78.2月下旬の活動記録 |
20日は袖ケ浦市民会館で開催予定の航空自衛隊による空の音楽祭が中止になり、家事をする妻に代わって娘の子守をする。
午後になり娘を連れて車で袖ケ浦公園に行き散歩していると暖かさに誘われて桜の花が開いていた。鋸南町では河津桜が見頃だと聴くし、春の訪れを感じる。子供と遊んで「らずfit」の歩数を伸ばすつもりだったが、車に積んだままだったと気付いたのは日没後に駐車場に戻ってからであった。
21日は9時から江川区役員会議が有り、今年の総会も書面決議にすることや水防対策として消防団にゴムボートやライフジャケットを配備させたこと、令和7年度に集会所の建て替えを行う方向で調整を進めることなどを決める。近年は小規模な開発行為に伴う住宅建設が増加し区に入っていない住民が増加しているので自治会に入会することによるアドバンテージを考えねばと言ういつもの議論になった。防災や民生委員等の基本的な住民サービスの土台を自治会に依存している以上は行政が考えなければならない課題であり、議員発議で理念条例を作る必要があるかなとか考えながら議論に参加していた。
11時を過ぎて会議が終わったので歩いて自宅に帰り、車に娘を乗せドライブスルーマーケットwithナチュバに注文していた弁当を取りに行く。混んでいるかと思ったが拍子抜けするほどスムーズであり、折角なので現地でアクアコインのチャージをしてから帰宅して家族でお弁当を満喫した。
午後からも暖かい日射しが注いでいたが、娘は公園に遊びに行きたがらず、近所を散歩してから事務所でHPを更新した。
22日は午前中に確定申告の清書と確認を行い、昼食を食べてから駅前庁舎の4階に税務署が設けた特設会場に提出する。次いで7階の議長室に上がって広域市長訴権事務組合の議事録に署名し、14時から8階の会議室で開催される都市計画審議会に出席する。
会議室には私を含め4人の審議員が入室し、委員長を含めた5人はリモートでの参加である。私は通常は委員長が座る場所に着座し、ハウリング防止でインカムを設置して会議に臨んだ。この日に諮問される案件は「木更津市立地適正化計画の決定について」の1件だけである。
年末年始に実施した意見公募では、災害に強いまちづくりは重要であるという賛成の立場からの意見が1件だされただけなので原案通りに決定し、居住誘導地区以外で3戸以上の開発行為等を行う場合に届け出る事務を5月31日から実施することになる。届出だけでは居住誘導地域以外への居住抑制に成らないが、今後は国土強靱化地域計画の策定の中で浸水被害想定区域等への対策を進めていくという事である。開発指導要綱の見直しと条例化、建築基準の上乗せ条例など防災対策で講じなければならない課題はそれ以降の対応となりそうである。
会議終了後に再び7階に戻り議会事務局と諸調整を取ってから帰宅すると北関東防衛局より自衛隊オスプレイの3機目が24日に飛来することになったという連絡が入る。17日に委員会開催の検討を指示していたとおりに進めていたら飛来日に委員会に成ったと思うが後の祭りである。木更津駐屯地には最終的に17機が配備されることは既に説明されているので3機目が来ることは既定路線であるが、せめて飛来前に市民を代表する議会に対して公式の場で報告が欲しかったところである。
夕方まで私的な仕事を処理し、夜は娘を保育園に迎えに行き、都内勤務の妻に代わり子守をして早めに床に入って寝てしまった。
23日は天皇誕生日の祭日であるが、早朝に起床し朝飯前にHPを更新する。朝食後に娘に対し「天気が良いから外に行こう」と誘いかけるが「お絵かきをしたい」と言うので暫く相手をしていたが風が山に誘うので、洗濯が終わった妻に娘を預け鋸山まで汗を流しに行く。
緊急事態宣言発令中であるが鋸山ロープウエイの駐車場は山の上の第2駐車場まで混雑しており、途中の「かなや」や「フィッシュ」も混雑していたので観光で多くの人が動いていることを確認する。私は登山道を山頂駅まで歩いたが誰とも擦れ違わなかった。
下山して帰宅すると妻子は江川運動公園に行っているようなので車で迎えに行く。園路を自転車で走る姿に成長を感じつつも、公道に出たら大変だろうと思いつつ、午後5時前に妻子と自転車を回収して帰宅した。
