64.10月上旬の活動記録
 1日は台風26号が接近して房総では雨になるという予報が出ていたし災害ボランティアセンターも本日の活動は行わないことを決めていたの事務所で私的な仕事を処理する。天気予報は良い方に外れ、爽快青空が広がってきたので台風25号で湿ってしまった段ボールを天日で乾かしてから紐で縛り翌日のゴミに出す準備を行い日没後に娘を袖ヶ浦の塾に迎えに行った。
 
 2日は朝7時半に自宅を出て土砂崩れの現場を多数見ながら矢那を超えて田川に入り地区計画を立案することで開発が可能となる山砂採取場を市道から撮影しながらこの場所であれば高さ50mのビルが建ってもさほど目立たないだろうと納得する。そして富来田交流館に付くと災害ボランティアセンターだと解る垂れ幕が掛かっていた。2階に上がり
JoyLinksをインストールして活動登録を行いビブスを着用する。これは受付等の合理化を図るアプリで船橋・千葉・八千代・市原・成田・印西もこのアプリでボランティアを募集していた。社協のHPに富来田交流館の情報が無くてもこのアプリで辿り着いたボランティアが私以外に7名おり、マッチングの前の注意事項説明もパソコンで行うのも新しいと感じながら話を聞く。
 この日は市野々地区で敷地の庭に堆積した土砂の搬出作業であり、午後からは青年会議所の現役1名も作業に加わりながら来月に予定していた高校生議会が内房線不通による影響で中止になることを知る。昼食を市野々集会所で摂りながら話を聞くと東京都福生市から前夜に車中泊をしてボランティアに参加していただいている人もいることを知る。午後に心配されていた雨もなかったが土の量が多く、この日のうちに完了とは成らずに午後3時に作業を終了して富来田交流館に戻る。ニーズを考えるとボランティアを30人以上募集して複数の班で事に当たる方が良いのではと思う。なお、今回の災害から導入したJoyLinksは作業リーダーの報告もスマホ入力なので確かに効率は良く、合理的であると感じた。帰宅してシャワーを浴び路線バスで木更津駅に行き懇親会に参加したが災害の影響で参加予定であっても欠席になった者が多かった。それより金曜日なのに他の宴席も無くなったようでホテルや居酒屋は空いており、木更津市街の景気後退が気になりながら二次会まで顔を出して帰宅した。
 
 3日は目が覚めると筋肉痛で腰も痛い。足利や大網白里で活動した時より運動量が多かったことを感じながら自転車で岩根西交流館に行き、9時開催の第41回岩根西地区文化祭実行委員会に参加する。今後の流れを確認して会議を終え、出席者と地域の様々な情報を交わして帰宅する。雑件を処理してから昼食を摂り、午後にはアップが遅れていた9月定例会の
録画配信を見ながら一般質問の全文を整理し、HPを更新した。
 
 4日は内港公園で第18回KISARAZU PARK BAY FESTIVALが、鳥居崎公園でナチュラルバルが、それぞれ予定されていたが台風25号の復旧に全力を注ぐため苦渋の決断として中止になっている。時間が空いたものの日曜日なのでボランティアはそれなりに来ているだろうと考え、午前中は連日の雨で作業が出来ていなかった生垣の剪定などに汗を流す。昼食を摂り午後からは翌日に臨時ダイヤで木更津駅から長浦駅間での運行が始まる情報を仕入れに巌根駅や長浦まで行き、写真を撮影する。
  帰宅後に夕食を摂り、深夜までデータを整理してから最近思うことに記載して、他のHPの項目もいくつか更新した。
 
 5日は朝から富来田交流館に行き私と斉藤秀樹議員と他2名で災害ボランティアを行う。今回も市野々地区で民家の庭に流れ込んだ土砂を土嚢袋に入れる作業である。午後から1名加わり1名帰宅したがとてもこの人数で行うような作業ではないと思い、作業終了後に社協に対しニーズが多いのだから募集を増やせばと提案したところJoyLinks上の人数は10名から20名に変更された。アクアラインで隣接する対岸には膨大な人口が居るのだから木更津市周辺に限定する必要はないのではという提案には高速道路無料措置が認められていない状況ではトラブルの元になるので認可後に対象を広げるという。帰宅してシャワーを浴び娘を学童に迎えに行って夕食を摂ると疲れて眠くなり、娘より先に床に入って寝てしまった。
 
