鷲羽岳 2,924m 長野県大町市
1997年7月30日登山:F島と2人

 黒部五郎を降りて小屋で昼食した後、300mの登り返しをしてから三俣蓮華の巻道を通り午後2時前に三俣山荘に到着。時間もあるのでカメラと水と買った麦酒だけ持って鷲羽のピークをピストンしてくる。
 だんだんガスが濃くなり展望は何も得られず。登頂の乾杯だけして直ぐに山荘に下った。山荘は今日も適度に空いており手足を伸ばして寝ることが出来た。なお、ここまでアルコールは貴重品なので購入する麦酒の他は、それぞれが持参した1リットルのウイスキーを毎日1杯づつ飲んでいるだけである。
三俣蓮華岳 2,841m 長野県大町市
1997年7月31日登山:F島と2人

 26日に登山開始して6日目の朝を迎えてやっと御来光を見る。周辺の展望も充分にある。嬉しくて稜線沿いのルートを選び三俣蓮華山頂に上がる。
槍ケ岳 3,180m 長野県安曇村
1997年7月31日:F島と2人

 双六のピークだけは巻いて双六小屋に付き、ここから長い西釜尾根を槍に向けて登る。天気が良いためかモチベーションが高くなり不思議と疲れが出てこない。
 しかし、槍山荘に着くと上がってきた雲にまかれ展望が奪われる。穂先の高度感が無くて怖くなくて良いかなとも思うが残念である。ともあれ5年前に槍山荘まで来ながら撤退したことのある穂先に立てた事は感一塩である。
 もう明日中の下山が見えたのでこの日に泊まる南岳小屋では大キレットの景観を肴に残りのウィスキーを一気に飲み干すのであった。
穂高岳 3,190m 長野県安曇村
1997年8月1日:F島と2人

 縦走路最大の難所を最終日に迎える。まだ食料は10食以上残りザックは軽くない。朝の南岳から見ると高低差と登り返しの辛そうなことに気が引き締まる。
 ガイドに書いて有るとおり歩き始めると休憩できる場所がキレットの底まで無い。底で休めば飛騨越や急登に泣きが出て北穂高小屋に出たときには生き返った気がした。ここで既に11時近い。
 涸沢岳を越える辺りで上がってきた雲にまかれ奥穂高のトップではまたも展望無し。時折見えるジャンダルムがこれ以降の縦走を止めると訴えてくる。
 もちろんこちらも仕事があるし里も恋しいので上高地に向けた下山に入る。展望もないので前穂高をパスして重太郎新道を一気に下る。岳沢ヒュッテに泊まるという関西の女の子達と気が合うが後ろ髪を振り払うように下山を続け午後4時前に舗装道路に出る。
 上高地温泉で溜まった垢を流し、帝国ホテル前のバス停に出てバスを待つ。するとタクシーが止まり、現在上高地バスターミナルで長い列が出来ているから乗るのも困難だと教えてくれるのでタクシーで新島々に向かう。
 山の話をしているとタクシーの運転手さんは、どうせ松本に帰るのだから新島々以降の運賃は要らないと言ってくれ言葉に甘えて松本へ。
 予備日が残っているので松本駅前のビジネスホテルを取り、なじみの焼鳥屋で大縦走の打ち上げを行う。
 大分飲んで翌日特急あづさで帰宅。体重計に乗ったら若干増えていたのは衝撃だった。
No23 .1997/7 北アルプス縦走(後半)  ←No22No24→
日本を走る