73.1月上旬の活動記録 |
1日は7時に起床して自宅から初日の出を眺め、お雑煮やお節料理を食べてから江川熊野神社と坂戸神社に初詣に出かける。坂戸神社では例年参道に出ている出店もなく本殿前では参拝客の距離を保つように呼びかける看板も設置されていて、例年と違う正月風景だった。
二つの神社を参拝してから江川海岸へ移動し、富士山の見える駐車場で娘が熱望していた凧揚げを楽しむ。その後は菩提寺の江川光明寺に行って年頭の挨拶を済ませて帰宅すると年賀状が届いていたので家族分を仕分け、自分の分を持って事務所に行き返信を出すためのアドレスを整理した。
2020年末に急激に感染者が増加して年越しとなったが、元日に明かとなった県内感染者数は144人であった。柏市と千葉市が発表していないので県内総数はもう少し多いものと思う。年末年始の休みも取れずに頑張っている医療機関や療養施設の関係者及び保健所職員等の方々に感謝を捧げながら令和3年の初日を終えた。
2日は朝食後にホームセンターの初売りに出かけて雑多なものを購入して帰宅し午後からHPを更新する。とても天気が良いのであるが感染拡大を受けてステイホームの正月休みである。夕方近くになって娘が凧揚げをしたいというので防寒をして江川海岸に向かう。港の入口に漁業組合がロープを張ってあるため、その内陸側に20台以上の県外ナンバーの車が駐車されて居る中で私も橋の向こうに車を停めて海岸に向かう。海中電柱がないため観光客は前のように埋立地の先端だけに集中することなく海の家と港の周辺にも分散してカメラを富士山に向けていた。私達親子は日没後まで凧揚げを楽しみ、観光客の殆どが帰った後に訪れるマジックアワーの美しい風景を眺めてから家に帰った。
ホームセンターで買ってきたコロナ麦酒を飲みながらタブレットに届いた情報で、木更津市民の新規感染者が3人確認され累計で193人に成ったことと、駅前庁舎に勤務する木更津市民ではない木更津市役所職員2人が年末年始に感染者であることが明らかになったことを知る。仕事始めを前に危機感を一層深めることとなった。
3日は新聞を読んで朝食を取り、元旦と3日に届いた年賀状に返信をしたため郵便局に投函に行き、スーパーで食品を購入して帰宅する。この日の木更津市における感染者は2人であったが首都圏での感染拡大は止まらず、東京都と千葉・埼玉・神奈川の各県知事は政府に対して緊急事態宣言の発動を要請した。飲食店の営業が午後8時までに短縮される様であるが忘年会や新年会という稼ぎ時を逃した業界には厳しい仕打ちに成り、倒産や廃業が続くのではと心配になる。
4日は仕事始めである。議会事務局に着くと入口に新しい検温装置が設置されていた。書類決裁を行った後、議長応接室で副議長とともに農業委員会会長や広域市町村圏事務局長の訪問を受け、その後市長に年始の挨拶に行きながら情勢の交換を行い、商工会議所への挨拶文などを記載して帰宅した。
市内で雑務を済ませた後にHPを更新し、夜中は報道番組を見ながら緊急事態宣言の影響を把握しようと努めた。
5日は娘の保育園が任意保育期間であり首都高が横浜青葉まで延長されて行きやすくなったので稲城市の読売ランドまで娘と遊びに行く。
連日感染症の報道が続くためか園内は空いており、屋内型の遊具は多くが休止されている中で何度もアルコール殺菌を受けながら屋外の遊具を楽しむ。多数の利用を前提とした施設の営業は一層経営状況が厳しくなるなと想像しながら日没後のイルミネーションを見てから1時間半かけて帰宅した。
娘を寝かせてタブレットを見ると累計感染者数が198人となり99人から倍になるのに13日しか掛からなかったことと、翌日に定期機体整備に入る米海兵隊オスプレイの5号機が飛来する情報が届いていた。
6日は私的な仕事を事務所で処理し、市内で所用を済ませるついでに駅前庁舎に登庁し議会事務局と諸調整を行い、夕方からHPの更新を行った。事務所で仕事している間にオスプレイは飛来しなかったのか、特別な騒音に気が付くことはなかったが、夕方になって本日の飛来は翌日に延期になったと連絡があった。またこの日に3人の感染が発表され、木更津市の累計感染者数は201名と、次の大台に乗ってしまった。
