自宅に届いていた年賀状の返信などを作成して郵便局に投函に行き、帰宅後はHPの更新を行う。3年に1度のフォーム更新なので作業が大変である。
 
 4日は本来なら仕事始めの日であるが穏やかに晴れるという天気予報に誘われて夜明け前にアクアラインを渡り、山梨県の
菜畑山[1283m]と神奈川県の石老山[703m]に登って相模湖温泉で汗を流し、日没後にイルミネーションを鑑賞して帰宅した。まだ正月休みなのか都内の道路は空いていた。
 
 5日は自宅で仕事を片づけてから市内で木更津港にクルーズ船を誘致しようとしている中山さんとお話をし、八剱八幡様に参拝した後は議会事務局で日程の調整等を行って帰宅。夜は来月20日に行う予定の『太田山竹取物語』について企画内容や役割分担等の打合せを行った。
 
 6日は市内で各種の雑用を住ませ、午後からHPの更新作業を行う。数日前にはイランとサウジアラビアが断交になったと思えば、この日は北朝鮮から水爆実験のニュースが届くなど、新年早々から国際社会が緊張していると感じながら夜までパソコンに向かい合っていた。
 
 7日は朝日庁舎で各種の打合せを行った後、市内で所要を済ませて帰宅。午後2時を回ったところで徒歩にてベイプラザホテルに行き木更津商工会議所主催の賀詞交歓会に出席する。6社の表彰を見守り、多くの方々と新年の挨拶を交わして様々なアドバイスをいただき1年がスタートした。
 
 8日は来週火曜日からの会派行政視察の準備と、今夜から出かける親戚回りの準備を行ってから陸上自衛隊に行き賀詞交歓会に出席する。今年は翌年からのオスプレイ受入に向けた準備の年になるので、基地対策特別委員会としては市民に悪影響を与えない対策を検討せねばと思いながら臨席していた。
 帰宅後にHPの更新を行い、荷物を積んで親戚詣りに出かけるが、最初は葛西で結婚式の受付もしてくれた妻の後輩の葬儀に列席する事から始まった。エコノミー症候群のような原因で突然の訃報であり、元気だと思っていても何が起きるか、人の無常を感じさせられた。この夜は妻の実家に宿泊する。
 
 9日は戸田市、富士見市、所沢市と埼玉県内を走り回る。圏央道が東北道に繋がった利点を感じながら、最後に宇都宮市の親戚に行き、夜遅くまで様々に語らった後、市内のホテルに泊まった。
 
 10日はせっかく宇都宮まで来たのだからと考え、地下の大谷石切場を見られる大谷資料館を見てから那須に行き、雪道を歩かねば行けない北温泉を訪れて日帰り温泉を楽しみ東北道で帰宅した。
 途中で立ち寄った羽生PAは『鬼平犯科帳』 をテーマとして江戸の街並みを模した建築を並べ、一般道からも出入りできる施設として整備されている。寄居PAの『星の王子様』も良かったが、こちらは更に上回っている。木更津で進む道の駅構想もコンセプトと建築は重要な要素だと思ってきた。
 
 11日は私的な仕事を片づけ、HPの活動記録等を更新し、後援会報の原案の作成を進める。翌日早朝からの行政視察の準備などをしていたら成人の日は終わってしまった。これからタイトな日程が続く。
 
 
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2016年1月中旬の記録