20.7月中旬の活動記録
 11日は朝から議会基本条例策定特別委員会に出席し、今後のスケジュール等について打ち合わせる。袖ケ浦市議会では策定も近いようだが木更津市では拙速になることを避け2年程度の議論をしていこうという事が決まり、次回は8月8日に開催して過去の議会運営委員会で行った視察の復習、県内自治体の特色などを勉強し、どの様な方向を目指すのか決めることになった。議会申し合わせ事項の条例との棲み分けなど早い内に行う作業はかなり多いと実感する。
 午後からは木更津港まつりの協賛金集めに清川方面を回り、6時半からは袖ケ浦市議会が開催する『カフェド議会』に参加し、運営方法や雰囲気を勉強して来た。夜はこの日から自宅の浴室の改修工事に取りかかったため、金田に住む姉の家まで風呂を借りに出かけた。
 
 12日は朝から駅前庁舎に行き、20日からの会派行政視察に向けた質問事項整理や行程の調整を私的に行う。11時半に会派羅針盤の6人が集まり視察事項の確認や9月議会に向けた役割分担等を決める。午後から木更津市へ行政視察に訪れた議員を総務常任委員長として歓迎し、所用を済ませてから庁舎を後にする。親族から訃報がもたらされ、夕方はその対応にあたった。
 
 13日は早朝に目覚めたので、未明にHPの更新を行う。前日に亡くなった叔父は私の政治団体の会計責任者であったため、開庁時間を待って県の選挙管理委員会に問い合わせたところ「異動届」を7日以内に持参して提出せよ(郵送不可)と指示された。そのため、朝から地元での所用を済ませた後、書類を作成して県庁に行く。夕方は葬儀の打合せに加わり、夜は3日続けて金田の姉に風呂を借りに行った。
 
 14日は午前中に事務所で私的な仕事を片づけた後、浴室の改修工事に調整を行うなど私的な時間を過ごすが、父の世代が抜けていく現状に対して、次の世代が記録を留めねばと仕事を始めた。午後7時から叔父の通夜に臨席する。斎場に着いて少しすると雷が鳴り出し、通夜の最中は豪雨でお経も掻き消され、停電で蝋燭の明かりだけが灯る中で進行が進むなど、得難い経験をした。
 
 15日は午前3時半に起床して出羽三山講に行く西山の方々を見送り、午前9時からは叔父の告別式に参列する。通夜と同じように読響の最中に豪雨に成る中で「夏林院幸山良運信士」の初七日法要も行われ、親戚が揃った中、木更津の火葬場で叔父を見送った。
 
 16日は9時から馬来田駅で行われる観光ブルーベリー摘み取り園のオープンセレモニーと「馬の駅長」を見に行く。江澤会長を中心に木更津市の観光農園を進めてきた経緯と結果には感銘し、岩根を中心に進んでいるパッションフルーツも有名に成るために協力しなければ成らないと考えていた。
 久留里まで所用で足を伸ばして帰宅。午後は日射しが照り始める中、歩いて中里まで行き神明神社の例大祭に来賓として出席する。
 岩根西地区では地域毎に神社があり、個々に開催する祭礼は参加者の高齢化や氏子や子供の減少などもあり、多くが縮小されていく中、中里の一体感は素晴らしいものがあると感心する。翌週には地元の祭りもあるが、万石での新しい取組に注目しているので、途中から見に行く予定である。
 
 17日は前日に完成したユニットバスの清掃用小道具や子供の雑品などを購入するため街中を回るなど、公務のない日曜日を満喫した。
 
 18日は歩いて巌根駅に行き、内房線を大貫駅まで乗車し、9時半からの
磯根崎の自然観察会にスタッフとして出席する。心配されていた雨もなく、後半には青空も広がる中で参加者からは好評を得ながら人工物のない海岸を歩き佐貫町駅に至る。観察会の解散後、佐貫で各種打合せを行う。
 帰りのJRで私の代わりに都市対抗の応援に行った妹に東京ドームの様子を聞くと、最初の鹿嶋に続き新日鐵住金は君津も負ける事態になった事を知る。決勝を応援に行くつもりであったのに残念だった。
 
