09.3月下旬の活動記録
 21日は3月定例会最終日である。開会に先立ち19日に逝去された吉原環境部長に黙祷を捧げてから本会議が始める。付託された各委員長より審査結果報告がなされ、討論の後に採決が行われ全議案とも可決承認された。次いで議会運営委員長である私が発議案を上程する。
番号 内容(件名とは異なる)
発議01 市議会委員会条令の一部改正
発議02 市議会個人情報保護条令の一部改正
 発議1号は議案18号の可決に伴い各常任委員会の所管を整合させる案件で、発議2号は刑法等の改正に伴う議会個人保護条例の改正であり全会一致をもって可決され、その後に選挙管理委員及び補充員と閉会中の継続審査の申し出を承認して44日間の会期である定例会は終了となった。引き続い下記の議案で議員全員協議会が開催される。内容は常任委員会で聞いているので割愛するが、議案の中には委員会の意見を受け入れて資料を改定しているものも有り、好感が持てる。
番号 内容(件名とは異なる) 関係部 頁数
No.01 定員管理計画の策定 公室 18
No.02 使用量・手数料等の見直し基本方針の改定 公室 20
No.03 公共施設等個別施設計画(市民会館) 総務 27
No.04 避難行動要支援者避難支援プランの意見公募 総務 40
No.05 笹子塵芥処理場跡地の災害対策拠点事業 総務 11
No.06 土地開発公社経営健全化計画(第6次)の改定 企画 23
No.07 第3期オーガニックアクションプランの意見公募 企画 116
No.08 吾妻公園文化芸術施設の基本設計(素案) 企画 18
No.09 公民館の地域交流センター移行に伴う意見公募 市民 13
No.10 第3次観光振興計画素案の意見公募 経済 81
No.11 金田小学校及び金田中学校の整備事業の進捗 教育 5
No.12 公共施設等個別施設計画(博物館) 教育 28
 資料の枚数は次第を除き合計で400頁に達する内容で、ペーパレス前には膨大な紙資料が置かれていたことを懐かしく思い出す。全員協議会は正午を過ぎて終わったが、引き続き役職定年職員の紹介が行われる。今年度末では退職及び役職定年の職員が44人ほど予定されているが議会に関係の深い次長級以上の4人の職員が紹介された。全員が部長級で来年度も引き続き職員としては勤務を続けるということである。
 会派室で昼食を摂りながら来週からの研修会などを打合せた後、13時10分から市庁舎整備特別委員会が開催されるので出席する。内容は11日の理事会を受けて議員全員へ対する説明の位置づけであり草刈・渡辺・田中議員の質問により細部のイメージも持つことが出来た。
 千葉興銀に立ち寄って帰路に着き自宅で雑務を片付けてから路線バスに乗って吾妻神社前のバス停まで移動しダイヤモンド富士を期待しながら情報交換会の会場に向かう。いつもの場所には多くのカメラマンが集まっていたが黄砂が厳しいのか富士山が太陽をさえぎっている姿を見ることが出来ず残念だった。
 職員の内示が17時に出された後で18時から特別職と市の幹部職員と議員による情報交換会が開催される。審議中には人事情報を出さないという状況下で部長級が4人抜けるだけだから小規模な人事と思っていたが想定外に激しい人事であり、議員は人事にコミットメントすることは控えているが想定外が多すぎると思いながら情報を交換し新人議員に俺の背中がどこまで見えているかなどと話した。
 
 22日は翌日の地域での溝払いの前に自宅周辺の整備をするが土曜で自宅にいる娘が手伝いたいというので一緒に始めると想定通り直ぐに飽きて余分な使途を増やすので追いやり後始末の作業もするなど2時間ほどの仕事を終えシャワーを浴びる。着替えて給油と買い物に出かけ、午後から自宅で私的な仕事を片付けてから文京公民館に向かい15時に開催される君津高校同窓会役員会議に出席する。総会の設定や同窓会活性化のためのHPの作成などを打ち合わせるが進行で重要となる還暦を迎える11期生の動向が解らず肝心のところが決まらない。2時間ほどの打合せを終えて食事会を行い内房線に乗って帰宅した。事務所に籠り今月5日に実施した一般質問の文章起こしをするつもりであったが17日後でも録画資料がアップされていなかったのでHPを更新して就寝した。
 
