41.2月中旬の活動記録
 11日は建国記念日の良く晴れた祭日で妻は我が家に訪ねてくる友人家族と苺狩りを行うつもりで早朝から整理券を取りに行くが既に一杯になっているとのことであった。私は知人の材木屋に頼んであった木杭を受け取った後で江川区集会所に行き江川区役員会議に出席し規約の修正や決算及び予算案について打合せを行う。会議で出されたお弁当を帰宅して食べて、午後から演説会の看板を設置し、設置協力依頼に地元を回る。近くに支援者が多く重なりそうな新人が立候補する話も聞かれ有力候補の数は揃ってきたが楽観モードが一転してしまった。
 前日に市からタブレットに報告があった市内の一週間の新規感染者数は先週より128人減少した322人であり、減少傾向は明確である。
 
 人口10万人当たり一週間感染者数は238人という高い値であるが危機感は峠を越えているように体感する。夜には江川消防団の新年会があり区の役員として私も同席して昨年11月20日の準優勝のお祝いを申し述べたが、この様な集まりが普通になってくる日が近づいているのだろう。
 

 12日は妻が帰省をするので朝から娘の子守の日である。ケーブルテレビのアニメを見たり工作を楽しんだりした後に昼食を摂り、午後3時過ぎに我が母も連れて家を出発しマザー牧場に行き16時以降の割引入場券で遊園地とイルミネーションを楽しむ。2時間半ほど遊んで帰ってきて早めに寝た。
 
 13日は質問通告の日であるが年度末は休むの私的な法則に従い今議会での質問は行わないので娘を保育園に送ってから事務所で私的な仕事を処理し、昼過ぎからHPを更新する。午後2時を過ぎて議会事務局に確認すること個人質問は7人だけであったことを知る。当初は3日の金曜日まで本会議が有る予定であったが個人質問は水曜と木曜だけで終了することになった。午後3時から来客対応を行い、夕方には質問者一覧表もタブレットに届いたので、これを受けて2月1日に記載した議会日程表も修正及び追記した。
 
 14日は娘を保育園に送ってから駅前庁舎に行き9:30から議場で開催される議会運営委員会を会派室のテレビで傍聴して質問者の決定に伴う議事日程変更を確認しながら予算審査の重点事項を整理する。時間となって議場に入り10時開催の本会議に出席する。この日の議題は令和4年度案件である議案第1号から10号までの採決である。各常任委員長の審査報告に続き鶴岡・田中両議員からの賛成討論が行われ全議案とも全会一致で採択となって本会議は終了した。引き続き市庁舎整備特別委員会協議会が開催され、7日の理事会で意見を述べた議場レイアウトの提案が行われ各会派で意見を集約し21日の理事会で決めたい旨の提案が行われた。私からの修正提案は反映されていたが、優先交渉者として叶V昭和が決まっているのだから建築士が作成した平面図として実際の廊下幅などを確認したいものだと感じている。
 午前中で全ての日程が終了したので昼食を摂って帰宅し、午後から選挙事務所開設に向けた諸調整や後援会の名簿管理などを行うとともに提出用の確定申告書を作成したりするうちに夕方となり娘を迎えに行って妻の帰宅前に食事や風呂を済ませて寝かせた。
 
 15日は朝から私的な仕事を処理する。この日は娘の熱が少し高めで本人も休みたいというので大事をとって休園させ、昼に提出物だけ保育園に届けてから市内で買い物を済ませて帰宅する。後援会の宛名ラベルを作成した後に雑務を処理してからHPを更新した。
 
