27.9月下旬の活動記録
 21日は朝からボラセンへ行き、実務の流れを見ながらニーズ調査の手伝いに市内を走り回る。連休初日なので人も多く、学生消防団もボランティアとともに活動していただき、永原議員はマイクロバスでの送迎をするなど、109名で39件のニーズ対応を済ませた。
 木更津市の社会福祉協議会も災害ボランティアセンターの開設について勉強をしているし、現実に他所の被災地で経験を積んでいる職員も居るのではあるが、実際にやってみると多くの問題点や不手際に気付くこととなり、私も他所での経験からアドバイスを加えているが、実践の経験を積むことが今後の大きな財産になるだろうと信じる。
 午後4時前に帰宅して婆に見てもらっていた娘の子守をしながら妻の帰宅を待ち、夜はニュースで流れる台風15号災害対応を見続けた。
 
 22日も娘を婆に預けて朝からボラセンに行き、他のボランティアと瓦礫処理に汗を流し、空いた時間でニーズ調査を手伝う。まだ屋根が飛ばされたままの家や雨漏りでカビ臭くなり家財の処分にも困っている家など、今回の風による被害の大きさを改めて実感する。停電世帯の数は一桁になったようだが、ポツンと停電している家屋も有るようだ。
 昼過ぎに帰宅して着替え、午後3時から娘を連れて旧人参湯に行き、木更津銭湯フェスに参加する。妻が休日出勤で娘も一緒であるために自家用車で来たので麦酒を飲みながら楽しむわけには行かなかったが、娘も音に合わせて踊って楽しんでおり、大変だったと思う開催に感謝したい。
 この日は君津市議会議員選挙の投票日であるが、子どもを寝かしつけている内に一緒に寝てしまい、結果を知ったのは翌日になっていた。
 
 23日はパークベイフェスティバルの開催予定日であったが中止になっており、合わせてナチュバルとFeelも中止である。お彼岸なのでボラセンに行かずに午前中に墓参りを行う。お墓の周りの枝は折れ、隅に山と積んであった。この日は妻が娘の子守をしているので、午後に久々のHP更新作業等を行った。夕方まで台風17号に起因する強風が吹いていたが予報の雨は来なかった。夕日も射したのでダイヤモンド富士が見られたかも知れない。
 
 24日は娘を送ってから駅前庁舎に行き、10時より交通政策特別委員会協議会に出席する。議題は@路線バスに関するアンケートのうち真舟地区の集計結果とA運転免許返納者への取組についてであった。前者は国土交通省のアドバイザリー制度を活用して地域懇談会で意見集約を行っているようだが、具体的なダイヤや路線の再編まで繋がるのか見守り続けたい。後者は近隣三市がそれぞれに制度を設ける中で木更津市だけ対策がない事に問題意識を持って渡辺委員長から説明を求めたもののようだ。市民部からの説明であったが高齢者を所管する福祉部は来て居らず、考えとの整合なども課題であろう。
 委員会終了後に緊急質問の確認を行った後に帰宅する。午後は私的な仕事を処理し、娘を迎えに行き、夕方は来客に対応した。
 
 25日は娘を送ってから自宅に戻り工事の立会を行う。外では航空祭の練習が始まったようでヘリコプターが編隊飛行をしていた。昼食後に登庁し、13時より議会運営委員会の事前打合せを行い、14時より基地政策特別委員会協議会に出席する。議題は@市議会による要望活動の報告とAオスプレイ暫定配備に係る住民説明会の報告についてであった。前者は8月2日の臨時議会で議決され8月9日に北関東防衛局へ提出した要望書に対する口頭での回答を報告したもので特に質疑はなかった。後者は15回、延べ人数575人(その内私が4人)に対して行われた説明会の報告と、回答が明瞭ではなかった項目を25点に集約して市から防衛省に対して質問を行うことの説明である。充分な回答を得るために防衛省と意見交換を行った後に市が説明会の報告書を造り、地元区長への報告・HPによる公開・報道機関への情報提供にあわせ特別委員会での説明も行う予定である。オスプレイの暫定配備は木更津市が前面に立っているが「木更津が勝手に決めた」と言われないよう近隣市でも説明会を開催するように県へ働きかけて欲しいという意見も出された。最後に佐賀空港の状況とオスプレイが輸送を担う前提の水陸機動団の視察を11月に行うことを決めて委員会は終了した。
 夕方にダイヤモンド富士を期待して江川海岸に行くと観光バスは居なかったものの、多くの観光客が訪れていた。
 
