80.3月中旬の活動記録
 11日は娘を学校まで送ってから駅前庁舎の会派室に行き翌日からの予算審査の準備をしながら中野畑沢線促進研究会の沿線住民アンケートの原案を作成する。11時に父の見舞いに行き市内で買い物をして会派室に戻り14時半まで作業をしてから帰宅する。なおこの日は東日本大震災から13年目の日である。あの日に旧庁舎で教育費の予算審査を始めていたことを昨日のことのように思い出せる。震災が与えた影響として、木更津市では建物の耐震性不足が明らかとなり、旧市役所、市民会館・中央公民館が使用禁止となった。13年が経過して新施設としての駅前庁舎、吾妻文化芸術施設の設計が来年度から始まる段階に入った。
 右の写真のように中央公民館の解体は始まったが、震災の翌日に市長の決起集会を予定していた市民会館は封鎖されたままである。耐震性能を満たしていない公設卸売市場は使用禁止にも成らず現在も使用されている。旧市役所跡地への移転が示されたが事業完成はまだ先の話である。
 帰宅して雑務を処理してから多くのメールに目を通し、日没後にHPを更新してから夕食を摂り、翌日に備えて早めに仕事を切り上げた。なお翌日の審査部署と歳出金額は下表の通りである。
No 部等名称 課等名称 歳出予算額
1 総体的事項 0
2 財務部 財政課  3,658,469  3,844,373  6,329,101
3 市民税課 36,392
4 資産税課 34,858
5 収税対策室 114,654
6 会計室 8,110 329,267
7 市議会事務局 252,052
8 監査委員事務局 3,670
9 農業委員会事務局 16,509
10 選挙管理委員会事務局 48,926
11 市長公室 秘書課 9,551 694,364
12 経営改革課 634,414
13 シティプロモーション課 50,399
14 経済部 農林水産課 490,803 1,461,097
15 産業振興課 674,006
16 観光振興課 104,910
17 地方卸売市場 61,778
市場特会 129,600
 ニュースを見てから風呂に入り、湯上がりに携帯が鳴ったので発信者を見ると石井病院からである。それは23:30に父が亡くなったことを告げる電話であった。午前中にお見舞いに行ったときには「体力が持つのは残り一ヶ月ぐらいだから覚悟しておいて」と石井先生に言われていたがそれから12時間後に届いた訃報となった。父にとっては信頼する同僚議員でもあった石井先生に見守られて安心して迎えたの最後だから良かったのだろう。家族で病院に向かう準備をしながら遺体の搬送の手配を農協に電話し、翌朝からの対応も急務になるため草刈予算審査特別委員長に電話を入れてから病院に向かう。
 
 12日に日付が変わる前に病院に着き父と対面する。心肺機能の低下で呼吸が停まったという言葉の通り苦しそうな表情ではなく単に寝ているだけのようであった。農協の手配した車が午前1時半に病院に到着し深夜の自宅へ連れて帰る。私も午前3時に就寝し朝6時半から各所に連絡を入れたり所用を済ませてから朝食を摂る。8時半から葬儀について打合せをし、式場は天昇閣岩根ホールで17日の日曜日の16時から一般会葬を受け付け通夜を18時から開式、18日の月曜日の12時から告別式を執り行い14:15に火葬することを決めてからHPでも情報を告知する。この日は議会があるので妹の義父の葬儀と農協の岩根地区総代議案説明会を欠席としていたが、肝心の予算審査特別委員会も欠席になった。この日の審査範囲は全会計予算額の7.5%だけとはいえ総体的事項や重要な事業も多く申し訳ない思いであるが致し方ない。
 葬儀日程が決まったので各所に報告するとともに新千葉新聞社に電話をして記事掲載の依頼をする。午後からは家のことを母と妻に任せ議会に登庁して訃報の文面を確認し、次いで江川光明寺を管理する愛染院に行って故人のことや故人の兄弟の話をして帰宅し、墓石の件で石材店へも手配する。
 自宅を訪問していただいた親戚の方々と想い出を語り合ってから早めに夕食を摂り、夜は再び農協と打合せを行い細かなことを詰めた。
 