7日は夕方から開催予定であった木更津商工会議所主催の新年賀詞交歓会が昨年末のクラスター発生を受けて中止になっているので公務のない日として自宅で雑務を処理しHPを更新していると異音がする。
事務所の窓から除くと定期機体整備の5機目となる米海兵隊のオスプレイがヘリモードで着陸態勢に入っていた。網戸が邪魔なのでカメラを掴んで庭に駆け下り撮影する。内房線が停まるほどの強風が吹き荒れている中で飛来してきたことに感心する。撮影時刻は11:16であり家に居て、気付いて良かった。
夕方に都内での感染者数が一気に2400人を越え、市内でも8人の感染者が明らかに成ったことを知る。緊急事態宣言も発出され街中の賑わいが暫く失われることになる覚悟を決めた。
8日は午前中に事務所で雑務を処理し、昼から駅前庁舎に行って議会事務局と緊急事態宣言下の対応やワクチン接種に関する補正予算の情報交換を行う。夕方に娘を保育園に迎えに行き図書館で絵本を交換して駅前を通って帰ったが人々の姿は少なかった。千葉県の感染者数は前日に続いて過去最大を更新し、市内でも12人の感染が明らかに成るなど危機的状況が続いている。
9日は寒波に震えながら午前中に事務所でHPを更新する。今月中に諸手続のために実家に帰ると言っていた妻の判断を待っていたが感染の急激な拡大のために今週も見送ることを決める。この夜は市内で14人が明らかになったが、それより18日間で全国の死亡者が千人増加したことの方が衝撃であった。インフルエンザの方が怖いと豪語してコロナから目を背けていた識者が目を覚ますことだろうと改めて感じた。
10日は木更津市内を3ブロックに分けて成人式を行う日であったが年度末の感染拡大で中止になった。私も議長としては当初から出席できない事を前提にビデオメッセージを撮影したが感染対策を講じた式典が中止になってしまった。楽しみにしていた中学や高校時代の友達と会えない寂しさは辛いだろう。私からは、既に選挙権を18歳で手に入れた世代として今は自らの行い(具体的な例としては感染拡大が報道されているような都内に引っ越した友人との飲み会を行う事)がどの様な結果をもたらすのかという想定を行ってもらい、自粛する辛さを乗り越えて欲しいと願うばかりである。しかし感染対策で会話が少なくなると言っても、心まで閉じこもらないで欲しい。それは若者の生き方ではない。あなた達はもっと大きな視野で世界を見渡して進むべき方向を目指して欲しい。緊急事態宣言が出されても、感染拡大に繋がらないような行為まで自粛してストレスを溜めて潰れるような事がないように願いたい。その様なメッセージを込めた訳ではないが、私も一人で夜明け前から出かけた。
今日の寒波の中で無ければ見られない風景を見るために朝4時に起床し、現在でも累計感染者数4人の東京都檜原村に移動した。目的は払沢の滝と浅間嶺であり滝だけでなく滝壺も氷で満たされている風景や、稜線からの奥多摩の山並みや富士山を眺め、標高差623mを登り「らずfFt」の記録では往復約2万5千歩を歩いて健康になったように錯覚しながら温泉に入って帰宅し、夕方は2日遅れで父の誕生日を娘とともにお祝いした。
帰宅後にHPを更新しながら新成人に送る文章を書込みながら何か伝わるといいなと思っていた。
11日も寒波に震えながら午前中に事務所で雑件を処理してから買いだめしていた本を読み、妻に頼まれ食料品を買いに行き、娘と遊ぶなどして一日を過ごす。昨日に続き市内での感染は出なかったが緊急事態宣言は関西にも拡大されるようだ。感染者数が減少してくるのはもう少し先になり今週前半にはまだ多くの方が明らかになるだろうと思う。
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