一切経山 1,949m 福島県福島市
1997年9月14日登山:F島と2人

 昨年3月の冬季縦走の失敗が頭にあり、これは雪の無い時に縦走しないと冬山遭難しそうだな、と思いF島を呼び出し、電車利用による吾妻山の縦走に出かけた。
 13日は移動に費やし浄土平の吾妻小舎に泊まる。
 長期予報が外れ14日から雨。一切経山まで登ると縦走を諦めたという女の子2人に会う。3人で信号機のような色彩の記念写真を取り、縦走路に入る。
 雲に霞む五色沼を抜け、前回撤退した家形山を越えて長い縦走路を黙々と進む。明月荘がある東大嶺までの道の長さに前回の撤退は正解だったと確認する。
 途中の湿原の花々は綺麗なのだが道は完全に水没している。中大嶺まで来れば吾妻の最高峰は近いと解っているが次回のチャレンジを期待して天元台に下る。
 白布温泉の国民宿舎について吾妻小舎の親父さんが「安いは安い内容だよ」と言っていた事を噛み締める夜を過ごして翌朝の山形新幹線で帰った。
天城山 1,407m 静岡県中伊豆町
1997年10月19日登山:S井と2人

 S井とたまには山でも登ろうという話題が出て、どうせなら懐かしい伊豆が良いだろうと話がまとまった。
 18日に新宿発沼津行「あさぎり」で沼津に出て電車バスを乗り継ぎ湯ヶ島で泊まる。
 翌日は水生地でバスを降り八丁池に向かい歩き始める。どうせ伊豆は必要以上に道を整備しているだろうからと下はジーンズという歩きにくい格好が疲労を招く。そもそも行程が長いから整備されていても楽ではない。
 山頂に到着後は天城高原ゴルフ場に降り、バスで伊東に出て温泉で汗を流して各駅列車で帰った。
釈迦ケ岳 1,795m 栃木県塩原町
1997年11月3日:K藤とF島と3人

 文化の日の連休は天気が良いらしい。それなら月山でも行こうかと11月1日から北上を開始するとK藤から携帯に電話が来る。札幌から南下中だが文化の日の前後が休みになるから何処かへ行こうと言われ、今私も北上中で月山を目指していると伝える。山形県の天童で合流して温泉に入り、その夜は国道脇の大駐車場に車を停めてK藤のトラックで宴会する。
 
 翌朝私の車で山に向かうが新雪が積もり登山どころで這い。湯殿山すらラッセルしないと行けない。すぐさま諦めそれぞれの車で関東の山に移動する。塩原の道の駅で2日続けた車中泊を計画し、近所(?)のF島を呼び出して今夜は3人で大宴会に突入する。
 
 そんな感じで登ったのが塩原山塊の最高峰のこの山だった。関東はまだ晩秋の気配だった。山頂からの展望は素晴らしかったが酒が残り気持ち悪い登山であった。
三斗小屋 1,725m[朝日の肩] 栃木県那須町
1998年1月17日:F島と2人

 雪の三斗小屋温泉に行ってF島と新年会を行った。登山道が細いからスキーでなくワカンで向かったが雪に埋まり難航した。初日は快晴だったが、帰りは雨に遭い、冷え切った身体を大丸温泉で暖めて帰った。 
吾妻山 2,035m 福島県北塩原村
1998年3月8日:F島と2人

 9月の一切経山を越えての吾妻縦走の際に最高峰を意図的に踏んでこなかったので改めてピークを極めるためのF島と山スキーを実施した。
 グランデコのゴンドラには仲間とおぼしき人達が大勢居る。人数の差で我々2人の準備が早く、ラッセル役を努める事になる。全くトレイルが無い中で登りやすい斜面を探すのは結構気を使う。
 1時間以上引っ張ったところで先頭をF島に替わってもらう。後ろに回れば随分楽になることを実感し、だから後ろの団体が抜かないんだなと理解する。
 西大嶺頂上直下で後ろの団体に先頭を譲ると感謝の言葉を言いながら追い越していく。これでこちらもやっと楽が出来る。西大嶺からシールを付けたまま滑り降り、西吾妻小屋の中で昼食を取る。中にいた青年は天元台から来たというのでここが県境だと実感する。
 かなりガスに巻かれた山頂らしいところに到着。樹氷は適当に発達している。ガスなので往路を忠実に辿るため西大嶺に登り返しシールを脱げば一気にゲレンデまで滑り降り、このツアーも終わりになる。
No24 .1997/9-1998/3    ←No23No25→
日本を走る