甲斐駒ケ岳 2,967m 山梨県白州町(北杜市)
1994年10月15日登山

 甲斐駒に登るので有ればこれ以外はない、と決めていたのが日本最大の標高差約2200mを誇る黒戸尾根である。
 F島が北沢峠の長衛荘に予約を入れると「黒戸尾根を越えて1日では無理ですよ」と言われ受け付けて貰えない。鳳凰山の時には青木鉱泉から薬師ヶ岳小屋の1800m弱を一気に登っているから無理とは思えなかったので挑戦する価値はある。
 前夜遅くに駒ヶ岳神社(標高770m)に車を停め車中泊をし、午前6時に登山開始。ひたすら登る。夏では暑くて持たないだろうとこの時期を選んだがそれでも汗が流れ続ける。水を1.5リットル持って上がっているが山頂までの事を考えると持ちそうもない。
 午前11時半に七丈小屋に到着し水を購入する。小屋の親父さんは当然泊まると思っているようだが進むというと驚く。山頂までの残り標高差は約600mである。無理とは思えない。
 しかし、標高差2000mを越えた所で体が未知の世界に突入する。10分歩くと10分以上休まないと動けない。油断をすると足の筋肉の至る所がつりそうになる。頭も酸欠で朦朧とする。これはやばいな。
 午後2時半に何とか山頂に到着。気力でビールを飲んで達成感に満足する物の、小屋までのコースタイムはまだ3時間も有る。比較的体力のあるF島に先行させ、小屋に到着したのは午後6時。夜の酒が美味い!
仙丈岳 3,033m 長野県長谷村(伊那市)
1994年10月16日登山

 足はがくがくのうえ、一部靴擦れで皮が剥けている。朝食を外のベンチでゆっくり食べているとK藤が歩いている。夜中に走り広河原に車を停め南アルプススーパー林道を歩いてきたという。バスで来ると思っていたがこの男も意味もなくハンデを負ってくれている。
 小屋からの標高差は1000mだし、何とかなるだろうと歩き始めるがやはり体調は悪い。コースタイムより若干遅れて山頂に到着。甲斐駒の摩利支天が際だって格好良い。下山もフラフラになって降りながら峠から広河原まではバスで移動。K藤の車に乗り芦安温泉経由で駒ヶ岳駐車場に到着。コッヘルで色々作り露天の宴会を行い異様に盛り上がり午後11時頃各自の車で寝る。
 翌朝3時半に起床し、それぞれの仕事場(F島=群馬県太田、K藤=茨城県水街道、私=千葉市)の就業時に間に合うように全力で帰るのであった。
甲武信岳 2475m 長野県川上村
1994年11月12日登山

 S井と登山をする事を決めたが11月では北部の山は雪の心配がある。秩父以南ならまだ大丈夫だし、空気が澄んできているから展望も良いだろう、と出かけてきた。
 中央道を須玉で降りて瑞垣山が綺麗(右下)な信州峠への道を越えて梓山の林道奥から登山を開始したのはお昼近い時間であった。
 西沢を遡り千曲川源流の碑を経由し、午後3時過ぎに山頂到着。甲武信小屋には4時頃着き、人も少ない小屋でのんびりと過ごした。
 翌日は県境の稜線を北上し、埼玉県最高峰である三宝山[2,483m]を経由し十文字峠まで進み、東沢を降りて車に帰った。昨日駐車したときに油断してサンルーフを開けっ放しだったので車内が落葉松の落ち葉だらけになっていた。盗難被害が無かったことを感謝すべきだろう。
 帰路は三国峠を越えて秩父に降りて熊谷経由で帰宅した。
丹沢山 1,673m 神奈川県秦野市
1994年12月18日登山

 K藤が関東に住んでいるうちに一緒に山登りをしようと思うが12月にもなると雪を苦にしないのは丹沢になる。
 初日は小田急で渋沢駅に降り、そこから歩きで塔岳の尊仏山荘に泊まり東京の夜景を見ながら酒を飲む。
 二日目は縦走路を北上。丹沢山を経由し山系最高峰の蛭ヶ岳に到達。青根に降りて橋本まで神奈川中央バスで出て、京王、JRと乗り継ぎ上野で打ち上げを行う。
 この後、K藤は茨城の会社を退職し、長野、福島を経て北海道に移住していく。
No16 1994/10-1994/12    ←No15No17→
日本を走る