27.9月下旬の活動記録
 20日は娘を送ってから駅前庁舎に行き、要望書の印刷製本を行う。その後、10時から会派室で交通政策特別委員会協議会の進行を見学する。この日の議題は下記の通りである。
区分 番号 内容(件名とは異なる)
協議会 No.01 市街地循環バスの実証運行
No.02 巌根駅人道跨線橋EVの遅延
No.03 久留里線の収支を踏まえた対応
No.04 地域公共交通計画策定に係る進捗状況償化
委員会 No.01 令和4年度行政視察(山梨県上野原町)について
 市街地循環バスは木更津駅東口を発着する路線として今年の11/1から翌年の1/31まで日中9:30〜17:53まで時計回り・反時計回りの両ルートで各5本運行するという日東交通(株)の提案を採用したことの議会への説明である。時刻表を見ると両ルートの交差地点は中央公園であるが、高倉線等の郊外路線との結節点を設けるので有ればアピタかイオンタウンにするという答弁があった。また市は距離制を前提にしていたが事業者は統一料金制を提案して採用されたことには好感が持てる。ただし通常200円の所をアクアコイン利用者は100円とすることについて長い質疑が交わされた。今回は実験ですからという答弁が多いが、公金を出す立場から異論が出された。
 次の巌根駅人道跨線橋のエレベーターは工事金額の予定額が1億5千万円を超えたので議会承認事項となり10月に仮契約を結んでも議会承認後でないと本契約が結べないので遅れるという説明で委員一同は何も質問しなかったが臨時議会議決して少しでも早く供用させるべきだとは誰も提案しなかったことに逆に驚かされた。その他の事項については記載を省略する。
 
 委員会は長引きそうだった(事実2時間を超えた)ので委員会の途中で私が4人分の弁当を購入に行き、委員会終了後に会派室で全員が食事を摂り、12:40に市長応接室に訪問させていただき会派要望書を渡す。要望書の中身については最近思う事に記載する。
 要望書を提出した後に若干の意見交換を行うが日程がタイトであるので直ぐに会派室に戻り、13時半開始の基地政策特別委員会協議会の進行を見学する。議題は下記の通りである。
区分 番号 内容(件名とは異なる)
協議会 No.01 駐屯地に関する協議会部会の開催結果
No.02 基地対策に関する市長からの要望
No.03 その他
委員会 No.01 令和4年度行政視察(宮崎県新富町)について
 協議会部会は先月5日に開催され私も傍聴しており多くが地元で前から聞いている意見であるが、暫定配備が終わったら振興交付金が終了するという答弁にはその時点での状況を加味するような補足が欲しかった。また市長からの基地対策に関する要望書は8月22日に防衛大臣と北関東防衛局長宛に提出されたもので回答は防衛省が得意とする口頭であり文書ではないことに異論を出す議員が居た。暫定配備を受け入れる前の会議は口頭の部分でも公表するために内容確認のやり取りを行ってきた経緯もありその形式を執るべきだという質問には説得力があると感じる。議会から防衛省等に対する要望書は議会最終日に議決し、近日中に提出する予定と聞いている。その他は記載を省略する。
 委員会が長引いていたので15時過ぎに傍聴を中断して帰宅して私的な事務処理の後に感染状況の数値を整理し、小雨の中で保育園に娘を迎えに行ってから夕食を摂り、夜中に事務所でHPを更新した。
 
 21日は娘を送ってから君信でマイナポイント申請手続きをしたり郵便局で神津島旅費を支払ったりケーキを予約したり書籍を購入したりする。
 議会最終日を前に平日で公務がない日が取れるのは溜まった雑件を一度に処理することが出来て助かる。夕方に娘を迎えに行って妻の帰宅まで子守りをしながら、娘と一緒に寝てしまった。
 
 22日は議会最終日である。娘を送ってから登庁し会派室で9時開催の議会運営委員会を傍聴する。議案は基地政策特別委員会による発議案の追加に伴う日程の変更と、議長の諮問に対する答申の検討である。
 10時から本会議が始まり委員会付託議案の審議を終えた後、付託を省略した人事議案、次いで発議案の審議を行い、議員派遣の承認をもって本会議が終了する。僅かな休憩を挟んで11時から議員全員協議会が開催される。これらの内容は下表の通りである。
区分 番号 内容(件名とは異なる) 関係部
付託省略議案 議案57 教育委員会委員の任命 総務
議案58 公平委員会委員の選任 総務
発議案 発議07 基地対策関係施策に関する要望書 -
全協説明事項 No.01 個人情報保護法施行条例(素案)にかかる意見公募 総務
No.02 地区別防災指針策定に係る進捗状況 総務
No.03 新型コロナウイルス関連状況の報告 子供
No.04 第2次空家等対策計画(案)にかかる意見公募 都市
 発議案は今年で8年目となる要望で、例年は発議者に名を連ねない鈴木議員や田中議員も連ねていたので今年は全会一致かと思ったが、基地政策特別委員会委員ではない堀切議員が@危険だと堀切議員が判断している江川運動場と吾妻の文化ホールに関する予算要求があることとA交付金に対する言及が大きく交付金を付けることで暫定期間が延長される可能性があること、という反対討論をしていたので今年も全会一致には成らず賛成多数で採択され、来月7日に北関東防衛局に正副議長と正副委員長で要望活動に向かうことに成った。
 議員全員協議会(全協)の事項は各常任委員会で説明を聞いていることなのでここでは記載しない。説明のみの会議は11時23分に終了し、会派室の片付けをしてから昼食を摂り、定例会は終了となった。帰宅して雑件を片づけてから娘を迎えに行き、夕方から議会終了の慰労会を有志で行い、久々に夜遅くまで呑ませていただいた。
 
