45.3月下旬の活動記録
 21日は春分の日で娘も休みで運動公園で竹馬をやりたがったが、それは妻に任せて後援会活動に専念するため自転車で高柳地区へ会報を配りに回る。出発の時は得点が入らずに均衡していたWBCの準決勝も同級生の家を訪れたときに3点をメキシコに先制されていた。その後も走り続けて昼食を食べるために入った蕎麦屋で日本が劇的な逆転勝利をしたことを知る。勝利の余韻に浸りながら活動を続け、午後2時が近づいたので作業を終了して万石区集会所に直行して役員会議に出席する。その場で私を区の推薦候補として承認していただき、その後は小櫃川河川堤防の対策等について意見交換を行った。午後4時を回っていたので帰宅し、データ整理などを行ってから夕食を摂り、午後7時からネットで配信された県議会議員候補者による公開政策提言会を携帯で視聴した。
 
 選挙になることが予想される富津市と君津市は全ての候補者が出席して発言されていたが、無投票と噂される木更津市選挙区では高橋浩県議が欠席していた。主催者の青年会議所のOBでもあるのに欠席せねばならないような用事が何かあったのだろう。私は昼過ぎに担当する委員長へ電話をして見学が可能かと聴いたのであるが、公平を担保するため候補者も1人だけの同行を許可しておりOBを含めた外部の見学は認めないとのことなので放映開始まで自宅でWBCの準決勝を伝える報道番組を見ながら麦酒を飲んでいた。なお、この様子はアーカイブ配信もされているので確認されることをお勧めしたい。
 
 22日は3月定例会だけでなく20期の議員にとっても議会の最終日である。小学校生活のタイムスケジュールに併せるように早起きになった娘を保育園に送り、8時半に駅前庁舎の会派室に入ってテレビでWBCの決勝戦を見続ける。1対2で先行したところで10時になったので議場に入り本会議に望む。最初に4人の特別委員長から今期の成果についての報告が行われた。4年間の委員会等の開催件数は下記の通りである。
委員会名 委員長 委員会数 協議会数 理事会数 視察・調査 単純計
基地政策 永原利浩 10 29 2 41
交通政策 渡辺厚子 6 14 2 22
低炭素調査 座親政彦 4 8 2 14
市庁舎整備 鶴岡大治 3 14 15   32
 オスプレイの暫定配備を議論する事になった基地政策特別委員会が突出して会議回数が多くなっていた。設置時の議長として改めて委員会の皆さんに感謝したいと思う。次に竹内伸江総務委員長・石井徳亮教育民生委員長・白坂英義建設経済委員長・國吉俊夫予算審査委員長から委員会における審査報告があり、議案に対する討論となった。田中紀子議員・鈴木秀子議員・堀切俊一議員の3人が反対討論を行い、永原利浩議員が賛成討論を行ってから採決となり、全議案とも可決されてから下記の2議案が斉藤高根議会運営委員長により発議される。
番号 内容(件名とは異なる)
発議01号 議会の個人情報保護条例の制定
発議.02号 議会委員会条例の一部改正
 議会の個人情報保護条例は長年の課題であったが今回の法改正に伴って制定するに至ったものであり、委員会条例の改正は議案23号の可決に伴い来年度から設置される資産管理部の所管を総務常任委員会にしようとするもので、双方とも全会一致で可決され3月定例会は終了した。引き続き下記の8件について議員全員協議会で説明が行われた。全て所管の委員会で説明があったものなので解説は省略する。
番号 内容(件名とは異なる) 関係部
No.01 経営改革方針 公室
No.02 損害賠償責任の一部免責条例の意見公募 総務
No.03 第6次土地開発公社経営健全化計画 企画
No.04 第3次基本計画(案) 企画
No.05 (仮称)市民交流プラザ整備基本計画 市民
No.06 新型コロナウイルス感染症の今後の動向 子供
No.07 第3期教育基本計画の策定 教育
No.08 社会教育施設個別施設計画の意見公募 教育
 最後に7級以上の退職者9人の紹介が行われ今期の全ての日程が終了する。正副議長は市長・副市長・教育長とともに退職者との記念写真の撮影と午後からの専決処分に関するレクがあり、広報委員会の委員は委員会開催のために午後の日程が入っているが、私は全ての公務が終わったので、日本代表のリリーフで登板した大谷がトラウトから三振をとって3-2で勝った試合の名場面を会派室で見てから帰宅して前日に作業を残してしまった高柳地区の後援会報配布活動を行い、夕方は会派の同僚で議会最終日の慰労会を行った。
 