 地平線に雲が横たわり富士山は山頂部のみが見えるだけで、個人的には写真として面白くないが、皆シャッターを切り続けていた。
 久津間海岸への海岸沿いの道は通行止めになっており、近くには台風で転倒している第二料金所がそのままで有ったが、それを撮影している者は私ぐらいであった。台風の強風に耐えた電柱も近々撤去される運命にあることをどの程度の人が知っているのだろう。
 
 26日は前夜に娘より早く寝てしまったので目が覚めてしまい、未明に起きてHPの更新を行う。かずさ四市では面的な停電と断水はほぼ解消した模様であり、これからは復旧から復興へ舵を切らねばと、議会最終日を前にして考える。
 朝食を摂り娘を送ってから駅前庁舎に登庁し9時から議会運営委員会に出席する。議題はこの日の本会議で行う緊急質問の日程追加であり、議長からお願いしていた件なので異論もなく委員会は終了する。10時より本会議が開催され緊急質問の同意が得られたので重城総務委員長より台風15号に関する緊急質問が行われる。概要は下記の通り。
 災害対策本部は9日の9時に立ち上がったが停電の長期化が見通せず東電職員が対策本部に入ったのは11日からだったことや、対策予算が予備費の流用で工面できない場合は臨時議会も想定していること、畑沢中学校や岩根小学校等の複数箇所で公共施設の飛散や倒木で民家に被害を発生させたこと、故障やバッテリー切れで放送が出来なくなった防災広報無線は15喜あって放送内容についても子どもにも解りやすい表現を検討すること等、多くの事が明らかになった。今後は市による総括が重要と考える。
 続く議案審議で上程議案は全て可決され9月議会が終了し、直ちに議員全員協議会を開催する。議案は下記の通りである。
番号 内容(件名とは異なる) 関係部
No.1 公共施設再配置基礎調査業務の中間報告 総務
No.2 国民保護計画の改定 総務
No.3 小中学校空調整備事業のスケジュール 総務
No.4 中心市街地活性化基本計画の意見公募 企画
No.5 新火葬場整備運営事業に係る地元対応 環境
 内容は全て常任委員会で説明済みなので記載は省略する。全員協議会終了後にブルーベリーランに出場する議員を議長応接室に集めて自粛するか否かを議論し、職員チームが不参加を決める中でも復興に向けて盛り上がるべく参加する事を決める。昼食後に都市計画審議会の事前説明を受け、その後は委員会運営に関する諸調整や今後の日程の変更等を打ち合わせて帰宅し、夜はJCの友人達と懇親会を行った。
 
 27日は娘を送ってから自宅で雑務を片づけ、12時より石井貢元木更津市議会議長(第30代)の告別式に現職議長として列席する。駅前庁舎に移動し14時からは都市計画審議会に出席する。諮問された議題は@岩根西の生産緑地の廃止とA地区計画(9地区)の変更についてであり、他に湯名・大鐘地区における地区計画の状況と都市計画審議会条例の変更について報告が成された。前者は平成4年に指定されたものが農業経営者の死去により廃止しようとするもので後者は内規で行政指導した基準を明確に地区計画に記載しようとする者である。個人的には地区計画の名称変更や請西第2・第3と分けられた地区計画を統合することも検討すべきと思うが県協議が必要と成らない今回の小規模変更に留めたようだ。資料は98頁に及ぶものだがペーパレスなので有り難い。
 その後は議会事務局で諸調整を行い、市内で雑件を処理した後に娘を迎えに行ってイオンモールで外食をする。既に電力復旧部隊は解散されていたようで車両もなかった。
 
