63.9月下旬の活動記録 |
21日は9月定例会の最終日である。登庁前に銀行により庭の舗装工事の代金を振り込み、9時半から議会運営院会を開催する。
議題は基地政策特別委員会による防衛省への要望書と、請願が本会議で可決されたときに教育民生常任委員会による国に対しての意見書提出の発議案の追加と、防衛省北関東防衛局へ特別委員会が要望活動を行うこと等による議員派遣の承認という日程追加、並びに視察日程案の調整である。
委員会は異論もなく終わり、会派室で昼のお弁当を取りまとめてから議場に入り、10時から本会議に臨む。付託議案の各委員長からの審査報告と採決、付託省略議案の質疑及び採決と日程は進む。人事案件であるが渡辺弁護士が審議会の会長や委員会の会長を務めながら6つ目の審議会・委員会に選出されることに兼任の上限はないのかという質問が有った。個人的には青年会議所の後輩なので理事長の時よりは楽だろうと思う。議案の審議が終わり下記に発議案が上程される。 |
番号 |
内容(件名とは異なる) |
関係委員会 |
発議10 |
基地対策関係施策に関する要望書 |
基地政策 |
発議11 |
特定商取引法の抜本的改正を求める意見書 |
教育民生 |
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両委員長から上程の説明があり発議案について質疑が行われてから採決が行われた。基地対策要望について委員会で共産党の鈴木議員が賛成していたので今回は全会一致かと期待していたが採決では民政安定補助金を要求することが安全に矛盾するという理解できない理由で反対する議員もおり、今回も全会一致とは成らなかったが予定通り可決された。28日に正副議長と委員会の全員で北関東防衛局へ要望活動に行くための議員派遣も決定し、午前11時を回って本会議は終了した。
若干の休憩時間を挟み、11:10より議員全員協議会が開催され下記の10事案が説明された。全て常任委員会で説明が行われている内容なので、改めて説明は行わないが、紙資料にするとキングファイルに収まらない程の内容を50分で報告した。 |
番号 |
内容(件名とは異なる) |
関係部 |
頁数 |
No.01 |
第2次基本計画の進行管理の結果 |
企画 |
258 |
No.02 |
創生総合戦略の取組結果の検証 |
企画 |
54 |
No.08 |
SDGs未来都市計画の策定 |
企画 |
60 |
No.04 |
スポーツによる地域振興可能性調査 |
子供 |
48 |
No.05 |
日鉄のシアン流出に係る評価の好評と指導 |
環境 |
81 |
No.06 |
第2期君津地域広域廃棄物処理事業 |
環境 |
2 |
No.07 |
産業用地整備支援事業 |
経済 |
6 |
No.08 |
百年後芸術祭ー内房総アートフェス |
経済 |
24 |
No.09 |
公設卸売市場特経営戦略の中間報告 |
経済 |
10 |
No.10 |
金田小学校及び金田中学校の整備 |
教育 |
4 |
合計(次第を除く) |
547 |
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会派室で昼食を摂り13時から庁舎整備特別委員会理事会が開催されるので会派を代表して出席する。内容は駅前庁舎の進捗状況の説明であり、質疑の中で現在提案をしている4社のうちマンション併設で提案している2社は辞退する見込みで、残る2社は賃貸案と割賦案のようだ。スケジュールとしてPFIの場合も示しているが、その様な提案がないことも明らかになった。また駐車場建設の為に隣接地の用地買収を検討しており、地域の協力を得て交渉を始めているようだが鑑定額で購入できるか、また駅前庁舎の価格が折り合うか不明な中で事業が進んでいく感覚である。全議員を対象とした協議会を10月6日に開催することを決めて理事会は終了した。その後に三上・草刈議員と中野畑沢線促進研究会の進め方を協議し、初回の会合を庁舎の協議会が開催される日の午後に行い、改めて道路の概要や経緯について学ぼうという事になった。