 19日は朝の涼しい内に溜まっているHPの更新作業と翌日からの行政視察準備を済ませたのち、駅前庁舎に行き9月議会に向けた質問等の準備を始める。お昼には金田の観覧車の下に開業した店に行き異空間ぶりを満喫して帰宅。その後は事務所で数日分の仕事を片づけようと机に向かった。
 
 20日から会派の行政視察のため金田BTから8:15に出発する新宿行きバスに乗る。4月4日に開業したバスタ新宿と6月11日に開業した現在愛称募集中の金田総合BTもどちらも初めての利用となるので、最初から視察モードが高くなる。
 金田と比較するのは無意味と解っているが、バスタ新宿の規模や導線の処理、遊び心の有る空間には驚かされる。乗り換えも容易に中央線のホームに降り、10時ちょうどの「あずさ11号」で上諏訪へ移動し、駅前のホテルに荷物を置いてから行政視察を開始する。
 
1.長野県諏訪市
 市制施行 昭和16年8月10日
 人口 50,503人(平成28年4月1日現在の住民基本台帳登録数)
 面積 109.91km2
 平成28年度一般会計予算額 194億5千万円
 財政力指数 0.757 (平成26年度)
 視察項目 諏訪市空き家バンクについて
 諏訪市はセイコーエプソンの本社が有るように工業の町であるが今まで5万人台を維持していた人口の減少が始まり、将来的にも4万人の人口を維持して地域の活力を維持するため、平成27年9月から地方創生事業として市内の空き家を利用した移住交流事業を開始している。
 木更津市でも本年度から都市整備部において「空き家バンク」を進める計画であるが、諏訪市では企画部の地域戦略課が担当し、長野県全体で取り組む「楽園信州」推進協議会、諏訪経済圏6市町村で取り組む諏訪圏移住交流推進事業連絡会とも協調しながら市単独事業としても取り組んでいる。
 空き家バンクの事業化に先立ち、諏訪市の都市計画課が水道メーターの使用状況で利用のない空き家と判断した2039軒のうち1195軒がそのまま使用可能、446軒が改修後に使用可能と判断され、それらに対して意向調査を実施したところ、住宅売買の希望が24軒、住宅賃貸の希望が23軒、店舗賃貸の希望が13軒寄せられ、それを市のHPで公開しており、取引に際しては宅地建物取引業協会諏訪支部(43社)と協定を結び、運用している。市のHPに掲載することで信頼性を高める事も目的であるが、開始から1年が経っていないこともあり契約は1軒だけとの事である。ただし、市を通さず直接不動産業者と契約する場合もあり実態は明確に把握できていないようだ。また市に寄せられる物件は立地や老朽加減が不動産として処理しにくいものが多く、市が駆け込み場に成っている事も契約率の向上につながらないところのようだ。但し、空き家バンクにはとても居住に耐えられないものは登録できない事は当然で、中古住宅の品質保証として住宅診断(ホームインスペクション)を進め検査費用と瑕疵保険料の1/2、最大10万円を補助する事で安心感を高めている。これは賃貸契約の成立とは関係なく行えるようだ。
 八ヶ岳山麓にある茅野市や原村では移住施策が順調であり、農地の提供等のインセンティブが無い諏訪市は比較的苦労している様であり、またコンパクトシティを念頭に置いた市街地誘導という考えもないようだ。現地見学は行わなかったが、現地には空き家バンク登録物件という看板の掲示もしておらず、当方からの質問に対して検討していきたいという回答であった。木更津市で取り組む場合、近隣市との広域化は念頭に置いた方が良さそうだと思いながら視察を終えた。
 
 視察後に、今年が7年に一度の開催とである御柱祭の「御柱」を観に諏訪大社の上社へ行く。諏訪地方は縄文の最後を迎えた土地だとNHKで放送されていたことを思い出し感慨に耽る。春には4箇所の大社へそれぞれ4本の柱が納められたが、秋からは各町内で小規模な御柱祭が行われるとの事である。
 諏訪地方は信州の高原なので涼しいのかと思っていたが、この日は房総でも気温が低く快適だったようだ。でも空気の渇き具合が心地よいと思いながら諏訪の夜は更けていった。
 
 
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2016年7月下旬の記録