66.10月下旬の活動記録
 21日は早朝からHPの更新を行い10時には娘を病院に連れていく。自宅で雑務を終えてからスーツに着替え、16時から袖ケ浦市民会館で開催される街頭演説に行き、17時からは尾張屋岩根店での街頭演説の司会を行う。桜井や木更津駅での街頭演説を見届け選挙事務所に移動する。
 遊説隊の選挙戦の終了を拍手で出迎え、12日間に渡る戦いが良い成果で終わることを願いつつ解散した。
 
 22日は超大型の台風21号が接近する中で迎える投票日である。天候が荒れることを想定し、前日の期日前投票所は大混雑だったようだ。私は既に投票を済ませているので市内の状況を見て回りながらバルのチケットを使い切る。自宅で夕食を執り、午後7時を回った所で浜田選対の開票速報が行われる農協本店会議室に向かう。
 既に君津市では避難指示が出ている状況であり、風雨も強まる状況だが多くの方々が集まっていた。午後8時を回り投票箱が閉められると直ぐにNHKで当選確実が流れ万歳三唱を行った。達磨の目入れが終わると天候を考え早々に帰宅しテレビで選挙と台風を見守った。
 
 23日は早朝に台風が通過し、午前中に雨はが残ったが午後からは晴れ間が広がったのでアクアラインの通行止めで仕事を休んだ妻と運動会の代休となる希望保育で休みの娘を連れてマザー牧場に出かける。風は強かったが青空の下で行われるショーは楽しく、娘も色々な動物が見られて満足だったようだ。
 日没前に帰宅してスーツに着替え、君津で行われるかずさマジックの壮行会に出席する。大阪ドームの日程が来月3日・9日なので諸行事と重なり声援を送りに行けないので、君津で良い成績を収めてくることを願った。その後は木更津市内で所用を済ませ帰宅した。
 
 24日は娘を保育園に送ってから議会事務局で視察等の調整を行う。次いでホテルオークラに移動し木更津商工会議所創立70周年記念式典及び祝賀会に出席する。鈴木会頭の話から明るい展開が期待される。祝賀会では木更津の伝統芸能である芸者衆が県内外から集まった多くの人達を魅了していた。
 午後2時過ぎに祝賀会が終わり、朝日庁舎で12月議会に向けた質問の調整を行い、市内で雑務を片づけてから帰宅した。
 
 25日は選挙で溜まっていた書類の片付けを行い、天気が回復すれば除草を行う予定だったが午後から雨が強くなってきたので事務所に籠もってHPの更新を行い、夕方から翌日の行政視察に向けて荷物の整理を行った。
 
 26日より基地対策特別委員会の行政視察で青森県の三沢市に出張する。三沢空港には羽田からの空路が就航しているのだが、朝の便では出発が早くなりすぎるので往路は内房線と新幹線を利用する。夏以降で3回目の視察に使う東北新幹線で八戸駅をに降り「青い森鉄道」で三沢駅に降り立つ。ホテルに荷物を預け、寺山修司に起因する盆カレーをホテルの食堂で食べて、歩いて市役所に入り研修を開始する。
 
