36.12月下旬の活動記録
 21日は休日出勤する妻の代わりに子守をしながら娘の絵本を図書館で探し昼食を摂る。娘を婆に預け17時から賢友会総会及び懇親会に出席し、私も木更津市の近況について簡単な報告を行った。因みに現在の賢友会の会員は、顧問である県議会議員4人と木更津市議13人・君津市議13人・富津市議11人・袖ケ浦市議14人の合計55人である。
 総会後、先月1日から君津商工会議所の会頭に就任した榎本さんの講演が有り、君津IC周辺開発を進めることと商工会議所が外国人材の受入機関に成ることを目指すことが披露された。木更津市でも産業用地の不足や外国人材の要求も高く、君津市での取組は刺激的であり、今後も注視したい。
 講演会の後は、四市の保守系議員が一同に会して懇親会を行う中で意見交換を行った。この様な場は特に若手にとって有意義であり、その夜遅くまで君津や袖ケ浦の市議と様々に情報交換を行った。
 
 22日は市内で雑務を処理し、昼から娘を連れてアクアラインを渡り、都内で所用を済ませた後に子供連れの忘年会をする妻に娘を渡すため、大井埠頭中央海浜公園で時間調整を行う。こんな時に限り鉄道線路内に人が立ち入るなどでダイヤが乱れ、長く待つ。
 品川で午後4時半に娘を渡し、急いで帰宅してスーツに着替え、18時開催の万石区忘年会に出席して1年間の労を互いに労い会う。平成年間は毎年天皇誕生日と決まっていた開催日が令和になってから冬至に近い日曜日に変更となっている。地域の方々とは農地整理に向けての取組や小櫃川の堤防の整備など翌年以降の様々な宿題をいただいた。
 
 23日は議長就任以来、家族サービスが疎かになっていた反省を込めて妻子を連れて水上高原に泊まりに行く。スキー場は20日から開設予定であったが雪不足で延期となっている。夕刻に宝川温泉の混浴大露天を湯浴み着を付けて皆で楽しんだが、当然写真撮影は禁止なので途中の一枚を掲載する。
 
 24日は朝から雪が降っている中でホテルの露天風呂に入り、朝食後には2箇所のキッズパークで雪と戯れ小さな雪だるまを造る。昼過ぎに水上を出て途中で妻の実家方々に挨拶し、首都高の渋滞を経て18時半に木更津に戻りクリスマスイブの回転寿司を楽しんだ。
 帰宅後は明日のオスプレイに関する市長日程等の議会事務局から届いた情報をタブレットで読み、荷物を片づけて早めに床に着いた。
 
 25日は娘を保育園に送ってから私的な仕事を片づけた後にHPを更新し、市内で買い物を済ませてから市役所に登庁する。既にニュースでは午前中に渡辺市長が河野防衛大臣に面会し「オスプレイの暫定配備期間は5年を目標とする」事などの発言を受けて配備に協力する事が報道されている中、千葉県知事との面会を終え、記者会見をする前に私と永原基地政策委員長に対する市長からの報告が行われた。防衛省との書面交換は年明けに成る見込みであるが、基本的には議会の意見を受け容れていただいた中での判断なので評価すると供に、今後の協議会設置や周辺地区への対策について議会としても検討したい。帰宅する前に議会事務局からメモが渡された。内容は元防衛副大臣の原田代議士から協力を判断していただいた事に対して市長と議長に御礼の電話が有ったという件であり、立場を離れても丁重な対応に感動する。
 自宅に帰ると「房総いいね!スタンプラリー」の当選券が複数届いており気持ちを良くしながら雑務を処理していると新聞社からの電話取材が有り、夕方には娘を保育園に迎えに行き、スーパーでチキンとピザとワインを購入して帰宅し、自宅で簡素なクリスマスを楽しみながら妻の遅くなる帰宅時間まで子守をしていた。
 
 26日より大掃除を始める予定であったが、雑用が次々と入って捗らない内に夕方となり木更津駅前から出発するバスに乗りホテルオークラで開催される渡辺市長後援会の青年部主催の忘年会に出席した。木更津に戻りお迎えを待つ富津の仲間と軽く飲んで外に出るとタクシ−を待つ長い列が出来ていた。
 
 27日は娘を保育園に送り、そのまま消防署に行って仕事納めの日に行う特別点検に市長・副市長と供に出席して挨拶をする。その後、議会事務局に行って副議長と供に駐輪場の指定管理解除と事故に伴う和解の専決処分について担当部の説明を受ける。議会終了後に色々と有るものだと考えながら議員への情報提供方法について指示を出す。
 帰宅後に捗らない大掃除を続け、夕方には齋藤議員の御母堂の通夜に列席する。夜中にはHPの更新でもと考えたが溜まっている録画を見てしまった。
 
 28日は土曜日であるが娘を保育園に預けて自宅で雑件の処理とHPの更新を行うが2時間もせずに娘を迎えに行かねばならない。
 11時半に娘を迎えに行き、買い物と昼食後に完成したばかりの西山公園に連れていく。前区長が様子を見に来て一昨日に完成したばかりと聞く。近所の子どもも遊びに来て賑やかになったところで帰宅して妻の帰宅を待ちながら子守をしつつ、時折HPの更新を行った。
 この夜には青年会議所時代の友人に18時開始予定の忘年会に誘われていたのだが年末なので妻の残業が長引き、娘の面倒を見ていた結果、20時を回ってから出席することになった。会場に入るなり「麦酒と日本酒と運転代行」と注文し、濃厚に懇親を深めて21時に帰宅した。
 
 29日は3時半に起床して市原市で友人を拾い、栃木県に有る前日光高原へ行く。体調も不十分なので高低差が少なく展望の良い山の中から関東百名山である
古峰ヶ原を選んだ。約3時間半ほど歩いて軽く汗を流し、気分転換には成ったが、大掃除や年賀状対応の遅れは酷くなるばかりである。
 
 30日は午前中に事務所で若干の仕事を行い、昼からは娘を預けて山に行ったお詫びに子守を行いながら車の給油や市内での買い物を行う。歳末夜警を行っている地元消防団に激励に行き、娘の就寝後に大掃除の仕上げとHPの更新を行っていたら日付は大晦日になってしまった。
 
 31日は朝から雑件を処理し、その後本日までとなっている看板の許可証を4年先までのものに交換するために市内を自転車で回る。風が強く気温が上がっているので軽く汗を流しながら作業を終え、昼は娘を連れて挨拶や買い物に出かける。昼食後は子どもと遊んでいたが南風が北風に変わって急に冷え始めたものの江川海岸に令和元年最後の夕日を見に行く。電柱はなくなったものの多くの車が駐車場に停まっていた。
 
 例年だと帰宅して紅白を見ながら酒を飲み年越し蕎麦で締めるところなのだが、今年は議長就任に伴い八剱八幡神社より歳旦祭のお招きがあった。宗教行事なので公務ではないが、木更津総鎮守の祭礼に呼ばれることは誇り高いものと考え、夜10時過ぎに送って貰った。
 近くの店に年末の挨拶に顔を出し、午後11時に参集殿に入って着付けをして貰い、浜田代議士の代理として出席している近藤秘書と記念写真を撮る。親戚でもないが名字が同じで名前も「司」「忍」と一文字なのも共通している。その為、時折間違え電話が係ってくる事もあるが、国政上の諸問題で今年も沢山お世話になりました。
 23:55に成ったところで渡辺市長や両県議と供に本殿に移動して祭礼に参加するが、それは次の記録に任せる。
 
 
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2020年1月上旬の記録