14時50分に8階に上がり市長応接室で羅針盤の会派要望を提出する。昨年は7項目であったが今年は会派の人数も増えたので8項目の要望である。提出後に市長・副市長・教育長に対し要望の内容を話し建設的な意見交換を行ったが、要望の詳細については最近思う事を参照されたい。
長い一日を午後4時過ぎに終えて帰宅して車を車庫にしまい、議会最終日なので街中に出て会派の打ち上げと情報交換を夜中まで行った。
22日は朝から新聞をゆっくり読んでから登庁し、10時から8階防災室で開催される都市計画審議会に出席する。議事は下記の2件である。
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番号 |
内容(件名とは異なる) |
諮問1号 |
木更津都市計画生産緑地地区の変更 |
その他 |
かずさアカデミアパーク地区計画の変更 |
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コロナが5類に移行されてはいるがZoom併用会議という位置付けで、北野会長や竹内議員を始め、リモートで参加している委員も多い。
私からはアカデミアパークのセンター地区でボーリング場やカラオケボックス等の建設が可能になる地区計画は如何なものかと質疑を行った。今のセンター地区は公的な土地だが拡大する部分は民地なので、用途変更の可能性を封じておくべきと言う考えである。
地区計画の変更は次の審議会で議案として上程されるので、それまで県と市においての協議を委ねることにして会議は終了した。その後に会派室で都市政策課と中野畑沢線に関する資料作成の打合せを行い、昼過ぎに退庁する。遅めの昼食を摂り帰宅して舗装工事の領収書を受け取り打合せに来ていたケアマネージャーに渡してバリアフリー改修補助の手続きを進めて貰う。その後は私的な仕事を片づけ、娘を学童に迎えに行き、18:15から金田地域交流センターで法人会木更津北支部の役員会議に出席する。来月21日に社会貢献活動として巌根駅前花壇整備とアクアライン測道清掃を行うことと、12月初旬に会員向け税知識向上セミナーを行うこと、及び来年2月に東京下町への支部旅行を行うことを決めて解散する。帰宅して遅めの夕食を摂っていると雨が強く降り始めた。
23日はパークベイフェスティバルの日であるが、天気はスッキリしない。今年から小学生になった娘に船の体験をさせるため妻子と10時前に出かるつもりであったが妻の家事が一段落したのは正午前であった。 |
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娘がお腹が減りすぎて耐えられないと言うので東屋でフルーツサンドを購入してから会場に入る。ほぼ同着で草刈議員が会場に入り吾津議員は焼きそばを焼いていた。小雨が降る中であったが、プレジャーボートと小型ヨットを娘に体験させ、横浜税関木更津出張所や海上保安庁木更津海上保安署、JF木更津、JA木更津などのブースに立ち寄り、知人のブースで遅めの昼食を食べ、C-Styleのステージを楽しみ、雨天で来訪客が少なく売上が上がらないブースの商品を土産に購入して帰宅した。
帰宅して1時間ほど休日土方作業を行い、日没後にHPを更新し、土産に購入してきた焼きそばや餃子を摘みに麦酒を楽しんだ。
24日は吾妻地区で新木更津市漁協の組合員が海苔の種付け作業を始めたと前日の内に聞いていたので、娘の勉強も兼ねて朝8時に見学に行く。胞子が出ている牡蛎殻や回転する網などを見て、海苔を造る作業の大変さを一部でも理解して木更津市の子供に育っていただきたいと願う。
妻子を自宅まで連れて戻り、私は君津市立図書館の会議室で開催される君津高校同窓会幹事会に代表幹事として出席する。前回に開催した同窓会は9年前の年度末で、前日に水越前市長の退庁式、当日の日中には岩根4丁目の桜祭、一日おいて渡辺新市長の登庁式という日程の中で開催されたので断片的にしか覚えていないが総勢107人が出席していたと資料を読んで驚く。なお今回は現時点で90人の出席予定である。2時間ほどの打合せを終えて図書館を後にすると隣接する市役所では市議会議員選挙の投票所となり、多くの市民が訪れていた。