24日は娘を送ってから自宅で来客対応し、その後は組合の合併に先立ち本日から木更津漁協に事務を統合した中里漁協の事務所を見に行くと旧知の組合員が荷物の片付けをしており、神明神社の一部に倉庫を置いて小物を置く棚を造作していた。
農協は支店を減らし漁協は合併を進める状況にあるのは第一次産業従事者が激減しているからであり、それは第一次産業では会社員のような収入を得ることが難しくなっているために若者の新規参入が少ないためである。この国で第一次産業を営める施策が望まている。
午後から駅前庁舎に登庁し14時から北関東防衛局の訪問を永原委員長とともに受ける。米国との調整も多くて防衛省でも具体的な対応が難しい事は理解できるが、丁寧な情報提供と今後機数が増えて訓練が増える中で訓練場所の選定等は慎重に行うように依頼した。
打合せが終わって防衛省を見送り、議長室で自衛隊オスプレイ3機目の到着を待っていると15:07に駐屯地に到着する姿を確認した。山口県の岩国基地に残っている4機がどの様な間隔で到着するのかは明かでないが、来月中には多数のオスプレイが駐屯し、訓練を重ねる場所になっていく事であろう。
帰宅して他の資料を整理してからHPを更新し、夕方に娘を保育園に迎えに行き、娘が寝てから録画していたガイアの夜明けを見て、浮き上がる家とか業者は色々と検討しているのだなと感心した。
25日は娘を保育園に送って自宅に戻り巌根駅からJRで海浜幕張へ移動する。通勤時間を過ぎたとはいえ内房線の乗客の少なさを感じつつ降り立った海浜幕張の駅前も人影は少なかった。この日は公務がなかったので昨日から幕張メッセで開催されている自治体・公共Week2021という最新サービスの見本市を見学に行く。マスク着用と消毒検温は当然のことのように行われているが、見本市は感染症が心配ではある。
情報機器や自治体向けソフトウエア、防災対策等が多様に並ぶなかを歩き回り、多くの企業ブースで説明を受けたり自治体が求めるサービスについてアドバイスを与えたりして名刺交換を行い、最新の情報を入手して回った。小水力発電所の運営や版画的なスタンプラリーの提案、電子図書館の現状や課題など教えられる事や勉強になる事も多く、気がつくと会場内に4時間近くも居てしまった。
幕春まで電車で来たので、折角だからと多くのパンフレットが入った鞄を肩から下げながら稲毛海岸まで散歩し、オーストラリアから輸入した硅砂で真っ白になったと聞いた浜辺を見に行ったが、波や風に揉まれた結果か天候のためか灰色の浜であった。
知事選挙と常時開催の千葉市長選挙の掲示看板が既に設置されている事を感心しながら稲毛海岸駅まで歩きJRで帰宅した。
26日は娘を保育園に送ってから昨日のパンフレットを仕分けし、私的な仕事を処理してからHPを更新する。午後からホームセンターでの買い物やオイル交換をして帰宅する。地元要望対応を終えてから娘を迎えに行く。夜の放送で東海・関西・福岡では緊急事態宣言が解除される一方で首都圏の1都3県は解除が見送られたことを確認した。争点は3月7日以降に再延長が行われるかどうかである。
27日は緊急事態宣言が開ける前であるが人混みを避けながら健康増進を行うために神奈川県の生藤山から陣馬山にかけての縦走を行う。歩行時間は休憩を含み5時間41分で「らずfit」の歩数は3万歩を越えるハードな歩行を終えて若干筋肉痛になりながら山奥の秘湯に浸かり帰宅して家で夕食を摂った。
28日は朝食を食べた後で事務所で仕事をしていると娘がぞうの国に行きたいという。携帯で調べてみると明日からリニューアル工事で半月ほど閉園し「ぞうの国」という名称は無くなるようだ。隣の市なのに行かないままが気になっていたこともあり、妻子を連れて昼前に急遽遊びに行った。
午後3時前に帰路につき道の駅うまくたの里で買い物をして自宅に戻ると娘の熱が気持ち高くなっている。夫婦で看病しながら早めに床に入れて寝かせつけ、夜中に報道番組を見てから眠りについた。
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