 13日は朝にHPを更新してから新聞を見ると新千葉新聞に葬儀を記事として掲載していただいていた。素早い対応に感謝しながらFacebookに転用する。
 家のことを妻に任せ駅前庁舎に登庁し予算審査特別委員会に復帰する。この日の審査部署と歳出金額は下表の通りである。
No 部等名称 課等名称 歳出予算額
1 市民部 市民課 137,541 17,226,507  39,756,985
2 保険年金課 2,749,382
国保特会  12,078,000
高齢者特会 2,069,000
3 市民活動支援課 110,630
4 地域共生推進課 81,954
5 消防本部 消防総務課 309,839 585,425
6 警防課 274,228
7 予防課 1,358
8 福祉部 生活支援課 3,177,115  21,402,120
9 障がい福祉課 4,483,155
10 福祉相談課 193,146
11 高齢者福祉課 555,672
12 介護保険課 1,721,032
介護特会 11,272,000
13 企画部 企画課 230,110 542,933
14 オーガニック推進課 16,605
15 地域政策室 296,218
 3つの特別会計も審査するため全会計予算額の47.0%がこの日の範囲である。予算額にすると前日の6.3倍である。審議の中で高齢者人口の増加で後期高齢者医療特別会計が増加しており本来で有れば加入者の減少で国民健康保険特別会計が検証するはずのところ1人あたり医療費の増加で事業費は減少していないこともあり保険料を県内統一に向け改定していくこと、金田地域交流センターの利用状況は増加の一途で営利営業の割合が25%程度で大きく変わらず6割程度はサークル活動等の利用が成されていること、消防本部が防衛補助で購入出来るのは各年であり補助額は車両毎に基本額が有って仕様を高めた場合には一般会計からの持ち出しが増えること、障害児通所支援と障害者自立支援の両事業で昨年度の約32億円から36億円に急拡大していること、来月1日から請西地区に東部包括支援センターが解説されること、特別養護老人ホームの入所待ちをしている市民は今年の1月現在で225人もいること、外国語会議人材のために日本語学校の開設も検討していること、吾妻文化芸術施設の基本設計は防衛省への補助申請業務があるため引き続き企画部で執り行い令和7年度以降に建設部門に所管替え検討すること、市内外の80団体との会議を通じて様々な企画が出され例えば里山再生では馬来田のいっせんぼく周辺の再生に取り組むことなどが明らかになった。私からは富来田分署の設計の遅れで工期が短くなり第三中学の時のようにゼネコンでないと仕事が出来なくなり地元業者を排除するような事が起きないことや、巌根駅についてはJRがバリアフリー対策の事業費を著しく軽減できたので東口改札の管理費はJRにおいて負担するように協議することなど、多くの指摘をしていたので委員会の終了時刻は午後6時となり4日の日程に変えながら残業となってしまった。帰宅して父に議会活動を再開したことを報告し、農協と打合せを行い、夜中に妻と通夜振る舞いの食事メニューなどを決めて深夜に床に着いた。
 
 14日も朝にHPを更新してから登庁し、10時から予算審査特別委員会に出席する。この日の審査部署と歳出金額は下表の通りである。
No 部等名称 課等名称 歳出予算額
1 資産管理部 財産活用課 630,973 1,654,329  16,281,082
2 営繕課 930,734
3 庁舎準備室 92,622
4 環境部 環境政策課 70,694 3,233,088
5 生活衛生課 460,868
6 資源循環推進課  2,701,526
7 教育部 教育総務課 583,780  2,650,971
8 学校教育課 261,911
9 学校給食課 728,121
10 まなび支援センター 16,440
11 学校給食センター 770,738
12 生涯学習課 22,855
13 文化課 42,325
14 図書館 42,162
15 郷土博物館 27,707
16 中央公民館 154,932
17 総務部 総務課 73,882 8,742,694
18 職員課 8,599,788
19 契約検査課 4,572
20 危機管理課 64,452
 特別会計や事業会計はないものの審査する部局の数は最も多い日である。審議の中で真舟小学校予定地の残地と元市営住宅の岩根・祇園団地を売却すること、市庁舎整備基金は令和9年度に使い果たす予定であること、プールが使えないが撤去できていない小学校が4校・中学校が5校有ること、公共施設再配置計画実行プランの見直しを始めていること、令和5年のきみさらづ聖苑は最大能力7550件に対して実績は4149件であり142件が四市以外の利用者であったこと、合併浄化槽は年に45基の計画であるが実績は28基程度であること、来年度の市内の中学校には第3子が200人も揃って無料化の対照になること、30日以上の長期欠席をしている生徒は令和6年2月末で小学校に271人・中学校に278人も居ること、小規模特認校の送迎バスは2923万円の予算を使って来年から4台を運行し富来田小学校のスクールバスはそれとは別に603万円の予算で1台が運行されること、給食センターのPFI事業が終わり包括委託に入ること、いきいき館を使って5つの小学校が水泳指導を受けており5月から12月までの間で各校3回の授業があること、中野畑沢線の文化財は10月から来年1月にかけて行われる調査で全て終了すること、吾妻への集約が決まっている市民会館の個別計画に350万円を投じるのは補助金の受給要件であること、市役所職員について定員計画の1070人まで採用したが多くの職員が他市に転職したことなどが明らかになった。この日も委員会の終了時刻は午後6時を回り残業となった。一因は私の委員会復帰にあることは明らかである。
 帰宅して父に議会活動を頑張ってきたことを報告し、訪問してくれた親戚と話をして早めに風呂に入る。風呂上がりに妻から通夜や火葬場、納棺等の段取りの相談があると言われ妻の前で話を聞いていたが、1時間半以上も立ち続けるとは思わなかった。
 