 23日は天気予報通りに朝から雨となったので娘を保育園に送ってから自宅で私的な仕事の処理や翌日の書類審査の準備や雑件の対応、さらにはHPの更新などをして過ごす。議会最終日を越えて選挙モードに入るべきであるがやるべき事が多すぎて手が回らない。
 事務所にいると雨の中でもオスプレイのエンジン音が聞こえていると思っていたが、15:37頃に木更津駐屯地で整備される米海兵隊オスプレイの9機目が飛来したという情報がタブレットに入ってきた。619日も木更津にいる6機目が整備を終えて帰投する計画のようだが、暫定的に米海兵隊オスプレイが4機ほど木更津に居る状況になっているようだ。
 夕方には妻を眼科医に送り娘を保育園に迎えに行くと別々の小学校に進む友達はこの日が最後の登園だと言っていた。別れの実感が無い娘の代わりに胸が熱くなり、この様に別れを重ねて娘が優しく強くなって行くことを願うばかりである。再び眼科医に戻り3人で夕食を食べて帰宅して、夜中まで作業を続けてた。
 
 24日は10時から市議会議員選挙立候補予定者事前審査会があるので告示日に提出に行く事務責任者とともに9時半に選挙管理委員会で整理券を貰ったら既に10番であった。10時に開場されて中に入ったが、確認所が4箇所有っても各陣営とも30分以上の時間を費やしており、私の書類の確認が始まったのは11時半に成っていた。車も使わずビラも使用しないので書類は少ないのであるが若干のミスもあり、全ての確認が取れたのは11時58分になっていた。帰宅後は天気が比較的良いので後援会報の配布に回ろうかと思ったが事務所備品等のリースの打合せや漁組への書類提出などを済ませていたら雲が厚くなってきたので今後の配布戦略などを定めるための内業に徹する。
 この日は陸上自衛隊オスプレイ17機のうち12機目が11:43頃に木更津駐屯地に到着したという情報がタブレットに入っていた。米海兵隊定期機体整備のオスプレイの4機と合わせ、既に木更津駐屯地には16機が存在する状況になっている。また事前審査に来られた人を報道機関に発表した情報もタブレットに届いていた。2月20日の事前説明会には33陣営が来られていたようだがこの日に手続きを済ませたのは28陣営で、継続を表明する現職議員も全て来ているので後日審査は考え難く、今回の選挙の枠組みは決まったと思うので詳細を最近思う事に記載する。
 
 新型コロナウイルス新規感染者数は先週と同じ30人/Weekであり、今の所、木更津市内では第9波の予兆は観測されていない。君津中央病院のコロナ病棟も入院患者数は数名程度に留まっており、現在のところ医療現場は逼迫していないようである。選挙までの一ヶ月で状況がどの様に変化していくのか、見通せない中で密にならない対策を講じていく。
 
 25日は天気予報通りの雨の土曜日なので選挙活動3週間前の近隣への案内文や週明け以降の活動用の資料を作成し、私的な雑務を処理してからHPを更新する。夜には地域の常会に出席し、多くの方と親しく情報交換を行った。なお、この日から江川海岸等で潮干狩りが始まったが天候が悪くて初日の来客は少なかったようだ。
 
 26日も天気予報通りの雨の日曜日となった。朝から事務所の片付けを行い10時から江川土木の引継打合せに出席し、昼食後は雨が強くなってきたので内部での作業を進め、午後3時頃に雨が弱まったチャンスにで近隣へ挨拶文を届けて回る。選挙の度に路上駐車や騒音の被害を受けるご近所の人も快く理解のうえ激励までいただけて幸いである。
 
 27日は天気予報の通りに雨が上がったので朝5時半に起床して巌根駅に向かう。駅前には木更津法人会木更津北支部が手入れしている花壇が美しく花を咲かしていた。私は既に地域の後援会員に配布している後援会報の活動報告書をより多くの地域の方々に配るため駅頭で活動していた。
 通勤通学の方が多くなる6時50分に鈴木議員が率いる共産党の方々が次々と駅頭に現れたので活動記録の配布に急ブレーキが掛かり、多勢に無勢を実感したため7時半に撤収し高柳で挨拶運動を行っている森県議の応援に加えさせていただいた。そちらも8時前に解散となったので帰宅して朝食を摂り、娘と供に尾張屋の開店時間に買い物へ出かける。帰宅して婆に娘を預けてから昨日に挨拶できなかった近隣の法人に挨拶文を届け、10時から江川野球場の内覧会に出席する。防衛省がおよそ4億円を投じて基本的な整備を行った土地に防衛補助を貰いながら市が約8億円の予算を投じて完成させた施設で、カラーの電光掲示板も真新しく、管理棟にはシャワーが設けられ屋外にも公衆便所が設置されるなど、永井作にある市営野球場に比べると施設の充実ぶりに感心する。
 
