54.6月下旬の活動記録
 21日は妻の従妹の家族が潮干狩りをしたいというので江川海岸に同行する。日焼けしない程度の曇りで暑くもなく絶好の潮干狩り日和である。9時に潮干狩り場に行くとバス1台を含む多くの車が停まっており、客足が戻りつつあることに安堵する。大人1,800円、4歳以上の子供900円を払って海岸に降りる。先端までの渡し船は県の感染対策の指導で今年は運行しておらず、幼い子供連れには残念である。
 
 正午までアサリを掘りながらヤドカリを捕まえて娘と遊び、帰ろうとすると雨が降り始めた。3分で帰れる自宅に戻ってシャワーを浴びて食事を楽しみ、従妹の子供達と娘が遊び回る中で茶を飲みながらそれぞれの業界におけるコロナ対応がどうだったのか等の話を楽しんだ。
 この日は夏至で皆既日食があった父の日であったが、夕食にボンゴレを食べただけで、特別なことは何もなく過ぎていった。
 
 22日は午前中に事務所でHPを更新する。自宅で昼食を摂って駅前庁舎に行き各種の調整を行う。市内で所用を済ませながら帰宅し、夕方は保育園に娘を迎えに行った。
 
 23日は午前中に事務所で私的な仕事を処理する。市内で所用を済ませながら昼食も摂り、ついでに波岡の火葬場工事用道路を見に行く。
 私が工事を担当した区画整理事業で切り残した山の薄さを改めて実感しつつ、造成工事で法面保護をしている状況などを私的に楽しむ。その後は畑沢南中学校用地の民間売却後の開発状況などを見て回り、夕方に保育園帰りの娘と公園で遊んでから帰宅し、子守をしながら寝てしまった。
 
 24日は午前中に風疹の抗体検査を受けに病院へ行く。昼前に登庁してから議員在職25年の全国市議会議長会特別表彰を伝達するために石井議員を訪問する。今回の25年表彰は全国で318人で、それより長い30年が46人、35年〜45年が合計で42人であり、7期を越えることの難しさが数字からも明かである。
 自宅に戻って仕事を行い、夕方に娘を迎えに行ってから図書館に回って絵本の返却と借用をすませ、テイクアウトのピザを購入して帰宅した。
 
 25日は早朝の地震で目覚め、娘を送ってから家の仕事を片づけて登庁し議会運営に向けた各種の調整を行う。帰宅してHPを更新し、仕事を処理した後に娘を迎えに行き、在宅勤務の妻に娘を預けて富津公民館に向かい第2期君津地域広域廃棄物処理事業説明会に出席する。
 
 公民館は「密」を回避するため座席が二つ飛ばしになるよう縛られており聴衆は近隣市の議員も居たが、富津市だけでなく安房郡からの参加者も訪れ、人口減少等によって処理量が減ったときの運営等の質疑が行われていた。富津市の議員に聞くと21日の説明会では富津に決まった経緯や安房郡を含んだことに対する反対意見も有ったようだが、この日は建設的な意見が多かったように感じられた。
 
 26日は午前中に自宅事務所で私的な作業を済ませ、昼から社会福祉法人鵬和会さつき園の評議員会に出席する。議題は昨年度決算の承認で、質疑の中でコロナによる離職者が増えても介護人材は集まらない厳しい現状が明らかになった。その後駅前庁舎に登庁し、10時に多くの署名を伴い「オスプレイの木更津基地暫定配備容認の撤回を求める要請」が市に出された概要や対応の聞き取りを行う。帰宅してスーツに着替え、各種団体の最初に「祝宴」が開催される事になる観光協会が主催する千葉県観光物産大会受賞祝賀会に出席する。
 受付では体温と同時にマスク着用の有無が機械的に確認され、会場内は8人座れる円卓に5人として距離を保ち、お酌をしないようにグラスで配るなど対策は徹底していた。私も4ヶ月ぶりの会合になるし、緊急事態宣言下で最も影響を受けた飲食店等の集まりである観光協会が率先して宴会を開始したことに経緯を払う中締めを行いながら、感染の沈静化を祈った。
 個人的な意見であるが、十分な感染症対策をすれば宴会を始めても社会的には悪くないというメッセージを誰かが発しない限り、批判を恐れて開催を見送ることになるだろう。宴会が無くても人は生きていけるが、宴席で生まれる人間関係や新しいアイディアが無くなる事は損失だと私は思う。経済活性化と人間関係の活性化、新しいアイディアの探求のため宴席を再開する時期だと考えているのである。特に今回の自粛の中で影響が大きかった業界の集合体である観光協会加盟者をどの様に個々が支えていくのかが問われるだろうと思いながら酒を楽しんできた。
 
 27日は比較的良い天気であったが、私的な仕事を終えた後は自宅近所で子供と遊んで一日を過ごした。
 
 28日は雨になったので夕方まで家の中で娘と遊んで過ごしてしまった。連日がまるで外出自粛である。夕方には同級生の父親であり、私の父が同級生であり、中里漁協の組合長でもあった昔からお世話になっていた方の通夜に出かける。参列者の席は間を取っていたが緊急事態宣言後では最初の通常の通夜であった。寂しさの中で日常が取り戻しつつある事も感じていた。
 
 29日は朝から晴れて事務所の前にアガパンサスの花も綺麗に咲く気持ちの良い日であるが、午前中は自宅事務所で私的な仕事を片づけてからHPを更新する。午後からは天気の良さにつられて車で館山まで走り、未だに癒えぬ台風の傷跡を見てきた。
 
 30日は午前中に調べものや事務所の整理を行い、午後から銀行に寄って、雨の降り始めた八剱八幡神社を参拝して駅前庁舎に登庁する。
 八幡様は夏越大祓の日で、私も疫病退散芽の輪くぐりをしてきたが、皮肉なことにこの日に市内12例目となる20代女性の感染者が確認されてしまった。前日に最近思う事で感染拡大を危惧していたが、それが悪い方向で的中してしまったことを残念に思ったのは感染情報を知った夜になってからであった。
 駅前庁舎では来月中の専決処分や臨時議会の開催について執行部と意見交換を行った後、議会事務局と日程案を作成するなど諸調整を行った。帰宅後に事務処理を済ませて娘を迎えに行き、テイクアウトをアクアコインで購入して帰宅した。先月と今月でアクアコインの使用高は20万円を超えたが、来月は「きさ食ポン」が始まるので更に使用量が上がるだろうと覚悟して6月が終わった。
 
 
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2020年7月上旬の記録