81.3月下旬の活動記録
 21日は3月定例議会の最終日である。早めに議会事務局に行き元議員である父の諸手続きについて相談し、各会派に生花の献花の御礼に回り10時より本会議に出席する。私からは1月に視察した宮崎県日南市と宮崎市の報告を最初に行う。冒頭に全議員や執行部に対し父への御礼を申し述べようかと思ったが私的な事は極力封じ込めようと考えて言及を行わなかった。委員会付託議案の討論や採決が行われた後、付託省略となった下記の人事案件の審議を行い全議案とも可決して本会議は終了し、引き続き下記の案件で議員全員協議会が開催された。
区 分 番号 内容(件名とは異なる) 関係部
付託省略議案 議案16 教育委員会教育長の任命 総務
議案22 固定資産評価員の選任 総務
議案23 監査委員の選任 総務
議員全員協議会 No.01 KCSの煤塵の埋立基準値の超過 環境
No.02 金田小学校及び中学校の整備 教育
 議員全員協議会の案件は委員会協議会での説明から大きく変わっていない。議会全員協議会終には役職定年職員紹介がある。昨年までは退職職員の紹介なのであるが池田議会事務局長と平野監査員事務局長以外は定年延長が始まり来年も在職するので少し赴きが異なる。それでも全員が同学年であり、中学や高校の同級生も紹介される職員の過半数となる5人も居て、個人的には例年以上の寂しさに包まれる。
 議員が退席した後で役職定年職員と正副議長及び市長・副市長・教育長による記念写真が撮影されるので後ろから覗き込み個人的に写真を撮る。これで年度内の公務が終わったので帰路につき、自宅で葬儀に会葬していただいた方の一覧表の作成を始め、夕方にタブレットに送られた人事異動内示を読む。
 初七日法要も終わったので社会復帰を始め、年度末恒例の次長級職員と監査員・議員による情報交換会に出席して、同級生の職員に長年の苦労を労い、来年度の人事を肴に杯を交わし夜遅く帰宅した。
 
 22日は災害支援ボランティア議員連盟千葉支部の有志で富津市の高木元議員の選挙を手伝うという鎌ヶ谷の議員に我が家に残っている木杭を預けてから父がお世話になっていた税理士事務所に挨拶に行く。
 打合せが終わり私も青年会議所の後輩でもあり昨年度のOB会会長だった高木の応援に行き鎌ヶ谷や習志野の友人とともに事務所の準備や看板の設置などを手伝う。夕方には昨年に売却した父の土地の納税の件で不動産屋に寄り、その後に娘を学童に迎えに行き、帰宅して会葬者一覧表の作成を終えた。
 
 23日は生憎の雨であるが、木更津駅まで路線バスで行き、シャトルバスで内房総アートフェス(以下AF)の開所式会場に式典を丘の上から見学し、その後はオープニングツアーに参加して作品等を見て回った。
 細部については最近思う事にまとめたが多くの人と一緒に回る中で新しい発見も多かった。右は旧里美小学校体育館で市原の臨海工業地帯をイメージした作品を観るのに雰囲気を出すためにヘルメットと懐中電灯を装着した写真であるが、ここで旧知の市原の議員から牛久以南の人口減少の急激な進展状況や『いちはらアートミックス』が地域に与えた効果、加茂学園生徒のゴルフレベルなどを情報交換できたことも有意義であった。
 ツアーがKURKKU FIELDSで終わり、小林武史さんによるライブパフォーマンスが開催されることは解っていたが連日寝不足で疲れていたこともあり先に帰宅して早めに床に着いた。
 
 24日は日曜日であるがハッキリしない天気である。家族で墓参りを済ませ、雑件を処理していると通夜から一週間経っての焼香に来て花をあげてくれる後輩もおり、お陰で父の祭壇は綺麗な花に包まれた。
 遺影の周りや位牌の周辺に娘が作った折り紙などが飾られていて何となく心温まる状況でもある。父が生前中には春休み中に能登の支援に行くつもりであったがやるべきことも多いので四十九日法要が終わった連休明けまで先送りするしか無さそうである。でも娘に少しは想い出を作らねばとも思う。
 午後から溜まってしまった仕事の処理とHPの更新作業に手を着けたが、なかなか進まずに夜遅くまで作業を続けた。
 
 25日は春休みに入っている娘を学童に送り、自宅で仕事を片づけてから金田に買い物に出かけながら内房総AF作品を撮影に行く。雨で背景のアクアラインも霞み、手前の廃船と相まって廃墟的な作品である。
 
 公式ガイドブックによるとSIDE COREの作品であるが、地元の漁師の間では陸から離れた防波堤に誰が住んでいるのだと噂になったとも聞いている。晴れた日の富士山を借景にした風景や夜に三日月ホテルの花火との相性も気になる作品であった。その後は農業委員会や農協を回り父の死去に伴う各種手続きを確認し、午後4時過ぎに娘を迎えに行き、帰宅後に友人から指摘された誤変換等の解消のためHPを更新した。
 