 6日は朝のうちに雑件を処理してから巌根駅に行き10:22の上り列車で五井に向かいバス代行の状況を確認する。五井までの乗車券を購入しようとしたら券売機が準備中の表示で使えなくなっていたので乗車証明書で代行バスに乗ることになった。空いている時間帯であったが8両編成で到着し、長浦駅に10:31に到着すると代行バス利用者は改札を素通りして北口へ誘導される。特に切符を確認されることなく小港バスに乗り込むと直ぐに満車となり、国道16号を経由して10:52に姉ヶ崎駅西口に到着し、駅の入り口でも券を確認されることなくホームに入り11:12の快速列車に乗って11:18に五井駅に到着した。巌根駅から災害前は17分で着くところを56分ほど要して駅の改札で清算して外に出た。五井で所要を済ませ食事を摂り、帰りはETC改札を抜けて13:16の各駅列車に乗り姉ヶ崎でJRバス関東の高速バスに乗車したら全員乗車していないにも関わらず30人ほどで乗車を打ち切り長浦に向かった。車窓からは災害現場の工事が進んでいるところが見え、長浦駅には13:54に到着し13:56の電車で巌根駅には14:04に帰着したので帰路は48分であった。しかし私の後の代行バスに乗車した人は接続が間に合わず、この29分後の電車に乗ることになるので77分を要する可能性も有った。通常であれば17分の行程が60分は簡単に伸びることは覚悟せねばならない。
 多くのバス会社が車両を提供していただいており、バス停への誘導にも多くの人員を要しているのでバスを運行することに多くの費用を要していることは解る。それでも朝夕の通勤通学時には輸送能力が足りずに大変なことになっていることも想像できるが、年内はこの状況が続くのであろう。帰宅すると来月8日のアクアラインマラソンの開催見合せと15日の消防団早出し操法大会の中止案内が届いていた。事情は理解できるが他の行事まで自粛の圧力が高くなると東日本大震災後のような景気後退が生じるので悩ましい限りである。夕方に娘を学童に迎えに行き帰宅すると友人から木更津市でのボランティア活動に対しても高速道路無料措置が認められたことを知る。明日から募集対象を拡大して対岸に働きかけ多くのボランティアが集まることを期待しながら夕食後にHPを更新した。
 
 7日も朝から富来田交流館に行き私と渡辺厚子議員と他3名で災害ボランティアを行う。今回は地蔵堂地区で民家の庭に流れ込んだ土砂を土嚢袋に入れる作業である。午後から2名加わり作業も進み頼まれた範囲の仕事を片付けて富来田交流館に戻る。朝のうちに高速道路無料措置が認められたことを伝えておいたので早速社協のHPにも掲載されていた。帰宅途中で道路の被害箇所をいくつか撮影するが、陥没や土砂堆積で対面通行が不可能となり、暫定で交互通行が可能となったら次の現場対応に力を向けているので完全復旧には多くの時間が必要だと推察する。
 帰宅してシャワーを浴び迎えに来た青年会議所時代の友人と木更津市街地の景気下支えに出かけて情報交換を行いタクシーで帰宅した。
 
 8日は市内で所要を済ませてから駅前庁舎に行き翌週の16日に開催する議会運営委員会に向けた進行や資料について議会事務局と打ち合わせ、その後に会派室で12月定例会に向けた構想を練る。午後3時過ぎに退庁して中郷にある農協資材部に行き予約しておいた草刈り機を購入して袖ケ浦の温浴施設で疲れを癒して帰宅した。
 
 9日は前日に購入した草刈り機の状況確認も兼ねて万石の貸家周辺の草刈り作業を行い、昼食後に雑件を処理してから岩根小学校に行き翌日の運動会に向けた準備として、先月中には失われていた青空の元でロープ張りやテント設営などをPTA役員や教職員の方々と共に汗を流す。
 夕方になったので校庭で遊んでいる娘に一緒に帰るかと聞くと父親ではなく母親が良いというので学童に預けたまま帰宅して気象庁のHPを見ると木更津のアメダスが日照時間10時間以上を観測したのは9月14日以来で、その前は8月26日であったことを知り青空が愛おしい理由が解ったと思いながら事務所でHPを更新しているとノーベル平和賞に国際刑事裁判所(ICC)の元裁判官であるナビ・ピレイ氏が選ばれたことを知る。組織としてのICCに出せばよいのにとも思うが、大国の横暴に正義を発言する人が評価されるのは現在の所長を輩出している日本には嬉しい話であった。
 
 10日は朝6時に朝食を摂って岩根小学校に送ってもらい運動会の設営に協力を行う。少し前には場所取り目的で徹夜組を含んだ長蛇の列が出来ていた記憶があるが、令和になった運動会では7時45分の開門前には数分前に到着した2組が居ただけだったのは隔世の感がある。8時半の開会式で挨拶を行い、8時45分から子供たちの競技を見守り応援合戦を審査する。
 運動会も終わり児童が教室でお弁当を食べている間に職員と保護者で撤収作業を行い作業が終わったころ下校時刻になった娘に一緒に帰るかと聞くと挨拶をした父親と一緒に歩くのは恥ずかしいようだが母親には電話が通じないので少し離れて自宅まで歩いて帰宅する。朝が早かったことと撤収作業の疲れと気の緩みで午後からは昼寝をしてしまい、目が覚めると夕方だった。
 
 
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2026年10月中旬の記録