1.青森県三沢市
 市制施行 昭和33年9月1日
 人口 39,847人(平成29年4月1日現在の住民基本台帳登録数)
 面積 119.87km2
 平成29年度一般会計予算額 221億43百万円
 単年度財政力指数 0.47 (平成27年度)
 視察項目 三沢基地に関する取組について
 視察は小比類巻議長の挨拶の後、政策部の基地渉外課から基地対策について、そして政策調整課から三沢空港の民間利用について説明を受けた。三沢市は昭和6年10月4日にMiss Veedol号が2人のアメリカ人を乗せて飛び立ち、人類史上初の太平洋横断飛行を成し遂げた事に示されるように飛行機と縁のある街である。
 現在市内には日米共同使用の三沢飛行場の他に対地射爆撃場と八戸給油施設の送油管施設が存在し、その総面積は22.15km2で市の約1/5を占めている。また米軍とその家族は住民基本台帳には登録されていないものの約8千人が暮らしているため約6人に1人が米軍関係者という状況である。
 米軍にはF-16が約40機、航空自衛隊には米軍のF-16をベースに国産化されたF-2が約20機配備されているため、70db以上の騒音が5秒以上続く「騒音」が年間に3万回以上計測され、苦情は毎年4百回程度寄せられている。なお曲技飛行の訓練が行われるときは苦情の数が特に増加するとのことである。騒音対策として、昭和63年から第2種騒音区域の住民の集団移転が進められ、平成22年までに552戸(84.7ha)が移転している。なお、移転が終了後に東日本大震災の津波が押し寄せ、跡地は津波に飲み込まれたようだ。移転事業が遅れていたら大きな被害が発生したかもしれないとの事だ。その震災の復旧にも米軍から多くのボランティアが手助けしたという事である。また、第1種区域では防音助成の金額を数年前から増加した結果、申込者の増加を招き、平成29年3月末での対策待機者は2,090世帯を数えている。他にも年間約40〜50億円の民生安定事業も行われており、基地交付金が毎年約20億円なので一般会計予算に占める割合は高い。そのためか三沢市は米軍基地が常駐する自治体の中で唯一となる「基地との共存共栄」を掲げ、協力体制を執っているものの、言うべきことは言える関係を目指している。
 基地の運用は紳士協定でAM7時からPM9時までの飛行と決められ、米軍は即応訓練として年間に10日程度の夜間訓練を行う他は基本的に遵守しているようだ。自衛隊も国籍不明機が夜間に進入した場合はスクランブル発進するが、その回数については事後報告もされていない。紳士協定なので運用時間等の協定書(又は覚書)は存在しないが、「
三沢市と三沢基地米軍との連絡協議会設置条例」を昭和28年12月14日に制定し、条例設置の協議会で問題点や要望点の意見交換を行っている。協議会には米軍・自衛隊・市の他に教育委員会や警察、県などの関係機関も委員として指定され参加している。
 連絡協議会での提案により、米軍提供財産である緑地を市のイベントに一時使用することが可能になったり、道路標識に英語表記が増えたり、転入してきた米兵に対するオリエンテーションへ市が協力するなど友好的な関係が維持されているようだ。このような協議会の制度は対自衛隊としても見習う点が多い。
 国への要望は市長と議長が連名として、年に2回(概算要求時期の夏と本要求時期の秋)行い、副市長と基地対策特別委員会の全員が仙台の東北防衛局へ出向いている。また基地交付金の要望については東京の総務省まで人数を絞って要望活動を行っているようだ。要望書のコピーもいただいたが具体的な事に踏み込んで記載されていた。
 三沢空港の民間利用については日米の取り決めの中で1日に7便(往復)の枠があるが現在は5便に留まっている。またビジネスジェットやプライベートジェットの運航実績は無いとの事である。供用開始に当たり日米安保の米軍使用を定めた規定の変更が行われているハズであるが、経緯については解るものが居ないことが残念であった。
 
 予定時間を超える視察を終えてホテルに歩いて帰る。夕食を食べた後で木更津市で米軍が撤収せずに常駐し続けた場合に、どんな街に成っていたのかをイメージするため、視察団の有志で三沢ナイトホッパーズのガイドを受け、夜の三沢の街やアメリカンバー・基地への引き込み線の廃線跡等を巡る。
 多くのアメリカ軍人との遭遇を想定していたが、ハロウィンの直前なのでアメリカ人は家の中で作り物が忙しいらしく、バーには出ていなかった。それでも両替機や世界のビールを置いている店などに、街の雰囲気を感じながら生活者目線での問題点等を色々と質問させていただいた。
 
 27日は9:40にホテルへ迎えに来てくれた航空自衛隊のバスに乗り三沢基地を視察する。2月に視察した岩国基地に比べ警備が緩くなっている気がしたが国際情勢の変化かも知れない。三沢基地は昭和17年に海軍航空隊の基地として開設され、戦後は米軍が占有する中で昭和29年に航空自衛隊が配置されて共同使用を開始し、昭和36年からは航空管制権を米軍から引継ぎ、現在は米軍機と民間機を管制している。また昭和53年に小牧基地より航空自衛隊第3航空団が移駐し、日米ともに戦闘機群を擁しながらソ連(現在はロシア)の脅威に対応する位置付けとなっている。千歳基地とともに北への対策で重要な基地であることから、現在はF-2が配備されている基地に最新戦闘機のF-35が順次配属される予定である。基地及び基地から9km(=5マイル)の航空管制は自衛隊が行っているものの、三沢基地における自衛隊の占有区域面積は全体の2%に過ぎず、滑走路を含む共同使用区域を含めても34%に留まるなど、米軍のエリアが広い基地である。基地の概要説明を受けた後に格納庫と管制塔を見学させて貰う。
 最高速マッハ2.0を誇るF-2戦闘機をパイロットに説明してもらう。回旋中の最大加速度は9Gに達すると聞き驚く。管制塔の視察では撮影も録音も禁止されていたが、どの様に航空管制を行っているか見ることが出来て参考になった。最後に基地の隊員が食べている昼食を体験して基地を後にして民間空港に移動する。
 