 26日は朝から雨なので娘を学童に送ってから理髪店で3ヶ月ぶりに散髪する。駅前庁舎に登庁して会派室で作業を行い、娘を学童に迎えに行って帰宅する。夜は録り溜めてあった報道番組を見て寝た。
 
 27日は晴れたので娘を学童に送ってからきみさらづタワーに登る。
 
 北風が冷たかったが、富士山や丹沢はもちろん筑波や日光連山まで良く見えていた。そのまま久留里まで足を伸ばし先日開通した国道410号バイパスの状況を見に行き、友人の宮崎酒造に立ち寄って話をする。
 国道の縦断曲線や平面線形など設計規格の高さには技術者として感心したが肝心のバイパス機能を果たすためには写真の部分から小櫃川を渡って久留里街道を接続する部分が必要であり、同時開通と出来なかったことが残念である。それでも愛菜館周辺が新たな観光になりそうで今後が楽しみである。
 市内で買い物をしてから昼食を撮り、朝日庁舎で打合せをしてから農協本店に入り13時半から第51回通常総代会に出席する。定款変更などの6議案が採決されたが2028年度までの5年間のJA木更津市農業振興計画では市が実施したアンケートで2005年から2020年で10ha以上の耕作者や認定農業者が46.4%も減っていること、JAが園芸出荷組合や梨生産者に対して実施したアンケートで後継者不足が深刻なことが数値で明らかとなり、JAも昨年の7月から農業作業を支援するコンストラクター事業を展開し規格外の販路を拡大し理事を現況の16人から次の総代会から13人に削減することなどの改革を進めている事が示された。私が理事をしている頃より経営環境は一層厳しくなったと感じていた。
 天気が良いので街中のアートを見て回ろうと思ったが、クルックと同様に火曜日と水曜日は定休らしく見ることが出来ず帰宅の途中でV-22の飛行再開が観られたので内港北公園に車を停めて写真を撮る。その後に娘を学童に迎えに行き、事務所で雑件を処理してからHPを更新した。
 
 28日は午前中に私的な仕事を片づけ、午後から銀行に行きながら今月末で退職する池田議会事務局長に挨拶に行き、その後は6階に降りて中央公民館で開催されている中尾彬コレクションを見学する。
 中尾彬さんの作品3点を含め、会場の会議室には全部で38点の絵画が飾られ美術館の様相である。全て木更津市に寄贈されたもので今後の保管や展示方法が課題となろう。見学に来ていた市民も多く、吾妻の文化芸術施設には美術館的機能の空間を設けるのも一つの選択になるかと考える。
 帰宅して雑務を片づけ、夕方は母を乗せて袖ケ浦のコミュニティセンターで英語塾の発表会の練習をしている娘を迎えに行き、袖ケ浦の日帰り温泉施設で汗を流したが娘が元気がなかったことが気になった。
 
 29日は都内で開催している演劇を見に行く婆と娘を雨の中の金田バス停まで送る。波浪警報が発令されアクアラインが通行止めになっていたので東関東自動車道を経由しての「陸回り」となり東京駅まで約3時間を要したようである。私は金田バスターミナルから富津市の南部まで移動して青年会議所の後輩でもある高木元市議の選挙看板の設置などをお手伝いする。地元紙によれば16人の定数に現職12人と新人5人と元職1人の合計18人が議席を争う体勢のようだ。現職の多くは友人でもあり、議席を守って欲しいと願うとともに木更津や君津のように新人議員が大量に当選して世代交代が起きるところも見たい気もする。日没まで作業を手伝い、帰り道にスーパーで弁当と麦酒を購入して疲れを癒した。
 
 30日は天気の良い週末であるが、前夜から娘が熱を出しているので午前中に小児科に行き、午後は妻を眼科に送迎するなどして過ごした。内房総アートフェスなども見に行きたいところであるが、先に送ることにして、合間には雑務を処理し、溜まっている報道番組をまとめて見た。夜に入浴しようとしたが調子が悪かった風呂の湯沸器が父の後を追うように壊れてしまい、風呂に入らず床に着いた。
 
 31日は妻が所用で都内に出かけるので娘を看ながら事務所で雑務を処理する。黄砂ではあるが晴れて気温も上がってきたので、所用から帰宅した我が母に娘を預けて近くの内房総アートフェスの作品を観に行く。

▲75 <V(Provisional Monument 5)>
 
▲76 <On the Couse>

▲77 <Grounding>

▲78 <dream house>
 私の前後にも鑑賞者が居て、有る程度の誘客効果は生んでいるようだが休日や鑑賞時間の情報が解りにくいことなど改善の余地を感じているが、何より市民に知れ渡っていないように感じる。個人的には75番の作品には一見の価値を覚えたが、中には良く解らないものもある。78番の作品を多方面から観てから金田東に居住する姉の家で風呂を借り、帰宅後に事務所でHPを更新した。
 
 
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