 災害時には竈になる防災ベンチが有り、市の職員が設置方法を説明していたので私からは地元の消防団が使用方法を理解するため旧来の江川運動場にある防災ベンチを使用した消防団によるBBQ大会を認めるように伝えた。これは前に市へ話をしたところ公園内での火の使用を認めておらずベンチが熱で変形する可能性もあるので認めれられないと言われたものである。およそ1時間の内覧会を終えて自宅に戻り、長須賀方面の挨拶に行くと農協の理事時代にお世話に成った方が数日前に亡くなっていることを知る。生前に間に合わなかった事に悔いが残る。
 午後1時半から福祉法人鵬和会の評議員会に出席してさつき園の補正予算と来年度の予算案を議論し、外国人材確保の課題や高齢者が減少する時代を見据えた対応などについて意見交換を行う。その後は永井作方面に回っていると雨が降り始めたので帰宅した。
 自宅に戻り資料の整理を行い、朝が早かったので早めに就寝した。
 
 28日は小雨の中で娘を保育園に送ってからHPの更新を行い、天気が少し回復したので万石地区で後援会報を配布しながら挨拶をするために向かうと再び雨となる。役員の方々と雨宿りをしながら戦略を立て直しているうちに雨も止み、11時頃から地域を回り17時半で作業を終了して帰宅し娘を保育園に迎えに行く。一緒に買い物をしてから帰宅し、夜は事務所でデータの整理を済ませてから床に入った。
 
 29日は朝方の巌根駅で吉田候補が挨拶しているのを見てから、前日に終わらなかった万石区の後援会員へ訪問を続ける。天気も良いので順調に進み、想定より早く午前中で目的を達することが出来た。そのため書面議決で用意していた農協の総代会が出席可能となり電話をすると実出席に変更可能と確認できたので午後1時半から農協大会議室で開催される第50回通常総代会に出席する。市からは田中副市長が来賓として出席しており、理事席には斉藤・堀切議員、総代席には大村・石井議員が参加しており、私も総代の役目を果たす事が出来た。
 
 市内で雑務を処理しながら帰宅し、夕方には農協の理事会やさつき園の評議員会で世話になった方の通夜に臨席する。27日に訪問しなければ亡くなられたことを知らないままであった。総代会の日に通夜が営まれることの偶然を考えながら、心の中で御礼を申し上げて帰宅した。
 
 30日は娘を保育園に送ってから買い物をして帰宅し、選挙事務所の机や椅子といったリース品を受け取り、車庫を事務室として使えるように作業をしていたが、天気も良いので自転車に乗り、後援会報配布の旅に出かけ、斉藤高根事務所、斉藤秀樹事務所の訪問を行った。
 
 同期当選組の斉藤高根議員の事務所と同学年の斉藤秀樹候補者の事務所で飲物をいただき、桜やグルメも満喫しながら旅を終え、帰宅してから車で娘を保育園に迎えに行き、娘を自宅に置いて夜には私の後援会役員を務めていただいた方のお母様の通夜に少し遅れて臨席する。江川光明寺を管理していただいている愛染院から大僧正と住職の親子が来ていただき、娘が6年間の世話になった社会館保育園の園長が大僧正として伝えていただいた法話は心に残る話であった。
 
 31日は娘を保育園に送る最後の日であり、既に知事選挙や政令指定都市の選挙は始まっているが、木更津市にとっては統一地方選挙が始まる日である。県議選の日程に併せ、私も後援会報配布の旅は行わずに、翌日の事務所開設のために備品の買い物などを行いながら森県議の出陣式、街頭演説、無投票での当選報告会に出席した。
 
 想定通りに、午後5時に無投票が確定したが千葉県からの通知を待ってから防災無線で翌日からの期日前投票が無くなることを17時半に防災無線で通知された。その時間には既に当選報告会が開始していたが、無投票で奢る事なかれという滝口後援会長の厳しい挨拶に感心しながら帰宅し、夜は娘が保育園日程を全て終了したことのお祝いの会食に紛れて心の中で森県議の当選のお祝いの乾杯をしながら、その一方で富津市と君津市での県議会議員選挙に思いを馳せ、検討を祈った。また、この日は金曜日であったので新型コロナウイルス新規感染者数がタブレットに届いていたが先週より36人増えた66人となっていた。これが第9波の前兆だとすると、選挙戦の頃に増加傾向が明確となるので感染対策をどの程度講じるべきか悩ましい状況になってきた。
 
 
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2023年04月上旬の記録