 15日は朝5時半に起床してHPを更新する。この日は岩根小学校の卒業式に来賓として招待されていたが欠席するため電報を事前に送ってある。9時前に登庁して会派室で作業を行い10時から予算審査特別委員会に出席する。この日の審査部署と歳出金額は下表の通りである。
No 部等名称 課等名称 歳出予算額
1 健康こども部 子育て支援課 3,261,917 9,678,731  22,140,000
2 こども発達支援課 15,484
3 こども保育課 4,605,108
4 健康推進課 1,638,469
5 スポーツ振興課 157,753
6 都市整備部 都市政策課 33,167  12,461,269
7 市街地整備課 1,398,794
8 建築指導課 13,345
9 住宅課 238,238
10 下水道推進室 1,471,155
下水道事業(収益的支出)  3,920,323
下水道事業(資本的支出) 3,036,245
11 管理用地課 576,704
12 土木課 1,773,298
13 総体的事項 0
 下水道事業会計は収益的事業と資本的事業があり、収益的事業には実際の歳出を伴わない減価償却も含まれる。審査の中で平成31年と令和5年の4月1日で比較すると5歳以下の子どもは6605人から6135人に減少しているものの保育園児数は1904人から2274人に増加していること、来年度は旧東清保育園を地域子育て支援拠点として建て替えるのに約60%の補助を行うこと、傾きが確認された危険な木造家屋の空き家は60件有り20件は所有者と連絡が取れていないこと、区画整理組合から移管を受けて未整備の公園は来年の3箇所を終えても4箇所が残り新たに金田西から11箇所が移管されてくること、金田第一駐車場の用地を約5億3千万円で購入するが駐車場事業の利益で計算すると20年で償還出来ること、新火葬場の道路整備予定600mのうち1筆が未買収であり交渉がまとまらない場合は暫定施行になること、等が明らかになった。審査は15時半に終了し討論の時間で堀切議員より反対が、佐藤・田中・近藤から賛成討論があり予算審査特別委員会は終了となった。
 引き続き16:10より基地政策特別委員会協議会が開催されるが新聞報道の復習で新たな情報はないと聞いていたので帰宅して買い物に行き、米が尽きたので玄米を精米に行き、夜は父の人生を振り返って資料をまとめ喪主の挨拶に備えていた。
 
 16日は娘を土曜学校に連れていき、農協と葬儀の打合せを行ってから事務所で父の人生を整理してHPに最近思う事を記載する。
 友引なので葬儀が出来ず、午後からは家の前の用水路を清掃する。前屈みでの作業で直ぐに腰が痛くなり休みながら作業する。清掃作業を終えて道具を片づけ、娘を土曜学校に迎えに行きパンを買って帰り、父が家にいる最後の夜をしんみりと過ごした。
 
 17日は朝から江川区の溝払いの日であるが葬儀の準備のため欠席するので前日の内に家の前だけ作業をしておいた。午前中から改めて父の棺に入れる小物などを整理して金具などを切り落とす。昼過ぎに姉妹が家に集まり、14時に納棺し、15時に霊柩車へ乗せて私も同乗して一緒に斎場に入り、それから3時間ほど会葬者へ挨拶をしながら司会進行の打合せを行い、多数届けられた弔電の読む順序などを決める。
 