遅めの昼食を食べて帰宅し、自宅で雑務を片づけ人と会い、夕方に成って木更津スポーツヴィレッジ(旧中郷中跡地)へ行き房総ローヴァーズの2023年千葉県社会人サッカーリーグ1部の最終節となる試合を見る。
前半が残り5分と成った頃に着くと吉田議員の10番が走り回り1-0で先行しているところだった。相手のHCSフットボールクラブも昇格戦進出を競う相手なので後半に入ると試合は熱を帯び激しくなる。富士山の肩に日が沈みナイター照明が光る頃に追加点も入り、2-0で勝ち抜き関東大会への出場が決まった。
感慨に浸りながら帰宅して夕食を摂り、夜は報道番組を見た後にネットで君津市議会の開票結果を見る。落選となった候補者のうち最多得票者で次点となった斉藤利生候補の803票は前回の木更津市議会で最少得票当選者である藤田真澄議員の768票より多いという逆転現象も見られた。また新人候補8人のうち7人が当選を果たし1人だけが涙を飲む結果となり、県議選に立候補した元職と1期生2人が追い出された。この4人のうち3人は40代と若く、若者の挑戦が退けられたことだけを感じると残念であるが、22人の当選者の平均年齢も55.6歳であり、30代の新人候補4人が全て当選したことを考えると君津市議会も変わりそうである。
25日は午前中に私的な仕事を処理してからHPを更新する。午後からは中野畑沢線の未着手区間の状況を確認して歩き回る。新たに建築されている家も多く、貝淵工区に限らず用地買収は早期に取りかかるべきだと思うし、防災上の懸念が多い細い路地の解消も検討するべきだろう。
夜は青年会議所時代の友人と舗装の完成や君津の選挙の話などを肴に酒を飲み、情報交換を遅くまで行った。
26日は午前中に雑件を処理し、弁当を購入して会派室に篭もって来月6日の「中野畑沢線促進研究会」の資料を作成する。午後から新人議員が集まり会計の勉強会を始めていた。2期生で傍聴する議員もおり、春の予算審査に向けて戦力に育っていくことを願うばかりである。午後4時前に退庁し、学童に娘を迎えに行き事務所でHPを更新した。
27日は朝から岩根西中の運動会に来賓として参加する。感染症対策が一息したとはいえ運動会のプログラムは8種目だけであり、8時半の開会式から閉会式までが約3時間で午前中だけのスケジュールだった。
時間が短くなった分だけ中学生は集中して運動会を楽しんでいるようであり、特に卒業となる3年生は良い想い出となったことであろう。運動会の終盤では海側上空を自衛隊機の編隊飛行が2回ほど通過していった。こちらは日曜日の航空祭に向けた練習である。様々な事が戻ってきたと実感する。
閉会式が終わり駅前庁舎に移動し、昼食後に会派室で作業を行ってから13時半開催の議会改革特別委員会を傍聴する。この日は政務活動費に関する領収書の公開に向けて交通機関の使用条件の取扱と議会報告会について2時間近く意見が交わされ、特別委員会を設置して良かったと思うとともに決定権をもつ議会委員会の委員長として責任を感じる。
委員会終了後に三上・草刈議員と「中野畑沢線促進研究会」の資料や進行について調整を行い、資料を修正して事務局に渡す。帰り道に娘を学童に迎えに行き、録画してあった報道番組を見てから床に着いた。
28日は公務も急ぎの用事も無かったので私用で都内へ出かける。
買い物を済ませてから四ッ谷に移動して上智大学15号館を外から見学し、そこから上野まで歩いて「ル・コルビュジェの建築作品」として世界遺産に登録されている国立西洋美術館を見学し、アジアの臭いが強くなってきたアメヤ横丁を見学しながら秋葉原まで歩く。最後は八重洲ミッドタウンで寿司を食べて帰った。
29日は朝5時に起床して行政視察の準備をして雑務を片づけてからHPを更新する。7時に朝食を摂り荷物が重くて学校まで送って欲しいという娘と供に妻の車に乗り、岩根小学校経由で木更津駅西口に到着したのは朝8時に成ろうとしている時であった。総務常任委員会7人と議会事務局を含めた行政職員7人がバスに乗り込み常総市・下妻市への日帰り行政視察に出発する。曇っているがアクアラインからは遠く筑波山が見え、麓の2市まで日帰り視察に行くのだと思いながら隣の草刈議会改革特別委員会委員長と年明けの合同行政視察について検討を進めていると、到着予定時刻通りに常総市役所に到着し、午前中の視察を開始する。
