28.10月上旬の活動記録
 1日は木更津市制施行80周年記念事業として開催された木更津港から伊豆大島または神津島への高速ジェット船運行に併せ、妻の両親への感謝も込めて神津島への旅を行う。登山ツアーは義父には厳しく娘には飽きる可能性が高いので往復のチケット(17,000円/人)だけの参加として、島の中の足と宿は個人的に確保してこの日の朝を迎えた。
 8時出港なのに6時半から7時10分までの間に受付をするというのは、如何にも臨時便の特徴で、定期船で有れば21年前の旅を始めとして出港の直前に滑り込むことが当たり前であったし、受付やシャトルバスの経費が今回の高額なチケットに成っていると理解しながら通常は砂を出荷する岸壁に着いた。
 途中で大島に帰港して多くの客を降ろし、2時間45分の航海を終えて神津島に着いた。レンタカーを借りて天上山に登り、赤崎遊歩道の廻りで泳ぎ、神津島温泉の露天風呂を楽しんでから宿に戻ってレンタカーを返し、日没後に夕食を食べ、夜はよたね広場まで歩きながら星空の美しさに感心した。神津島は改めて良い島だと実感して眠りについた。
 
 2日は朝食後に前浜港まで送ってもらい妻達が買い物を楽しんでいる間に娘と砂浜で遊ぶ。10:30の旅客船に乗り大島までの各島に停まる長旅を厭きさせないように娘と謎解きを楽しみ、船内で昼食を摂ってから14:10に大島の元町港に到着する。14:55発の高速船を待つ間に妻は「くさや」を探しに行った。
 神津島だけでなく大島でも本格的なくさやが見つからなかったと帰ってきた妻達とともに高速船に乗り木更津港には16:30に到着した。
 東海汽船の船内に「木更津港」到着の案外が出ていることに感心して船を下り、シャトルバスでイオンモール木更津に着いて自由解散になり早めの夕食を摂ってから帰宅し、私が娘を寝かせる間に妻が両親を金田BTまで送っていった。慌ただしい島旅が終わった。
 
 3日は娘を保育園に送ってから駅前庁舎に行き、千葉県のHPを調べても感染症に関する状況報告が極めて薄くなったことを確認した後で災害ボランティア議連の研修会に関する諸調整等を行う。その後、市内で所用を済ませて回り、帰宅後に私的な仕事を済ませてから娘を迎えに行き、夕食後は事務所に籠もってHPを更新した。
 
 4日は娘を送ってから会派室に隠り災害ボランティア議員連盟研修会に向けた資料を作成して打合せを行い、その後定点写真を撮影するため新火葬場を見に行き、買い物のついでに君津に行く。市長選挙が近づき看板が乱立する風景も気になるが、駅前にあったホテル千成が更地に成っていたことが寂しく感じられた。
 木更津に戻り、市内で所用を済ませ打合せを行い、オスプレイの飛行訓練が耳につく中で雑件を処理する。夕方には近日中に手術を行う友人の激励会を骨折が治った女将の居る居酒屋で行った。
 
 5日は天気が悪くなったので娘を送ってから私的な仕事を片づけてから読書の時間を楽しむ。夏の甲子園に進んだ市立船橋高校の実話である「20歳のソウル」を読んで感銘してから娘を迎えに行った。
 
 6日も雨なので娘を送ってから市内で打合せを終え、自宅事務所に戻って大掃除を行う。片づいた部屋で読書を楽しみ、夕方にHPを更新してから娘を迎えに行った。
 
 7日も雨の中で娘を保育園に送り、昨年から破損していた2箇所の看板のうち1箇所を復旧し、もう1箇所は事前に選管に変更届を提出してから位置を変えて設置する。昼からは自宅で私的な仕事を処理してから、市内で所用を済ませて回る。 
 夕方には自転車の服装を揃え、計測チップを固定するなどツール・ド・ちばの準備を整えてから娘を早めに迎えに行き、事務所で仕事している間に好きに遊ばせていたら大掃除前の状況に戻っていた。
 
 8日は朝6時に起床して自転車や荷物を積んでから朝食を摂り、イオンモール木更津の指定された駐車位置に車を停める。2週連続でイオンモールに来たと考えながらツール・ド・ちば2022の登録を済ませる。
 7時40分に出発ゲートの近くによって説明を聞き、8時半頃から走行を開始する。速度を競わず交通法規を守る安全なサイクリングであり、富津岬から高滝湖を巡る海あり山ありのコースで111.4kmを午後3時半過ぎに走り終えた。帰宅して入浴し、早い時間から麦酒を飲んで早く寝た。
 
 9日は朝から妻子と我が母を連れてかまフェスを見学に行く。
 イベントを待ちわびていたかのように多くの人が会場に溢れ、農産物直売所やステーキ丼には長い列が出来ていた。DNA研究所による実験を経験したり地震体験をしたり紙芝居を見たりして2時間ほどアカデミアホールで他の公民館の文化祭とはスケールが違う鎌足の凄さを体感していた。
 帰りがけに買い物を済ませ、鳥居崎公園に立ち寄ると長い列が出来ていた。聞けばタレントの坂上忍さんが出した店に本人が来ているようで、駐車場は県外ナンバーで溢れていた。私達は富士見亭の焼きそばを購入して帰宅し、夕方には雨が降り始める中、袖ケ浦市で葬儀参列した。
 
 10日は朝から娘と遊び、昼を過ぎてから食事を摂るために鳥居崎公園で開催されている木更津みなと口海鮮フェスに行く。
 前日も長蛇の列だった坂上忍の店に多くのお客が訪れ、その人達が500円の海鮮丼を食べ尽くしてしまったのか、12時半に到着したときには選択の余地が無くなっており、厚生水産の海鮮丼を美味しくいただいて帰路に着く。車に乗ると雨が降り始め、帰宅する頃には大雨になっていた。
 並んでいた人達も雨に困ったことだろうと思いながら自宅でHPを更新し、夜は災害ボランティア議員連盟千葉支部の会議をZoomで行い、県内の議員と意見交換をする中で、来月下旬に木更津で宿泊の総会兼研修会を開催し、鳥居崎公園のParkPFIを勉強するとともに翌日は令和元年台風に伴う議会対応を館山市と木更津市から学ぶという企画を行うことになった。私からは自らが議長の間に制定した「大規模災害対応指針」等の説明を行うことになった。
 
 11日は娘を保育園に送ってから駅前庁舎の会派室に隠り、前日夜の会議で決まった議会の災害対応指針が決まるまでの経緯を調べて整理してみると、令和元年に3箇の台風が襲来している頃にはオスプレイ暫定配備の議会対応があり、それを処理して指針の作成に乗り出した頃に新型コロナウイルスが流行する中でその対応も決めるなど、何かと大変であったことを今更のように思い出した。午後から職員と打合せを済ませてから帰宅し、私的な仕事を片づけてから娘を早めに迎えに行き、婆に娘を預けて夕方は青年会議所の同期組の御尊父の通夜に出かけた。
 
 
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2022年10月中旬の記録