92.7月中旬の活動記録
 11日は朝7時集合で江川熊野神社の草刈であったので6:40に行くと既に多くの氏子衆が作業を始めていた。集合時間は有って無い様だ。
 私も作業に加わり、1時間半ほどで清掃が終わった。夏祭りが行なわれるのだと仮宮の組立を行うのだが、コロナ以前から氏子の高齢化により中止になっている状況は寂しいものである。お茶をいただいて帰宅した。
 草刈機を片づけた後、自宅近くで水路に草が生え、先日の梅雨の大雨で溢れていた場所を鍬で除草してから家に戻り、汗と汚れを水風呂で洗い流す。昼には妹夫婦と共に市内で昼食を取り、午後は自宅で娘と遊んで過ごした。
 
 12日は娘を送ってから事務所で仕事をしていると11時35分にオスプレイの音が聞こえる。定期機体整備の6機目の飛来だと直感し、慌てて庭に出て携帯で写真を取るが電柱に重なる高度まで降りており、望遠で画像も荒れてしまった。
 午後から雑務を処理してからHPを更新し、夕方には保育園で潮干狩りを楽しんできた娘を迎えに行き、妻の帰宅まで子守をした。
 
 13日は娘を送ってから事務所で仕事を片付け、午後から練習風景でも見られないかと小櫃堰公園にし出かけるがボートもカヌーも動いている気配はなく遠雷も聞こえて豪雨が来るかと心配になり買い物をして帰宅する。夕方に娘を迎えに行き夜10時前に寝てしまった。
 
 14日も娘を送ってから事務所で仕事をして午前中に金田まで買い物に行ったついでにナイジェリア選手団の一部が宿泊場所に選んでいるホテルパプリカに昼食の弁当を取りに行く。聞けばナイジェリア大使館から紹介を受けた料理人が働いているようで、日によってはナイジェリア料理も食べられるようだ。
 ホテルに食事を目的に来る人と選手の導線が分けられ、色々と苦労している状況も垣間見ながら帰宅して弁当を食べ、午後はHPを更新してから翌日の準備を行った。
 
 15日から妻子を連れて議長期間の家族サービス不足を払拭するための旅行に出かける。深夜のうちに車に荷物を詰め込み新東名・新名神・山陽道を走り抜けて広島県竹原市に至り、港に車を停めて戦時中は地図から消されていた大久野島に渡る。
 島には住民は居ないが大量の兎が生息する島として世界的に有名である。コロナの前には世界中から年間40万人を越える人が訪れて兎に餌を与えていたが、コロナで観光客が激減し餌不足で繁殖が出来ずに兎も減少していると聞くと様々なところに影響が出ている事を感じる。
 島の誰も居ない砂浜で水遊びを楽しみ、唯一の宿泊所である国民休暇村で泊まってニュースを見ていると、翌日にはIOCのバッハ会長が平和公園を訪れるという。バッティングしないことを願いながら眠る。
 
 16日は9時10分の船で忠海港に戻り、呉の海上自衛隊資料館を見学してから広島市に入り、バッハ会長の規制が完了した平和公園に入る。
 まだ多くの警察官が居て柵の撤去がされている物々しい状況であったが、既に反対派の方々は見あたらず、献花台に置かれたはずのバッハ会長の花も片づけられており、何故か広島での聖火リレーを担当した人達が記念撮影を行っている所に遭遇してしまった。
 岩国で錦帯橋を見てから山口県に入り光市のかんぽの宿に泊まった。この日に定期機体整備が終わった米海兵隊のオスプレイが試験飛行されたことはタブレットで知ったが、遠い空の話となっていた。
 
 17日は秋芳洞と秋吉台を見てから仙崎で昼食を取り、近年日本の絶景の一つとして名を馳せてきた元乃隅稲荷神社を見学に行く。
 残念ながら青い日本海と赤い鳥居のコントラストを楽しむことは出来なかったが多くの観光客が訪れて斜面の段々な地形に納めた駐車場も混雑していた。ここは1955年に創建された新しい神社であるが、観光地はこの様に簡単に作ることが出来るのかと妙に感心しながら見学していた。
 萩に出て妻が萩焼を見て回る間、私は娘と指月城でかくれんぼや追いかけっこをしながら汗を流し、萩市の観光ホテルに泊まった。感染が抑えられている山口県だからなのかは解らないが県内と隣県のナンバーの車で駐車場は満車であり経済が戻りつつある現場も感じさせて貰った。
 
 18日は朝から雨なので石見海浜公園にある水族館を見学し、舞台で演じられた石見神楽を見てから出雲大社に移動した。感染が抑えられている島根県だからなのかは解らないが多くの家族連れが集まっており、関東の観光地より賑わっているのではと感じた。
 
 19日は朝から強い日射しが注ぐ中、出雲大社の参拝を行ってから日御碕灯台に登りに行き、白い灯台と青い海を楽しみ、泳ぎたい誘惑に誘われながらも帰路につく。途中幾つか立ち寄ったものの日御碕から約13時間をかけて木更津まで帰ってきた。
 なお、首都高速道路は日中だとオリンピックの交通量制御のため千円が上乗せされる期間になっていたが、通過したのが日付が変わった直後だったので逆に半額となり得をさせて貰った。またこの日に定期機体整備を終えた米海兵隊のオスプレイの4機目が沖縄に帰ったことをタブレットで知った。その前の3機は平均で691日の整備期間を要していたが、今回の機体は487日の木更津滞在であり作業が迅速になって来たようだ。
 
 20日は娘を送ってから事務所で旅行中に溜まっていた雑件を片づけ、昼にはかずさ青年会議所の池田理事長と食事を取りながら来月早々の現役OB合同となる納涼例会の件について打合せを行い、市内各所で所用を済ませて回る。夕方に娘を保育園に迎えに行き、寝室にパソコンを持ち込み、娘が寝静まってからHPを更新した。
 全国的に感染拡大が懸念される中、木更津市でも新規感染者が8人も確認され、低下していた人口10万人当たり一週間感染者数も14.8人となりステージUの上限となった。詳しくは
最近思う事に記載する。
 
 
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2021年7月下旬の記録