朝日岳 1,870m 山形県西川町
1993年8月18日登山

 8月になって4回目、7峰目の登山で有る上に燕岳から降りてから直ぐなのに、高校時代の恩師であったA津先生が西川町の民宿で高校生有志の夏合宿を行うので遊びに来い、という話を受けてS原を誘い、16日から山形県の朝日岳に出かけた。
 16日は蔵王PAで仮眠を取って17日に西川町に到着。その日は天気も悪く1日のんびりして過ごす。
 17日も朝から雲が多い天気であるが休暇の制限があるので古寺口から登山に取り掛かる。ハナヌキ峰、古寺山、小朝日岳と長く登っては少し降りる繰り返しで標高を稼ぎ大朝日岳に到着する。山頂部はあいにくの雲の中だったが高山植物の種類が北アルプスとは随分違う雰囲気であった。具体的にどうと言えない所が情けない。
 往路と同じ道で下り古寺鉱泉で一汗流す。後はそこから高速道路で一気に帰路に付いたのだった。
瑞牆山 2,230m 山梨県須玉町
1993年9月20日登山

 2ヶ月ぶりにG籐さんと山に登る為に19日に松本入りする。翌朝高速を須玉で降りて本谷釜瀬林道で瑞牆山荘にいたり、そこから登るという最短ルートを使用する。
 瑞牆山は裏に聳える小川山より188mも低いが独特の山容を麓から見上げると日本百名山入りさせた理由も良く解る。それと伴に登山道が厳しそうだとも思う。
 天鳥川を渡って急坂になるが、岩山の割には上手く道を造ってありハードな鎖場などはない。登るうちに天気も回復してきて青空が広がってくる。息が切れかかる頃に山頂に到着する。思ったより広い山頂で麦酒を飲み昼食を取り展望を楽しみながらのんびりする。今日は月曜に休んできているので人も少ない静かな山だ。
 下山したら増富ラジウム鉱泉に入り、夕食に蕎麦屋に入り小渕沢駅で彼女と別れ帰宅した。これがG藤さんとの最後の登山に成るとは思ってなかったのか、薄々気が付いていたのか、今となっては記憶が定かではない。
鳳凰山 2,840m 山梨県韮崎市
1993年10月10日登山

 この年から消防団の副分団長を行っており、地元の部には物心両面で多いに支えて頂いていた。消防団の旅行は入団してからずっと仕事等で参加できていなかったので不義理を果たすためも今年は参加を表明していた。しかし旅行の担当者から10月8日(金)に石和温泉1泊と告げられ、9日から11日までの連休の序盤を潰されるような企画であった。
 8月の常念山脈が良かったので南アルプスも前峰の鳳凰山から登りたいという事でF島と企画を御していたのがその連休だったので、苦肉の策として9日朝に石和温泉でF島に拾って貰うという形の旅を計画した。

 8日の宴会では若干酒を押さえたとは言え、所詮程度問題であり、9日朝にはF島に酒臭いですね、と言われる始末である。これで青木鉱泉から薬師岳への急登に取り掛かるのであるから不安である。
 青木鉱泉には10時頃に到着し薬師岳に登る中道を登り始める。標高差は上高地から槍山荘に登ったのと同程度である1,680mであるが、それを直登すると言うことのハードさを味わうことになる。最初は私が酒臭い汗を流し続けるのだが、後半に成って早起きして迎えに来たF島が寝不足による不調を訴え始め、稜線まで残り標高差200m程度の所で足をつる。私も筋肉が限界に近付いていたので大休止を取る。よく考えればここまで3時間で来ているので時間当たりの標高差が500m近いハイピッチであった。
 再度足をつらせることの無いようにゆっくりと登り、薬師岳小屋に着いたら「本日は予約でいっぱいなので寝具が行き渡るか解らない。予約客の到着を待ってから受付をするので5時まで待ってくれ」と言われる。今更何処にも行けないので外で麦酒を飲みながら時間を潰す。結局無断キャンセルが2組有ったようで泊まることは出来たが、空間を有効に使うため互い違いに寝て、隣の人の足が顔の前にあるという激混みの小屋で、ろくに寝ることが出来ずに朝を迎えることになった。
 
 10日の御来光を眺め、朝食を取ってから三山縦走を始める。最高峰の観音岳を過ぎ、地蔵岳に向かう。この日も空気の透明度が高く、甲斐駒や八ヶ岳を眺めながらの快適な縦走路であった。
 地蔵岳のオベリスクには登ることなく下山を始める。鳳凰小屋周辺の紅葉が特に素晴らしく、昨夜はこちらに泊まれば良かったかと思う。そこからは滝の連続するドンドコ沢沿いの道で、高低差も大きく水量も豊富な滝に圧倒されながら、ガレた道で膝も笑い、ウンザリする頃にやっと青木鉱泉に下山した。
 ゆっくりと汗を流し、F島に柏のK藤邸まで送ってもらい3人で酒盛りをして最初の南アルプスの感慨にふけるのだった。
皿倉山 626m 福岡県北九州市
1994年1月1日

 自転車の旅である筑肥編の中で登った山である。そもそもこの山に登るつもりで来たわけではないのであるが帆柱自然公園内に有る北九州ユースホステルで年越しをした際に、朝はこの上にある皿倉山で初日の出を見たらどうですか、と進められたのが登山の動機である。
 夜明け前からケーブルカーも動いているが宿からの標高差が400m以下なので自力で登ることにする。急だが歩きやすい道を登り山頂に着き、雲の合間からの日の出を見る。足元には八幡の街並みや工場が見下ろせて結構高度感もあり気持ちの良い山だった。
No13 .1993/8-1994/1    ←No12No14→
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