 16日も微熱のある娘を休ませ、私は朝9時に駅前庁舎の4階に行き明日の誕生日までが有効期限となっているマイナンバーカードを提示して確定申告を提出し、7階の会派室に上がって雑務を処理し、消防庁舎に行って来年度に予算計上されている富来田分署の建て替えのイメージを聞き、朝日庁舎に移動してマイナンバーカードの更新を行うとともに都市整備部で打合せを行う。諸般の処理が終わったので木更津消防富来田分署に行き、現庁舎の老朽化の状況等を確認させていただく。
 昭和46年9月30日に木更津市に編入されるまで富来田町役場であった建物は現在その一部を消防署及び第8分団2部の詰所として利用しており、使用している範囲の手入れは良く板張りの床も綺麗に磨かれているが耐震設計に対応していないだけでなく2階の使用されていない広間では壁に穴が空き天井は漏水の跡が沢山ついていた。建物の保全が難しいことは解ったがせめてフクタを図案にした町章のついた演台は公民館に遷すべきだろうと思いながら、周辺の状況や車庫、忠霊塔などを確認して帰路につき、午後からは娘の子守をしながら雑務を処理した。
 
 17日は私の59歳の誕生日である。娘の微熱は続いているので保育園は休園で一日私の母が面倒を見てくれるので後援会の入会資料を受け取ったり、4年間車庫や物置として使用していた事務所の1階を選挙事務所に使用できるように配置換えや清掃作業に汗を流す。
 午後4時半の放送を聞いて作業を止めてスーツに着替え市民会館で開催される「もりがく決起集会」に出席する。檀上に席が用意されていたので青年会議所の後輩に写真を撮ってもらった。会場には4人の新人候補と昨年3月に辞職した平野さんも再度立候補することを明らかにしていた。
 県議会議員選挙の木更津選挙区は無投票になりそうであるが、それでも告示日の3月31日には出陣式が開催される。無投票が確定するのは受付終了となる午後5時なので一日は選挙活動が行われるのである。集会の中で重城議長から誕生日であることを披露されたので、本日59歳になりました、と答えながら森県議の当選を祈念し、夜は選挙情勢を把握する会合を行い、深夜に帰宅した。タブレットに届いていた市内の新規感染者数は一週間で183人であり先週より139人も減少していた。
 

 人口10万人当たり一週間感染者数も135人まで下がってきた。年度末の歓送迎会の時期の前に沈静化してくれたら各種会合をやり易くなり、市内の飲食店等の景気も良くなっていくだろう。
 

 18日は朝から暖かな日で、昨日のうちに終えられなかった事務所の片付けや午後からは買い物のついでにイオンモール木更津で開催されている木更津コレクションのトークショーを見に行く。今年度に市役所に採用された若手職員の研修の場でもあるイベントが今年は実施されていることを喜びたい。
 帰宅してHPを更新し、夜は町内の常会に行き飲みながら来年の役員分担の確認や互いの情報交換を行った。
 
 19日は風が強く気温の高い日曜日で朝から事務所の片付けを行うとともに娘が遊ぶ横で各種資料を作成する。内業で一日を過ごして夕方にHPを更新して翌日以降の作業の準備をして就寝した。
 
 20日は元気になった娘を保育園に送り、午前中は駅前庁舎で予算審査の準備を行う。市内で所用を済ませてから朝日庁舎に移動して13時から駅前庁舎で開催している都市計画審議会にZoomで参加する。この日に諮問された議題は「木更津市地区別防災指針の策定について」である。これは前回の都市計画審議会で議論され総務常任委員会や全員協議会でも説明を受け、年末年始には意見公募も行われたものである。この指針を受けてどの様に事業展開をするのかという私の意見に対する修正も行われていたので意見を言わずに承認して審議会は終わった。
 予想より審議会が早く終わったので同じ庁舎の中で14時から開催される市議会議員立候補予定者説明会の会場に一番最初に入って受付を済ませ、その後に入ってくる陣営を見ていると、想像より多くの人が集まり最終的には33陣営が入室したようである。全て立候補するとしたら9人超過の選挙となる。
 今まで4回も聞いている説明会であるが相変わらず説明が難しく、新人の陣営は面倒な状況だと思ったことだろう。戸籍謄本の入手や供託などの手続きは来週の本会議の合間に粛々と進めていこうと考える。説明会が終わり午後4時過ぎに帰宅すると先週中に発注した2022後援会報が届いていた。さっそく袋詰めを開始し、少し腰が痛くなったところで娘を迎えに行き、夜も録画していた報道番組を見ながら作業を行った。
 
 
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2023年02月下旬の記録