21.7月下旬の活動記録
 21日は万石会場でラジオ体操を行った後に岩根西公民館で投票を行い、昼前に娘と図書館に行って絵本を借り、午後からは万石区の子ども祭り設営準備の慰労に顔を出し、その後各所で所用を済ませて帰宅する。日没後に娘と花火を楽しみ、夜は参議院選挙結果をテレビで見ていた。
 
 22日は朝からベトナム訪問の荷物を準備してから駅前庁舎に登庁し、11時から君津郡市広域市町村圏事務組合議会の事前レクを受ける。
 昼食後に新消防庁舎へ行き國吉副議長と総務委員会の正副委員長とともに内部見学をさせていただく。内装に木を多く使っていたが内部の写真の使用に総務部長が難色を示したので訓練棟の足場を解体している写真を掲載する。個人的には車庫の床が雨天時に滑りそうで気になった。
 夕方に観光協会に顔を出して明後日からのダナンの情報を仕入れながら夜は街中の調査に出かけた。
 
 23日は娘を保育園に送ってから自宅に戻り事務所の片付けと旅の荷造りをする。部屋の掃除を終えてHPの更新を済ませ、夜は妻に地元行事の引き継ぎを行い早めに床に入った。
 
 24日は5時前に巌根駅に着きJR内房線の始発列車に乗って千葉駅で乗り換え成田空港に向かう。7:30の集合時間より早めに着くが乗り換えがゆとりなので良い。まずは18名(議会2,商工会議所3,観光協会4、市職員2,一般参加7)の木更津市ダナン視察訪問団が9:30発のベトナム航空VN6319便でダナンに向かう。因みに渡辺市長一行は翌日参加である。空港から先ずビーチ見学をしてホテルへ到着する。
 16時からホテルの会議室JETROによるダナン経済事情セミナーを受け、次いでホテル三日月の藤縄支配人より「ダナン三日月」の計画概要を聞いた。三日月は単なる日本式ホテルの進出でなく多くの日系企業と供に日本文化をノアの箱船のように運んでいく文化拠点に成るという話しに感銘を受けた。
 なお、この日は航空自衛隊の盆踊り大会が有るのだが、永原基地政策委員長に議長の代理で出席してもらうとともに、妻子を一般客として現場に派遣して地元の方々に挨拶してもらった。また4年連続甲子園を目指していた木更津総合高校は習志野高校との準決勝で延長の末に敗れたことを知る。夜の綺麗な街並みに感心し、木更津から届けられる情報に一喜一憂しながらダナンの夜は更けていった。
 
 25日は午前中に日本と縁の深いホイアン見学をし、午後2時半よりダナンから日本への送り出し機関である『COSEVCO-IMEX』を視察する。空港に到着したばかりの渡辺市長は視察に参加せず、送り出し機関のでは私が団長のような立場に成ってしまった。
 説明員はこの会社に勤務する日本人で日本側の受入機関の問題も指摘された。また既に百万都市になっているダナンでは街中の子は海外に行きたがらず、日本に行く意欲のあるのは農村部の子になっており、特定技能者制度も両国政府の間で細部が決まらず進んでいない。簡単に人は集められないことを知る。
 木更津市内の企業では建設や介護を中心に一刻も早くベトナムの若くて優秀な人材が欲しいという声を聴いている。その事は考え無ければならないが、一方で日本を出る前にNHKで放送されたベトナムから来日した留学生がバイトに疲れ勉強を教える意欲のない学校に愛想をつかして退学して不法滞在者となり銚子での夜間密漁で亡くなった話を思い出し、受け入れる自治体側には何をすべきなのかと考えていた。
 17時からはダナン越日文化交流フェスティバルの開会レセプションに参加する。渡辺市長が来賓席に行く事は理解していたが、私も同じテーブルに席が設けられており、ダナン市人民評議員会議の議長の横に並びながら開会式を見守り関係自治体表彰の次の鏡開きに参加する事になった。
 同じテーブルには在ベトナムの梅田特命全権大使も座り、ベトナム議会は国家主席の提案に反対することが有るなど、一党独裁でありながら民主的に運営されているという話を聴く。また隣の席は岡山県美作市の副市長で、美作市ではダナン大学と協定を結び日本語学科の卒業生を市の職員として短期的に受け入れる他、商工会が受入機関となってベトナム人のケアに回っている事を知る。木更津市でも取り組めることは数多くありそうだと勉強になる場であった。
 
