北 岳 3,192m 山梨県芦安村
1994年8月11日登山

 8月10日から15日までの夏休みを利用して南アルプスの縦走を行った。
 9日の夜は青年会議所の理事会で遅くなったことと前日の内に準備が充分出来なかったことから初日は登山口までの移動と割り切り広河原山荘に泊まる。
 この夏は雨が少ないので山頂の水場は危ないのではないかという噂で2.7リットルと1リットルのペットボトルに水を満タンにして準備する他に350ccの缶ビールを3本背負っていくので水だけで5kg近くある。
 朝5時半に出発し、北岳に向けての急登をTシャツ、短パンで一気に高度を稼ぐ。山頂までの1600m近い標高差を12回分の食料と水で重いザックを持ちながら3時間半で登り切り午前9時山頂到着。先月の高妻山などでの調整が効いているのか今のところ絶好調である。
間ノ岳 3,189m 山梨県芦安村
1994年8月11日登山

 当初計画では北岳山荘に泊まるつもりで居たが、北岳の山頂でゆっくりしていたにもかかわらず11時前に小屋に着いてしまう。今日は絶好調だから先に進もう、と縦走を進めるが、やはり楽ではなかった。中白根山の登りでがくっと足に来てしまい、その上雲が上がり始めて視界が効かない中で間ノ岳の山頂に至る。
 缶ビールを1つ飲んで下山を開始。三峰岳まで降りると雲が晴れて来て視界が広がる。
 宿泊する熊ノ平小屋に到着したのは午後3時半。小屋の脇を豊富に水が流れており、膨大に持ってきた水の意味は何だったのかと思い、テントサイトで南から縦走してきた人に聞くと水は心配ないとの話し。2.7リットルを1/3に減らす。
 この小屋から見る農鳥の風景は美しく、特に夕焼けは絶品である。
塩見岳 3,047m 長野県長谷村
1994年8月12日登山

 前日の夕焼けが嘘のように朝から霧雨。朝食を食べてから荷物を片づけ、殆どの人が出発した後の6時半に小屋を出る。視界も効かないので坦々と歩き、先に出発した人を追い越して行くうちに塩見岳に到着。習慣のように西峰の岩陰で缶ビールを空ける。これで持ち上げた缶ビールは全て飲みきってしまった。
 山頂に40分居たが晴れる気配もないので下山。塩見小屋でビールを補填しようとすると在庫不足のため宿泊客以外には売れないと言う。聞けば全て担ぎ上げとのことで北アルプスとずいぶん違うなと思いながら三伏峠まで歩き、小屋に着いたのは12時半だった。時間は早いが今日はもう終了とする。小屋でごろごろしているうちに晴れ始める。翌朝の塩見岳のシルエットはとても綺麗であった。
悪沢岳 3,146m 静岡県静岡市
1994年8月13日登山

 朝は爽やかに晴れ、中央アルプスが良く見える。山では展望を楽しみたいので夜明け前には歩かないという方針を持っているので、今日も6時にみんなの後から歩き始める。
 縦走路を南に向かうと人はぐっと少なくなる。小河内岳の避難小屋越しには悪沢が良く見えていたが高山裏の最低部(2365m)から約780mの標高差を登り返すうちに雲が巻き始め、縦走路の分岐からは雨も混じり始める。
 昨夜の三伏峠小屋で入手したビールを飲んでザックをデポした分岐まで戻り、長い下り坂を荒川小屋目指して降りていくうちに本降りになってくる。
 小屋には雨が強いためにテントを諦めた登山者が集中し、当時の小屋の収容力を大幅に上回る状況。おまけに寝具も不足しているので寝袋を借りて寝た。
 これ以降南アルプスは小屋泊まりでも寝袋持参と自覚した。
赤石岳 3,120m 静岡県静岡市
1994年8月14日登山

 朝から快適に晴れ。縦走を続けるには最高の日であるが昨日までの雨の強行が災いして登山靴の爪先が開いている。小石が入ってくるようになり、最終日は骨休みにして今日で縦走を断念しようと決める。
 山脈の盟主である赤石岳はボリュームも風格も秀でており早朝の山頂で稜線から降りるのが悔しくもなる。
 椹島までの標高差2000mを降りていくうちに靴は完全に駄目になり、自分の判断の正しさを実感する。
 椹島からの東海フォレストのバスには熊ノ平小屋に泊まっているので無料で乗ることが出来たが、泊まった証明をもらって来なかったので説得が大変だった。
 ともあれ下山すれば、後は公共交通機関を乗り継いで帰るだけだから安心して生ビールに缶ビール500ccを飲み継いで、入梶から静岡までの長いバスや東海道線各駅列車でゆっくりと寝て帰宅した。
 なお、ここから南部の縦走の続きは5年後に再度実施することになる。
No15.1994/8 南アルプス北部縦走  ←No14No16→
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