73.1月上旬の活動記録
 1日は娘と初日の出を見に行く約束だったが予想通り寝過ごした。
 既に空は明るくなっていたので新聞を読んでから地元の氏神様である江川熊野神社と坂戸神社に初詣に出かけ、お墓にお参りに行ってから檀那寺である江川光明寺に年賀を届けて帰宅すると年賀状が届いていた。公職選挙法の規定で届いた年賀状に自筆の返信を行うため、元日の午後は年賀状書きをする。
 午後4時を過ぎてほぼ書き終えたところで事務所がゆっくりと揺れる。元日早々に地震かと思いながら車に乗り郵便局に向かうとラジオが北陸で震度7を記録し、能都地方には大津波警報が発令されていることを知る。郵便局から帰宅してテレビのニュースを見ると広い範囲で被害が生じており、特に夜に入った能登半島の先端では酷い状況になっているようだ。戦争が終結し健やかな2024年に成ることを神様に祈ったが、願いは通じなかったようである。娘の要望で夕食後に双六などを楽しんだが皆が寝静まってから、夜遅くまで報道番組を見続けた。
 
 2日も朝から報道番組を見る。珠洲市での津波被害や輪島市でのビル倒壊など人口減少地帯に激しい被害が発生し、早期の自衛隊派遣が望まれる状況である。午後からは親族が集まるので昼前に準備を行う。
 父の富男は年越しで施設に入っているので家族写真は母が中心である。それでも孫や曾孫に囲まれ今年も新年を迎えられたことに感謝したい。和やかな昼食会を終えて帰宅すると能登での被災者数が増えており、全容解明には暫く時間が必要そうである。正月番組が多く情報が入らないのがもどかしい。
 夕方はニュースを見ながら小学校のPTA活動としてベルマークの整理を行いながら2日目は過ぎた。
 
 3日は新聞から被災状況を把握することは出来るがテレビは正月番組が続くことに苛立ちながら仕方ないので『サピエンス全史』の下巻を読んでいた。そのうち、既に現地に入った災害ボランティア議員連盟の報告がLINEで届くので読んでいると年賀状が届き、返信を作成して郵便局に届け、近くのスーパーで夕食を購入して帰宅した。視察や会議が続き現地入りすることが難しい状況が悩ましいと思いながらも、可能で有れば能都に行きたいと考えていた。
 
 4日も新聞を読み込んでから事務所に籠もり私的な仕事を片づけていると今回の震災に対して災害ボランティア議員連盟千葉支部の緊急会議を行いたいというLINEが届き、日程調整の結果、今夜の開催となる。昼から市内出かけて雑務を処理し、午後からも事務所で私的な仕事を片づける。夕食の後に事務所に籠もりZoom会議に出席する。
 能登の震災の現地報告も聞き、取り敢えず月末に予定していた保田での宿泊研修を中止することと、会員から募金を集めることの方針は出されたが活動内容までは決まらず、改めて調整を行うことになった。
 2時間近い会議を終えて最近思う事を記載してから冷えた風呂に入り、夜中の報道番組を見るが明らかになった状況や住民からの映像に災害の大きさを改めて実感することになった。
 
 5日は早朝に起床して旅行用の荷物を整理し、車に積み込んでからスーツに着替えて駅前庁舎に登庁する。地域政策室に確認すると京葉線通勤快速の各駅化に対して市原市とかずさ四市が週明けに要望を出すことを知る。市が動かなければ交通政策特別委員会で要望書を発議しようかと思っていたが、対応は行政に任せても良いかと考える。10時からは議長応接室で議会運営委員会の事前打合せを行う。正式な委員会は9日に開催して15日の臨時議会の運営を決めるのであるが、2件の議案を各常任委員会で審査し1日の日程で終える予定である。会議の冒頭に鈴木議員への黙祷を行うが、能登地震の被災者への黙祷は次の定例会の初日で行うことにするなど細かな点も決めさせていただいた。
 昼食を摂ってから娘を連れて妻の実家に移動しながら岩槻市や蓮田市の酒蔵を訪ねて日本酒を購入し、想定より道路渋滞等が無くて早着しそうでもあり娘も厭きてきたのでネットで調べて蓮田市の公園で日没までの1時間ほど遊ぶ。埼玉県の公園整備は素晴らしい。
 夜は仕事を終えて職場から新座に直行した妻と合流して夕食を食べ、妻の実家に寄って新年の言祝ぎを述べて義弟と酒を交わした。
 
 6日は8時に妻の実家を出て事故渋滞の関越道を水上まで走り雪不足の激しい中で水上高原藤原スキー場に着き、妻子を午後のスキースクールに入れて私はスキーで滑りながらスクールの状況を確認する。
 今回の旅行の目的は昨年の今頃に保育園の同級生と2泊して雪国体験をした宿に行き、去年どの様なところで楽しんだのか娘に教えてもらうことなので、スキー終了後に宿に泊まる。しかしスクールで疲れた娘は夕食後に寝てしまい夜の肝試しは出来なかった。
 
 7日は雪が舞う中で去年の遊び場所を教えてもらいながら散策し、宿の方にも昨年の状況を聞き楽しかったのだなと納得する。
 昼は「たくみの里」という集落全体が道の駅に指定されているかのような場所に行き藁アートを見て回り蕎麦打ちを体験する。他にも多くの体験が様々な場所で出来る三国街道沿いのまちづくりの手法は面白いと感じながら近くの温泉に入って、帰路も渋滞する関越道で木更津に帰り着いた。
 
 8日は昨日までの荷物や写真の整理を行い市内で所用を済ませ、知人のお見舞いに出かけた後に『サピエンス全史』の下巻を読み終えた。
 
 9日は冬休みが明けて荷物の多い娘を学校まで送り、HPを更新してから駅前庁舎に登庁する。10時から議会運営委員会を開催し臨時議会の日程を検討し、その後は前回の議会運営委員会で決めた議会費の要求に対する財務部査定の対応について正副議長とともに協議する。
 帰宅して雑務を処理して夕方には木更津商工会議所の主催する新年賀詞交歓会に出席し多くの方々と年始の挨拶を交わす。コロナ禍が明けて370人の方々が一同に集まっていた中には年始に生じた能登半島地震に心を寄せる方も見られた。今年が良い年になることを願い仲間内で新年を祝って帰宅した。
 
 10日は喉の調子が悪いので事務所で仕事を少ししてから病院に行き処方箋を貰って帰路につき自宅近くのドラッグストアで薬を処方してもらう。近くでは江川集会所の工事が進んでおり来週には建方を始めるということであった。夕方に買い物に行きながら郵便局から災ボラ議連の知人に活動支援を振り込んだ。
 夜になり翌日の行政視察に向けて着替えや読むべき本の整理をした。
 
 
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2024年1月中旬の記録