 23日は予定されていたKisarazu park bay festivalが低気圧の接近により中止が決まっていたのでゆっくりと寝させていただき、新聞や本を読んでゆっくり過ごさせていただき、夕方にHPを更新した。夜は台風15号接近の報道を聞きながら「沈黙のパレード(東野圭吾)」を午前2時までかけて、一気に読み終えた。
 
 24日は台風接近のため、予定にあった保育園の整備作業が中止となり午前中はテレビで台風被害を確認し、子どもと室内で遊んで過ごす。
 午後からは君津市市制施行50周年記念イベントとして実施される第36回全国水環境保全市町村連絡協議会全国大会、通称名水サミットinきみつを見学に行く。文化ホールは席を一つづつ空けるように制限がかけられ、それでも空席が目立つ中で13時に開始され、前半は3人の講師による講演が行われた。
 私は後半のパネルディスカッションを見たいところであったが16時は帰宅する必要があったので途中休憩で退席し、夜は兄弟とその家族が揃って我が母の84歳の誕生日祝いを行った。
 
 25日は台風が通過した良い天気の中、娘の小学校入学に備えた部屋の模様替えに付き合い、片付けに汗を流す。途中で買い物に出かけ、ついでに購入してきた216ピースのジグゾーパズルを就寝前に娘のリクエストで完成競争を始めたので、すっかり夜更かしさせてしまった。
 
 26日は個人的な仕事を処理し、10時から環境部で打合せを行い、知人と打合せを済ましてから会派室に入り感染情報の整理を行う。明日以降は全数把握が終わるので作業も最後かも知れない。昼食後に帰宅して秋らしい彼岸花の写真を撮影してからHPを更新する。
 夕方に母を連れて娘を迎えに行き、妻と合流して夕食を摂ってから今月末で営業を辞める湯の郷かずさに入浴する。23年の営業なので35歳から行き始め、月に1度以上は行っていると思うので3百回はお世話になったと考えると感慨深い。感染流行後は利用者が減少した上に袖ケ浦駅前に日帰り温泉が開業して経営的に厳しいと聞くが残念だと感じていた。
 
 27日は国葬に参列する予定もないので保育園が請西で育ててきた米の収穫を手伝いに行く。私を含めて9人の父親と34人の園児と4人の保育士等が協力して鎌で稲を刈り、縛り、昔ながらに天日に干す。
 写真は作業終了後の午後に関係者が移り込まないように撮影したものであるが、お米作りの経験をするというのは日本人にとって重要だと考える。ただ個人的には水切りが充分でなく足の取られる田んぼで腰を曲げて稲刈りしたことですっかり腰痛になってしまった。とても昔の農家には成れそうもない。
 その後は子どもたちと昼食を摂り、自然の中で遊び、保育園に戻ってからも体操などに付き合い、すっかり疲れて帰ってきたので報道で国葬について見るつもりだったが午後10時前に寝てしまった。
 
 28日は午前中に私的な仕事を片づけ、昼休みにHPを更新する。午後からも腰痛を感じながら事務所に籠もって雑用を処理し、夕方に娘を迎えに行った。前日から感染状況の報告が無くなったので日課になっていたデータ更新も出来無くなくなり、嬉しいような寂しいような日である。
 
 29日は娘を保育園に送ってから市内や君津で所用を済ませ、午後から朝日庁舎に行って各課等と打合せを行う。夕方に娘を迎えに行き、翌朝のことを考えて早めに就寝した。
 
 30日は朝5時に起床してゴミ出しを行い、山の荷物をまとめ6:45に迎えに来た友人の車に乗って丹沢に向かった。目的は菩提峠から三ノ塔の往復であり、行動時間は短いが夏に骨折した友人のリハビリ登山である。頭上は良く晴れているが透明度は低く富士山は見えない。
 三ノ塔は首都圏に鎮座し、ヤビツ峠までのバスアクセスが良い山らしく、平日なのに多くの登山者が登っていた。50人以上と擦れ違ったけど誰もマスクを着けて歩いている人は居なかったし、私も風が抜ける中で他人と距離を確保できるので山人の常識に従うかのように着用せずに登った。
 今でも娘と遊びに行く市内の公園や屋外のイベントでもマスク着用が標準になっており、娘はコンビニに入るときだけマスクを着用にしている。エリザベス女王の国葬と安倍元総理の国葬儀の印象の差はマスクに現れていたように感じる。この様な状況が何時まで続けるのだろうかと思いながら翌日の荷物の準備を行い、今年度の後半戦に入っていく。
 
 
 
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2022年10月上旬の記録