1.茨城県常総市
市制施行 昭和29年7月10日
人口 61,309人(令和5年9月1日現在)
面積 123.64km2
令和5年度一般会計当初予算額 241億15百万円
財政力指数 0.71 (令和3年度)
視察項目 防災先進都市を目指す取組について
平成27年9月に発生した線状降水帯により鬼怒川の源流となる栃木県では記録的な大雨が記録され、常総市では10日6時頃に鬼怒川の堤防を水が越え始め、12:50には堤防が約200mに渡り決壊、市の1/3が水没して15人が死亡、4,258人が自衛隊等によって救出される事態になった。11日時点では市内の26避難所に4,501人、隣接するつくば市などの市外13避難所に1,722人が避難するなど、住民の事前避難の遅れやそれまで想定していなかった広域連携の必要性が明らかになった。
市では77回で177名から99時間に及ぶ聞き取りを行って課題を明確にして防災先進都市に向けた取組を開始した。項目は多岐に渡るが個人的に木更津でも必要だと思われる取組を如何に列記したい。先ずは近隣市との広域避難訓練と応援団体との災害時応援協定締結後に立案する受援計画の策定である。
常総市等では堤防決壊が広域的被害を生じるため鬼怒川・小貝川流域の13市町で協定を締結しているが、同様に高潮や津波で市街が広範に被害を受けると想定される房総半島でも取り組むべき課題だろう。
次に災害に対する市民の意識改革である。特に注目を集める「マイタイムライン」については自分の住まいのリスクを知り情報の収集方法を学びタイムラインを作成するもので「逃げキッド」という教材を使い家族で意識を共有するとともに介護予防教室等の場を使って高齢者にも情報を伝え、在日外国人への対応やアプリを使って警戒情報が発令されると自動的に避難行動を促すシステムを創るなど隅々まで展開するとともに日々進化している事にも驚かされる。今年度は市内にある15の小中学校の全てで「防災スポーツ」というメニューを通じて意識を高めている。15校での運営コストは390万円でふるさと納税の寄付金を活用していた。
防災組織は小学校区を基本として設立することで消防団や民生委員までが協力し合い、迅速な連絡体制・防災力の強化・要支援者対策が速やかに進むことを期待しているが、お互いの顔を知らない規模での対応には不安を感じる部分もある。洪水を前提としているので避難ビルの指定がないことは意外であり、手揚げをしていない要避難支援者への対応については明確な方向が示せていないことは木更津市と同様であった。防災士の資格取得も助成しているが平成28年度以降の8年間で資格を取得した177名のうち行政職員の資格取得を奨励した平成29年の105人が多数を占め令和になってからの5年間ではコロナもあって36人に留まっている状況である。防災士は知識を得て行動を行う市民を増やすメリットは高いが、災害ボランティア議員連盟での報告では必ずしも地域のために上手く回らない事例もあると聞いており、運営状況は気になる。
危機感を持続させるため電柱を使ってその地域の浸水想定深を掲示してある。単純に数値を示すだけでなくその高さの所にテープを巻いてあるのは良いアイディアである。因みに市役所西側の電柱には「鬼怒川想定浸水深3.0m」の表示があり、テープは遙か頭上であった。市役所が被災した事実を理解した。
日程がタイトなので充分に質疑の時間を執ることが出来ない事を残念に思いながら再びバスに乗り下妻に移動し、茨城県では有名な「板東太郎」の総本店で昼食となり、私は味噌煮込みうどんを食べ視察中に届いた電話への対応などを済ませてから午後の視察に臨む。
2.茨城県下妻市
市制施行 昭和29年6月1日
人口 41,576人(令和5年9月1日現在)
面積 80.88km2
令和5年度一般会計当初予算額 180億6千万円
財政力指数 0.67 (令和3年度)
視察項目 DX推進の取組について
渡辺委員長がネットの記事で下妻市の先進的な取組を知り視察に訪れたのであるが下妻市のDX推進課は個人情報カードや行政改革も担当しており本年5月8日に開庁された新庁舎への移設も担当するなど広範囲な業務を指揮する司令塔の位置付けになっている事には驚かされた。
