64.10月上旬の活動記録
 1日は八剱八幡神社の参集殿の上棟式やナチュラルバルが開催されることを知ってはいたが残念ながらそれらを欠席して大学の同級生のお見舞いに千葉ニュータウンまで出かける。脳出血でも対応が早く麻痺も軽く済んでいたことに安堵した。自らの健康も気を付けないとと思う。
 
 2日は娘を保育園に送ってから自宅に戻り仕事を片づけてからHPの更新を行う。午後から駅前庁舎に行きながら、前日に素晴らしい上棟式を済ませたと聞く八幡神社参集殿を境内から眺める。
 
 周辺の整備を進めれば良い観光地にも成れそうだと考えながら市役所に行き打合せを済ませ退庁し、市内で所用を済ませて帰宅した。
 
 3日は仕事の片付けや事務所の整理や清掃、その他の雑務に追われる傍らでHPの更新なども行う。5時を回り夕日が窓に射すので自転車で江川海岸に行ってみると観光バスが2台停まり、相変わらずの混み方である。残念ながら夕焼けはそれほどでもなかった。
 帰宅して天気予報を見ると明日の日光方面は昼前から晴れると知り、2年前に諦めた太郎山に登るよう準備を整えた。
 
 4日は朝2時51分に起床して高速道路を活用し
日光の太郎山に日帰り登山をしてくる。予報通り10時より青空が広がり快適であった。
 
 下山後は温泉と宇都宮餃子を楽しみ、道路上で中秋の名月を見ながら帰宅する。朝が早いことと疲れていたことで早々に床に入った。
 
 5日は娘を保育園に送ってから自宅に戻り、私的な仕事を片づけてからHPの更新を行った。夜は帰りが遅くなる妻の替わりに娘の子守をするが、夜はいつもになく早く寝てくれたので、その横で417頁もある森見登美彦の「有頂天家族」を一気に読み終えた。
 
 6日は公民館や市役所、銀行やなどで所用を済ませるとともに、翌日に開所を控えている浜田後援会事務所に顔を出し、開所式への不参加を詫びつつ、選挙日程を確認する。翌日からの連休と週明けの行政視察が続き、やらねば成らないことが多く、内業と雑用を片づけた。
 夕方からは君津市で行われる「きみつの地酒まつり」に参加する。飛鶴の森実行委員長による挨拶の後、富津市観光大使のWaKaNaさんのサックスが流れる会場でかずさ八藏を試飲して回る。久々に合う君津市の友人と楽しい一時を過ごし、JRで巌根駅に帰ってきた。
 
 7日は浜田靖一後援会事務所の開所式の日であるが、この連休を使って久しぶりに妻子を実家に里帰りさせる約束であったので前日中に欠席を謝りに事務所にも足を運んでいたし、会派の同僚に依頼もした。
 埼玉に帰る前に妻の友人達と土浦の花火を見るという日程であったので会場から離れた駅に近い桜川の河川敷での場所取りにも付き合い、長時間を河原で過ごした後で、協議会の貴重な花火を堪能した。木更津の港まつりも規模では負けていないが最新の花火技術には驚かされる。観賞後は埼玉に移動した。
 
 8日は埼玉にも中世の城跡が整備されていると聞き、埼玉県富士見市の難波田城址公園に出かける。園内には城の資料館と古民家ゾーンも有り多くのボランティアガイドが歴史を説明してくれていた。正直な所、「難波田氏」は初めて知ったが中世の評価は重用だと感じた。
 午後からは妻の知人がブースを出しているという事で東京都港区芝公園の近くで開催されているみなと区民まつりに出かけた。
 
 9日は妻子を妻の実家に残して群馬県沼田市にある
三峰山に登ってくる。パラグライダー基地もある山を往復12kmも歩き、下山後に温泉で汗を流してから昼食も執らずに帰路に着いたが高速の事故渋滞に合うなどして妻の実家に替えるのが大幅に遅れ、木更津に帰ったのは午後7時を回ってしまった。
 荷物や土産を降ろし、ざっと片づけた後は翌日からの行政視察に向けた準備を行い、記事が溜まる前にHPの更新を行って深夜に就寝した。
 
 10日は衆議院選挙の告示日であるが行政視察の初日である。朝6時前に起床して鞄に着替えを詰め込み、7:35に木更津駅東口から出るアクアラインバスに乗り品川駅を経由して埼京線の戸田に至る。
 
1.埼玉県戸田市
 市制施行 昭和41年10月1日
 人口 138,509人(平成29年9月1日現在の住民基本台帳登録数)
 面積 18.19km2
 平成29年度一般会計予算額 500億3千万円
 単年度財政力指数 1.234 (平成29年度)
 視察項目 政策研究所の取組について
 戸田市は35年連続で不交付団体になり住民の平均年齢は埼玉県下一若い40.2歳という行政運営に恵まれている都市である。しかしその状況に甘えることなく都市間競争を勝ち抜くためと若手職員の研修を目的として平成20年度に市長直轄組織として『戸田市政策研究所』を設置した。
 政策施策の調査研究と提言、市長公約の進行管理や公約と行政計画の整合を所管事務としており、組織は副市長を所長に、政策秘書課長を副所長として配置し、常時の職員は政策担当が1人、広報公聴担当が2人で、後はテーマ事に各課より若手職員を輩出してもらう形で柔軟に対応されておる。
 年間の予算は政策アドバイザーの費用や共同研究の委託費などで約5百万円程度である。大学や都市センターなどと積極的に人的交流を設けることで新しい情報が流れてくる事にも気を配っていた。事業化を前提とした政策企画と、研究としての政策研究を進めており、開設から9年で30件となった。また職員のスキルを上げるため主任相当職以下を対象に『戸田ゼミ』を月に1回程度開催するとともに、目白大学と共同し若手職員による寄附講座を開催することで研修効果を高めている。
 研究所の開設とともにシティセールスも始められ、平成27年度には市の職員5人を含む17人から成るシティセールス戦略市民会議の開設に至っている。観光型や物産形でなく、住民の定住を目的として事業は展開され、転入出の多い住民に戸田の素晴らしさを知ってもらい地域への参加を通じて定着してもらうことを目指している。この一例として女性チャレンジショップが開設され、市役所の1階で展開されていることも見学させていただいた。
 検討の前提にDATAが重用だという点を強調されていたが、それは私も同感であるし、何より説得力を持つ。しかし研究所の所長(9月末に副市長の任期が切れて現在は所長兼務に成っているそうだ)である梶山課長は9年間ずっと交代されていないようで、なかなか普通の行政職員で続けることは容易ではないだろうと思われた。行政のもつシンクタンクは全国に40程度有り、千葉県での開設事例はない。木更津市で同様の人材が居るかは疑問であるが、本市でも取り組むべき制度であろうと梶山所長の自信にあふれる話を聞きながら、そう感じていた。
 
 視察を終えて外に出ると、この日から始まった選挙の街頭演説が始まるところであった。総務委員会以外の議員は出陣式に参加し、選挙戦を始めている頃だろうと思ったが、我々は関東を後にして新幹線で盛岡まで移動して宿泊するのである。
 
 
 →
2017年10月中旬の記録