 28日は市内で雑務を処理してからボラセンへ行って様子を聞き、昼食後はイオンに行って13時開始のまちづくりコンテスト発表会を聞く。
 多くの人に知ってもらおうと中間発表のように中央公民館大ホールではなく、イオンのイベントホールで開催されたが雑音が多くて発表者は大変だったであろう。子育てや若者の居場所造りなど9チーム、49人による報告は興味深い視点が有った。最優秀賞は「リビングケア」が受賞した。
 アートによる居場所造りという芸術家ならでわの提案も素晴らしいが、市長賞を取った児童館の提案が私にも興味深い。妻の実家がある新座市は児童館があり里帰した雨の日に使わせていただき便利さを実感している。子育て世代の転入施策という視点でも検討すべきだろう。
 授賞式が終わって一旦帰宅し、明日の旅行準備で忙しい妻に代わって子守をして江川運動場まで散歩する。夕方になって着替えて家を出てかずさ青年会議所と中華民国の花蓮青年商会による姉妹締結50周年記念式典・祝賀会にOBとして出席し、訪日した台湾の友人と杯を酌み交わした。
 
 29日は朝4時に起床して福岡に日帰りする妻を羽田空港に送り、娘を婆に預けて9時に潮浜公園に行き、ブルーベリーランの開催イベントの直前まで会場の様子を見る。
 9時20分に岩根小学校に移動し10時から岩根西地区敬老会に出席し檀上から挨拶を行う。今回も77歳以上の約2割となる210名が参加予定とのことで台風被害の中で減少しなかったことに安堵する。例年だと昼まで見学するが小学生の発表を見終えて直ぐに車に乗り、老人福祉センターへ移動した。
 11時30分から開催される中郷地区敬老会に出席するが、強風被害の顕著な中郷では敬老会の開催について激しい議論があったようだ。確かに富来田地区と金田地区では中止を決定している。私は挨拶の中で家屋等への被害が大きいことや未だに補修が済んでいないことは承知していますが、人的被害が極めて少ない状況で台風通過から二十日が過ぎていますので、復興に向けて日常を取り戻し、自粛を取り止め明るいイベントを増やしていきましょうと話させていただいた。
 挨拶を終えて降壇し、直ぐに自宅に戻ってランニングスタイルに着替えて再度潮浜公園を目指す。3時間耐久の最後の30分間となっていたが襷を受けて1.6kmを雨の中で走る。練習をしていない状況は直ぐに呼吸と足に現れ、たった一周の10分弱が辛かった。
 木更津市議会チームは完走148チーム中129位という予想より良い結果であった。閉会式を見終えて完走証を受理して帰宅し、17時に地元の寿司屋に行き、岩根西敬老会の反省会に出席する。同時刻に花蓮の友人達との懇親会もあったが、妻の帰宅が遅くなることもあり、そちらは心苦しいが失礼させて頂き、20時から子守に専念させていただいた。
 
 30日は娘を送ってから社会福祉協議会に行き、日常を取り戻している状況を見ながら昨日までのボラセンの統計を入手する。帰宅してHPを更新してから駅前庁舎に行く。13時30分に市長室で法人会からの寄付金を市長とともに受け取る。これは11月22日に開催される橋下徹氏の講演会のチケット売上120万円をかずさ四市に各30万円づつ台風15号災害の義援金として渡すものであり、青木会長を始めとする4人が届けに来てくれた。その後、雑談をしてから別れ、会派室で会派要望の作業を行う。タブレットには防衛省に対しオスプレイの暫定配備に関して市から25の質問に加え千葉県が行う14の質問が公開されていた。来月一杯がその答弁期間となっているが、議論を進めるためには早めの答弁を頂き不明な点を議会として詰めねばと思う。15時過ぎに帰宅してHPの更新を続ける。台風襲来前はダナン訪問団の反省が予定されていたが延期となったので、月末で多忙な妻が残業をする事を認めて、その代わりに娘を迎えに行って妻の帰宅まで子守を行い、夜になって「
最近思う事」の追加や「活動報告」の更新を行った。
 
 
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2019年10月上旬の記録