 23日は朝から地域の水路清掃を農地所有者の方々と行う。小櫃堰土地改良区が農業用水を送り始める前の作業であるが米を作っている農家は4世帯しかなく私を含め多くは用水の恩恵とは関係ない。作業後の役員会議でも水路清掃作業や土木委員の必要性を検討しようということに成った。
 会議後に昼食を摂って帰宅し、昼寝をしてから買い物に行き翌日からの研修会に備えて荷物を整えてから京都の情報を調べHPを更新した。
 
 24日は朝7:55のアクアラインバスで品川に出て新幹線で京都に向かう。受講する研修は翌日の午前中なので夕方に京都に入っても間に合うのであるがインバウンドの状況を視察するため早めの移動である。
 嵐山でも錦市場でも多くの言葉が飛び交い風景は京都なのにまるで異国に居るような気持になる。食べ物や土産が売れ着物のレンタルが好調であるが交通整理の要員が配置され行政負担は多そうである。ローカル鉄道であった嵐山鉄道も賑やかで交通政策の効果も大きいが路線バスは台数が足りないようだ。
 細かな数値の把握は行っていないが木更津で感じられないインバウンドの状況を体験できたことは将来の観光政策を考えるうえで良いヒントになるだろう。それにしても祇園の路地まで観光客があふれる状況は京都の気品を押し下げていると怒り出す人がいるのも解る気がした。
 
 25日は早朝に東寺の参拝を済ませてから朝食を摂り、歩いてホテルから800mの京都JA会館に行き10時からの研修会に出席する。
 地方議員研究会が主催する研修会で講師は元京都市議会議員の村山祥栄氏による「財政の歳入増加策」である。2時間半で受講料が1万5千円であり政務活動費が潤沢な大都市が集まっているかと思ったが仙台市や姫路市から宇多津町など「町」も含めた12自治体が参加していた。
 財政調整基金の適正規模やふるさと納税の課題、法定外新税の導入など木更津市議会でも過去にに鶴岡議員や私が取り組んでいたことが詳しく説明され復習に成ったし新人には良い研修だった。決算で黒字に成ることに意味は無く歳入の中で基金の取り崩しや行政改革推進債などの起債が危険なことを京都市の事例で具体的に示していただき勉強に成ったし、全国的に様々に制定されている法定外新税は施策誘導に繋がったり住民以外からの収入にも成ること、ネーミングライツが歳入を期待するより維持管理費の低減を目指すこと、アイディア次第でふるさと納税の展開は広げられることなど、木更津市に帰っても使えるアイディアが数多くあった。増え続ける社会保障費の前で行政改革を続ける意味として「下りエスカレーターを昇り続けないと下に落ちる」という比喩は簡単で解り易い言葉であった。正午を回り研修が終わり、近くで昼食を摂りながらせっかく政務活動費を使用した効果を見せるため、6月定例会で質問として活用することで自らの力にして欲しいと新人議員に負荷をかけた。
 京都駅まで歩き土産を購入して巨大な京都駅を見て回っているうちに君津市の議員から千葉ロッテ2軍の本拠地移転先が君津市に決まったという情報が届く。31自治体から提案があり、君津市は最終選考に残っていたことは知っていたが千葉市を破り選ばれたとは近隣市としても嬉しい話である。
 15時1分の新幹線のぞみで帰路に着き、車中で新聞購読者の減少による会派報の在り方や今後の視察及び研修について意見を交わし、木更津までに方針が決まらなかったので、木更津に戻ってからも有志による別会場を設定したので帰宅は遅くなった。
 
 26日は溜まっている雑件などを片付けて回り、午後からは事務所で昼休み中の娘の面倒を見ながらHPを更新したりする。夕方に青年会議所の後輩の尊父の通夜に顔を出し、帰宅して夕食を食べると前日までの疲れが出てきたので早めに床に入った。
 