 三沢空港に着くと東京行きの飛行機まで時間があるので百円を払って屋上デッキに出て大阪行きの飛行機の姿を見る。民間利用区域から基地への進入を防止するためか、管理境界に可動式のゲートがあり、飛行機はそれが開くのを待ってから滑走路に進入する形態である。
 そのゲートの基地を、多くの工事車両や航空自衛隊員と思われる人達が走り抜けていく姿も見ると、やはり普通の空港とは違うことを実感させられる。木更津飛行場でプライベートジェットを運航する場合は同様の改良が必要なのだろうかと考えている内に搭乗時間が近づいた。
 使用する機体が大きな機種に変わったこともあり、空席が多い中で三沢空港を離陸する。機内で本を読んでいる内に房総半島上陸に達し、旋回すると窓の外には富津岬の先に夕焼けの富士山が綺麗に見えた。アクアラインバスで帰宅し、この日は早めに休ませてもらった。
 
 28日は台風22号が接近する中で岩根西公民館の第32回文化祭が開催される。展示に関係するサークルが4団体解散した事もあり例年より展示エリアが少ない。ただし展示品の無いような新たなサークルも誕生して現在は46団体が活躍しているそうである。
 文化祭の開会セレモニーが終わり、関係者の公民館視察をお見送りしてから公民館を後にして個人的に「金のすず」に移動する。特別展示のギャラリートークの第1回目が開催されるので、それを聞きに来たのである。真里谷武田氏とその時代を伝えるため、どの様に展示を考えたか参考になる良い話だったが館内は写真撮影が禁止なのでSNSによる情報の拡散が出来ないことが何時も残念である。1時間を超える話を聞き、展示を早足で見学してから自宅に戻り、文化祭で午後から行われる太巻き寿司体験に妻が出ている間の娘の子守を行う。終わる頃を見計らい娘を連れて公民館に行き文化祭を3人で楽しんでから帰宅した。
 夜には福祉会館まで公共施設再配置に関する市民説明会を聴きに行くと、既に石井、鈴木の両議員が会場に入っていた。市民の参加者は数こそ少なかったもの、質疑になると数多くの意見が出され、特に市民の声を聞く必要性が指摘されていた。今回に限らず地区別に説明会が必要だと感じて帰宅した。
 
 29日は台風の接近で江川漁組の海岸清掃と江川区の水路清掃が延期になる中、文化祭2日目の芸能発表が開催される。中学生の太鼓、小学生の合唱と始まり踊りや詩吟など幅広い催しを多くの人が観ていた。私は時折会場を抜けたが最後の会場片付けを手伝ってから帰宅した。
 帰宅後は風雨が強くなり、自宅で溜まっていた録画を観たり、室内を片づけている内に台風は通り過ぎたようだ。
 
 30日は娘を保育園に送ってから台風通過後の海岸等を見に行く。久津間漁港では先週の台風21号で高潮が襲い潮水が大量に流れ込んだと聞く。
5年前の9月議会の質問で指摘したことが現実に成ってしまったのである。これまで対応させられなかった自分の力不足を羞じるばかりである。
 自宅に戻り私的な仕事を片づけた後、HPの更新を行った。視察をまとめながら作業すると夕方までパソコンに向かうことに成ってしまった。
 
 31日は市内で所用を済ませた後、午後から千葉に用事があったので、巌根駅から電車に乗って先月25日に第2段段階に進化した千葉駅ビルを見する。屋上にはハロウィンらしく巨大なカボチャがゴロゴロと置かれていた。喫茶と本屋の一体化など最新の形態に感心する。電車で木更津に戻って知人と待ち合わせて飲んだ。
 
 
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2017年11月上旬の記録