下妻市の本格的な取組は令和4年度からの開始であり、市長を本部長とする推進本部を設けて業務が進められている。私が個人的に感心したことはサイボウズ社のkintoneを使用してアプリの内製化を進めることで大幅なペーパーレスを進めながら外部からのシステム導入コストを抑え、公用車の運転日誌のアプリ化等による全職員がシステムを使用することでスキルが上がることを目指していたことである。340人の職員規模ながら外部からのアドバイザーは置かずサイボウズ社とシステム改正の打合せを行うなど北海道旭川市とともにユーザーとして牽引する役割も果たしていた。また下妻市の部局が新たなシステム導入を検討する場合はDX推進課の査定が必要となり、簡単なシステムで有ればDX推進課が作成する場合も有るようだが、職員研修会を重ねたところ各課の若手職員が独自に創れるように成りつつあるようだ。kintoneの導入コストは全職員340人のアカウントを取得して250万円程度なので費用対効果は大きいと感じる。他にも供用プリンターの集約などでコストカットは進んでいるが効果額の算定はまだしていないという事であった。また、電子データをどの様に保管するかという文書管理ルールまでは進んでいないという点は木更津市と同様であり、電子市役所や議会のペーパレスに着いては木更津市の方が先行している。ただし新市役所に併せて電子採決を導入したようなので、その点は負けているように感じた。
質疑応答を終えて新しい議場を見学する。荘厳ではなくシンプルな造りに共感を持つ。同じ4階には筑波山テラスというデッキがあり15時過ぎの日射しを浴びた筑波山が近く綺麗に聳えていた。筑波サーキットは下妻市にありますという議会事務局の説明を思い出した。
午後3時に下妻市を出発し首都高の渋滞などに巻き込まれ木更津駅前には午後6時を過ぎて到着した。議員と同行した職員の有志の9人で情報交換会を行いながら、視察先での取組と本市との違いなどを担当から説明していただき、有意義な時間を過ごして長い一日を終了した。
30日は南隣の君津市で市民祭、さらに南の富津市でシーサイドマルシェ、北隣の袖ケ浦市でSODEJOB&ARTが開催されることを知っていたが、市制施行60周年も祝う「上総いちはら国府まつり」が西隣の市原市で開催されているため、市原に出かけることとした。市役所の駐車場に車を停めてシャトルバスに乗って会場に向かうと小雨が降っていた。内房総アートフェスの百年後芸術祭が開催される会場に行くとステージのようなものが設置されているだけである。公式HP等でもスケジュールが示されて居らず、質問しても解らないというスタッフが多い中で市の職員が午後7時過ぎにドローンを飛ばすようですという情報を得る。
夕方は地元で別の用事があるので国府まつりの開会式とパレードの冒頭部分を見学し先日の大雨被害で月崎以南の運行が見通せない小湊鐵道のブースで話を聞いてソーセージを購入して食べながら帰路に着く。開会セレモニーで小出市長が挨拶すると雨が止み青空が広がるのは強運の持ち主だと感心した。
1994年に木更津青年会議所をかずさ青年会議所に名称変更を行う事務を司る委員会の副委員長をしていた際に市原青年会議所に同意を求めたところ、上総の国府は市原に置かれていたのに木更津が「かずさ」を名乗るのは如何なものかという意見が寄せられて再協議になった記憶がある。当時はJEF市原として「市原」をアピールするのが市原青年会議所の責務で近隣の歴史の長い木更津が敢えて「かずさ」を選ぶ選択をしたことを尊重しようと言う意見に押されて前に進んだことを思い出す。その代わり上総の国府が市原に有ったことを再確認するような祭が始まった様に思うと自分の役割が微妙に影響しているように感じてしまう。ともあれ自宅に戻って視察報告を整理しているうちに町内の常会の時間となり、会場の地元の寿司屋では隣の部屋で私の後援会長の町内の常会も開催されており、話を聞きたいことがあると言われて両方の部屋を行き来した。私が知っている情報を伝えつつ、新しい情報を得るなど有意義な時間を過ごし、午後9時を回って帰宅してからHPの更新作業を行い、報道番組を見てから入浴して月末の土曜日を終えた。
→2023年10月上旬の記録 |