64.10月上旬の活動記録
 1日は朝から雨の中で娘を保育園に送り、議会事務局と諸調整を行った後に観光協会に立ち寄ってアクアコインをチャージしバルチケットを購入する。その後に朝日庁舎で打合せを行い、午後3時に富津市のキャンプ場に行き、災害ボランティア議連の総会会場の下見を行い、中秋の月を見ながら宿泊する。
 
 2日は未明に起床し、朝霧の漂う郡ダムを見ながら帰宅し、娘を保育園に送ってから自宅で私的な仕事を片づける。夕方には浜田靖一後援会役員会議に出席し、解散総選挙の見込みや今後の活動について打合せを行い、路線バスに乗って帰宅した。
 
 3日は前日のうちに3人の新規感染者が明らかになった事に衝撃を受けながら事務所の片付けや娘の子守を行い、午後からHPを更新する。翌日の袖ケ浦市議会議員選挙の準備をして夜は街中に出かけた。なおこの日より房総いいねスタンプラリーが開催された。
 
 4日は袖ケ浦市議会議員選挙が開始される日なので高校の後輩でもある在原なおき候補の出陣式に参加する。屋外での開催なので密には成っていないが、最近の感染拡大の状況を気にしながらの出陣式であった。6年後輩で初当選は同じ43歳の3期目に期待したい。
 在原候補の他に、前回の自分の選挙の際に激励をもらった友人の候補を回り、帰りがけに旧中郷中学校の前を通るとローバーズのプレオープンで賑わっている。私も駐車場に車を停めて様子を見たが、このピッチから明日の日本代表が生まれそうな期待に溢れていた。
 帰宅してから地域の陳情対応を行い、夕方にHPを更新した。
 
 5日は娘を送ってから駅前庁舎に登庁して副議長とともに市長応接室に行き、10時より木更津市農業協同組合の要望書を受ける。
 議会向けも市長向けと内容は一緒で10項目16点についての要望である。9月28日に農協の理事会において毎年提出しているが要望の達成がされているかと議論も出さ項目が絞られている様である。
 昨年の台風における復旧補助は25%程度の達成率で、今年のコロナによる収入減少が50%未満20%以上の農業者に対する助成金は僅か1件からしか要望されていないなど、近年の特殊事情に対する対応等について、市と農協が調整して進めていくことを改めて確認した。
 13時からは議長応接室で航空自衛隊第4補給処木更津支処長兼木更津分屯基地司令とボリューム会会長の三上議員と意見交換し、市長応接室に移動し、13時50分から木更津商工会議所の要望書を受ける。
 議会向けも市長向けと内容は一緒で通常要望と新型コロナウイルス感染拡大に伴う経済対策に関する要望があり、合わせて7項目14点にわたる要望である。
 商工会議所では感染症に伴い経営状況が厳しい会員の会費を免除する制度が活用され収入が大きく経る見込みであり、それらの企業が廃業に向かわないように留意していくと聞く。また西口に市庁舎を要求する要望に対しては会議所としての行動を示して欲しい向けの意見を述べた。1時間以上の意見交換を行って解散したが、商店街連合の会長である國吉副議長と会議所の永野専務はGoTo商店街の活用のため経済部と打合せに入った。私は議会事務局と諸調整をしてから帰宅してタブレットを確認すると市民部保険年金課と教育部教育総務課の職員が感染したことを知る。市民課職員の濃厚接触者が全て陰性であった事に安堵していたが、間もなく木更津市役所朝日庁舎でクラスターが発生したと発表されるのではないかと心配に成りながら娘を保育園に迎えに行き、妻の帰宅まで子守をしているうちにいつものように寝てしまった。
 
 6日は娘を送ってから私的な用事を片づけ、午後からポルシェジャパンの工事現場を見学に行く。30万m3の大規模土工事なので7月と9月の長雨で現場が遅れているかと思っていたが進捗は順調で建築と舗装を担当するゼネコンも既に乗り込んでいた。意外に樹林が多く残り自然豊かな環境にも感心した。
 帰宅する途中で聞いたラジオから千葉ロッテマリーンズでも感染が明らかになった1軍選手が多いことを知り優勝争いが厳しくなったなと嘆く。自宅でタブレットを見ると市内で昨日明らかになった職員2人を含む新規感染者が5人も出たことを知り、更に危機感を覚えつつ所用を片づけ娘を迎えに行って夜中にHPを更新した。
 
 7日は朝から青空が広がっていたので保育園に娘を預けてから馬来田のコスモスを見に行く。昨年は台風被害、今年は感染拡大で2年続けてイベントがない中、週末には台風が通過する予報なのでその前に綺麗な花に逢いたいと思ったものである。途中で横田駅に立ち寄り袖ケ浦市議会議員選挙の掲示看板を撮影する。平均年齢56.5歳の看板である。
 
 天気予報では投票日頃に台風14号の通過が見込まれることから期日前投票が進むことに成るであろう。私は結果を自宅で見ることにする。
 馬来田に近づくにつれて雲も広がり風も強くなってきた。公民館に車を止めて歩くと武田川の護岸崩壊も目に付き昨年の災害復旧が進んでいない事も確認できる。コスモスロードはイベントが無くても綺麗に整備されており地域の方々の努力に敬意を払う次第である。
 馬来田から千葉市に向かい、所用を済ませてから娘を迎えに行った。
 
 8日は例年なら全国都市問題会議が青森県八戸市に開催される日であったがコロナの拡大で早くから中止が決まっている。
 私は朝から雨の中で娘を保育園に送ってから帰宅して事務所で私的な仕事を処理し、議会事務局に行って諸調整を済ませ市内で所用を済ませて帰宅し来客対応後にHPを更新して夕方に娘を迎えに行った。なおこの日よりGO TO EATのチケット販売が始まった。
 
 9日は娘を送ってから駅前庁舎に行き10時より市長応接室で
会派要望書を提出し打合せを行う。ともすれば議会からの要望は新しい施設やサービスの要求が主となってしまうが、既に時代に合わなくなった事業や合理化できる施設の廃止を要望することも人口減少化の撤退戦を担う重要な責務かも知れない。
 議会事務局と諸調整をしてから帰路に着き、市内で所用を済ませる。帰宅後に私的な事務を処理してから会派要望書の提出に関する記事をHPにアップし、翌日からの旅の準備をしてから娘を迎えに行った。なおこの日より第13回木更津バルが開始された。
 
 10日はツールドちばの中止も決まっていたので宮城の家族旅行を計画していた。台風の進路によってはキャンセルも覚悟していたが沖合の通過と予報が変更になったので安堵して出発することにした。
 角田市の台山公園でロケット見学は出来たが雨のため塩釜神社や松島観光は出来そうもなく先に進むと石巻では雨が止んでいた。震災後に何度も訪れた日和山公園に立ち寄って海側を見ると住宅地が整理され祈念公園が建設されているところであった。震災から9年の時間を感じさせる風景だった。
 まちづくりの成功例といわれる女川駅前の商店街を見てから今夜の宿である女川温泉華夕美に到着し受付を済ませると地域共通クーポンを貰う。3人で約3万円の宿泊費が2万円となり5千円のクーポンも貰えるのだから疲弊した観光地に人を呼び寄せる効果は大きいだろうと思いながらくつろいでいた。
 なお、今晩の女川温泉入浴を持って温泉の入浴箇所数が
千湯(台湾5湯・韓国3湯含む)と成った。子供が産まれて以来は温泉巡りが低調だったが時間を刻めば記録は達成できると嬉しくなった。
 
 
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2020年10月中旬の記録