 27日は午前中に母を連れて金融機関で手続きを済ませて帰宅し、午後からは木更津市農業協同組合の第52回通常総代会に出席する。
 全総代520人中126人の出席と334人の書面議決で総代会は開始された。組合員数は正准併せて前期末の8,463人から当期末の8,342人まで121人の減少となる中で増資により出資金は増やし、様々な改革を進めるという方針で、今年度改選される役員も今までの理事16名体制から13名に削減される。
 渡辺市長の来賓あいさつの後に7件の議案を審議し、齋藤高根・堀切俊一両市議を含む13名の理事と5名の監事を全員賛成で選出して15時半過ぎに総代会は終了となった。娘を学童に迎えに行ってそのまま翌日のドライブのためDVDをレンタルして予約したピザを購入して帰宅する。スキー道具などを車に積み、早めに食事も済ませて就寝した。
 
 28日は朝4時半に起床して夜のうちに妻が準備した娘のスキー服や道具などを車に積み込み5時半に自宅を出発する。車内に冷房を効かせる中で標高1300mに位置する軽井沢スノーパークに着くがTシャツでも寒くない陽気である。先日の寒波でゲレンデの雪は多いのであるが所々に水溜まりも見えて久々にシーズン終盤のスキーだと実感する。
 春スキーで料金も安いがリフトは1基しか動いておらず初心者ゲレンデとキッズパークだけの開設である。平日なのでお客も少なくリフト待ちは全くない。服装を整え娘のブーツや板をレンタルしてゲレンデに出る。朝は青空も見えていたが午後には雨も降ったので3時間ほどで切り上げた。
 仲間と行くとスキー後の温泉や食事も楽しみなのであるが娘が帰りたいと言い始めるので私だけ着替えて帰路に着き夕方には自宅に戻った。
 
 29日は前日と一転して寒い雨の日である。群馬のスキー場より寒いと感じながら雑務を処理し、散髪に行き、午後からHPを更新する。夜には翌年度の岩根小学校PTA役員の方々と顔合わせを行った。
 
 30日は娘のリクエストで春休みの自転車旅に出かける。と言っても本格的なサイクリングではなく保育園の頃に矢那まで走った記憶の追体験をしてみたかったようなので、どうせなら市境越えをさせてみた。
 私は
全国を走破したが袖ケ浦市だけは何時が最初なのか記録にない。娘はこの日が木更津市以外の一つ目の自治体である。平成の大合併の結果、残りは現時点で1,727だから私の基準時の1985年の3,254自治体より簡単に終わらせられるだろうが、チャレンジすると言っても辞めさせるだろうな、等と考えつつ昼食を含めて約3時間の旅を終えて帰宅した。夕方は眼科に行く妻のお供を娘とともにおこなった。
 
 31日は娘を学童に連れていき、会社に通う妻とともに金田BTから高速バスで東京に出かける。飯田橋駅から歩いて靖国神社を参拝してから市ヶ谷のホテルに入り浜田靖一代議士の後援会である至幸会が主催する「2025春 日本の未来を考えるセミナー」に出席する。
 
 
 講師は自民党組織運動本部長である小渕優子代議士であり君津郡市と安房郡市の議員や各種団体の方々が多数集まるなかで少数与党による国会運営の課題や国際情勢などの情報を聞いた。この日は参議院で総額およそ115兆2千億円の新年度予算案が修正のうえ可決され、午後には衆議院本会議で同意されて成立する日と重なり駆け付けてくれた国会議員の方々も実に忙しそうな日であった。
 私は特に忙しくないのでセミナー終了後に満開宣言が出された上野の桜を見にJRで移動すると雨模様の寒空にもかかわらず多くの人が出ており「うえの桜フェスタ2025」というイベントには全国の出店が揃うなどゴミ箱を含め規模の大きさに驚かされた。外国人も多く見かけたが日本人もそれより多く居たので京都のように異国感は覚えなかった。軽く飲んでから仕事の終わった妻と東京駅で待ち合わせて帰路についた。
 
 
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2025年4月上旬の記録