 駐車場が狭い斎場なので2時間前から一般会葬を受け付けたが、現在の同僚議員だけでなく四市の多くの議員や父の代の議員も多く来ていただき、父と一緒に農協や農業委員会をされた方、地域で長らく世話になった方、市役所の職員や私の友人など多くの方々に見守られ父の通夜が営まれた。通夜振る舞いも終わり、母と姉と妹が父と一緒に過ごし、私は夜遅くに帰宅した。
 
 18日は交通政策特別委員会が開催される日であるが葬儀のため欠席させていただく。斎場に泊まった母に朝食を届け、埼玉から朝のアクアラインバスで来ていただいた義母を自宅で待ち一緒に斎場に入り、10時半から会葬者への挨拶を行う。12時より告別式と初七日法要を執り行い、位牌を持って霊柩車できみさらづ聖苑に行く。15分刻みで15:15まで火葬の予定が入っており名前の後に自治体名が表示されている事が広域らしい施設である。14時に火葬が始まり導師や親戚と待合室で話をしていたが娘が散歩したいというので聖苑の園路を歩き回る。
 火葬が終わり骨壺に父を収め親戚と一緒にマイクロバスで斎場に戻る。同席していただいた親戚の方々に御礼と四十九日法要の案内を行って解散し、姉と妹の家族と我が家で墓地に行き納骨を済ませる。我が家の墓地では風が強かったが石材店の協力の元で滞り無く一連の行事を済ませることが出来た。
 自宅に戻って後祭壇の設置に立ち会い、18時から納骨に立ち会った親戚と父が好きだった東洋に行き、父を偲んで食事会を行った。この店で父が如何に我が儘に振る舞ったか、出入り禁止に成らなかった不思議さなど、父の遺影と位牌に話を聞かせながら夜は過ぎていった。
 
 19日は父が生前にお世話になった潮の香園・さつき園・西部包括支援センターなどに母が挨拶に行きたいというので連れて回り、それから朝日庁舎に行き10時半に予約していた「おくやみコーナー」を利用する。
 各種手続き窓口を回らねばならなかった作業を周囲の目を気にせずに処理できることは素晴らしいサービスである。提案してきた公明党議員団に感謝したい。ただし固定資産税の支払先を誰にするのかと聞くなら固定資産情報を提供しても良いのにと思う。
 一通りの作業が終わり、資産税課に立ち寄って固定資産情報を料金を払って入手する。1987年に亡くなっている祖父の財産も残っていることに気が重くなる。6人兄弟で最も長生きだったのは我が父だったので相続人は孫や曾孫世代まで推定17人に成っているので僅かな評価額の土地を相当の手間をかけて処理しなければならないとしたら法の不備を感じる。そもそも相続手続きを義務化するなら私が調べて把握するのではなく、国において資産一覧を提示すべきだと思うのである。ともあれそんなことに文句を言っても仕方ないので帰宅して父の葬儀で不義理をした妹の亡き義父の焼香に行き、ともあれそんなことに文句を言っても仕方ないので帰宅して母と妻と一緒に妹の亡き義父の自宅へ向かい焼香をさせていただった。昼食後はさつき園に行き理事会に出席した。
 帰宅後に妻を連れ葬儀の情報を記載していただいた新千葉新聞、最後を看取っていただいた石井病院、菩提寺の江川光明寺の住職である愛染院等へ挨拶に回り、帰路で娘の学童に立ち寄る。帰宅して後祭壇に線香をあげて酒を手向け、夕食後に事務所に籠もって会葬の感謝のためにHPを更新した。
 
 20日は昼前からオークラアカデミアパークホテルで浜田靖一代議士の衆議院在職30周年祝賀会に出席する。かずさ四市と安房郡市の議員や経済人など多数が揃い、父の葬儀に来ていただいた人も多く見られたが葬儀の喪主を務めたばかりの私が「祝賀会」で歩き回ることも如何なことかと思い静かにしていた。この日は春分の日であるが生憎の曇り空でダイヤモンド富士も期待できそうもなく、帰宅後は自宅で葬儀の後処理を日が暮れるまで続けていた。
 
 
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