 26日は8時からダナン市役所に向かい、8時半からダナン市と日本各自治体間の労働力協力推進セミナーに参加する。またしても最前列に席があり、私費で参加しながら議長の立場を続けることになる。
 日本側の列席者は在ベトナムの麻妻次席公使を始めとする大使館の方々に続き渡辺市長と私が座り、隣は横浜市の福祉局長であった。大使館からは適切な送り出しを行う為に問題のある業者を摘発していることの事例紹介や留学に関する情報を大使館のHPに載せている事との紹介があった。
 渡辺市長からは木更津の紹介の後、現在ベトナムは市内で3番目に多い外国人であり三日月や八天堂の職員は楽しく働いている事のPRが行われた。次に横浜市のPRとなったが福祉局が年間3千億円の予算であることとか労務単価が高いことや家賃補償を行うことなど、資金力では敵わない相手が参加していることを実感として知った。次の長崎県は数百年続く交流の歴史を武器に労働力確保を図っており、木更津市もサポート体制を確立しないと獲り負けることを実感させられた。
 3時間を超えるセミナーを終えて昼食を摂り、フェスティバル会場の下見を行ってから一旦ホテルに戻って休憩し、午後4時に再度市役所へ行って友好都市の調印式に参加する。席は市長の次の場所で三日月Grの小高社長も式に列席し、向かいには昨夜同席していた評議会議長が着座して式典は始まった。
 意見交換の後に調印を行い、記念品を交換しあった後は双方の主要メンバーでダナン市長主催の夕食会を行う。レセプションの行われた海の見えるホテルまで私は先方の議長車で送られる。意見交換をしながら食事は始まりワインを楽しむが、市長は首相との会談があるということで終了となる。首相が訪ねて来るというレベルにダナン市が有ることを改めて驚かされる。市長を見送り迎えに来たバスでダナン越日文化交流フェスティバルの会場まで移動し、やっさいもっさいに備えて慌ただしく車内でTシャツと短パンに着替え、開会直前の19時に会場に入る。
 会場にはダナン三日月のベトナム人従業員を始め、ハノイやダナンを旅行中の木更津市民が沢山駆けつけ、総勢が何人となったのか把握できないような状況の中で渡辺市長より友好都市の調印を行ったことの報告があり、木更津市の紹介として映像を見せた後で訪問団はやっさいもっさいを踊るのであった。
 余韻の残る中でフェスティバルを楽しみ、その後は訪問団と参加者の交流会をレストランで行う。私は締めの挨拶の中で、2年後に完成するであろうホテル三日月でまた逢いましょうと言ったので、次回は妻子を連れて訪れようかと考えている。
 
 27日はお土産の買い物や荷物の整理を終えてから古都フエの見学に出かける。王宮を見学するだけかと思っていたら日本酒の工場見学があり、ベトナムに広がる日本食文化についても学ぶことになった。帰国は0:30発のベトナム航空VN6318便で、出発は遅れた。
 なお、この日は午前中に地元の日枝神社の祭礼が有ったが当然出席することが出来ず、妻子に代理で行ってもらったところ、抽選の籤で娘は2年連続で1/250確立の1等を引き当てたようだ。
 
 28日は予定より約1時間遅れて飛行機が成田に到着し、空港で訪問団は解散となる。私はJRで帰路に着き11:44に巌根駅に到着する。迎えに来てくれた妻の車に荷物を積み込み、そのまま万石子ども祭りの列を探しに行くと、集会所に帰る少し手前で追いつき20分ほど一緒に歩いた。
 集会所で地域の方々と懇親を深めている間に娘が抽選でまたも良い商品を当てたようだが、他の男の子が当てた水鉄砲と交換したらしい。この夜は順延していた富津の花火大会があることは知っていたが、流石に夜行便の疲れが出てきて早めに風呂に入って寝ることにした。
 
 29日は江川会場でラジオ体操を行い、保育園経由で駅前庁舎に行って執務を済ませ、市内で所用をして回る。午後からは中里・江川・久津間の3漁協協同でのオスプレイ暫定配備説明会に組合員として参加する。その後はエアコンの効いた事務所に閉じこもりHPの更新をしたが
旅行記録の整理に苦労し、作業終了は午後10時を回ってしまった。
 
 30日は久津間会場でラジオ体操を行い、保育園に娘を降ろしてから参議院選挙後に手が回らなかった看板撤去等の作業を行う。その後、キサトラの練習で走ろうかと思っていたが危険な暑さになっていたので自宅で事務仕事を処理し、夕方は木更津市議会議員OB会の懇親会に来賓として列席させていただき、諸先輩からの薫陶を受けた。
 
 31日は岩根4丁目会場でラジオ体操を行い、保育園に娘を降ろしてからキサトラの練習でもと思ったが前日よりさらに危険な暑さになっていたので中止して早めに市役所に行く。午後1時から議会事務局で諸調整を行い夕方に帰宅。午後6時から岩根西公民館でのオスプレイ暫定配備説明会に地域住民として参加する。今回で住民説明会が12回目という事であるが私も最初の原田副大臣の説明から数えて5回目の説明を聞くことに成っている。暫定期間や騒音等の対策に関する意見は常に多く、回答は検討を深めた気配が無いことが残念に感じる。企画部が防衛省とどの程度詰められるのか、地元として、議会として見守りたい。
 
 
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2019年8月上旬の記録