ブラッとドライブ memo.20
長崎子連ドライブ 2016.12.19〜2016.12.22 マツダデミオ(タイムズレンタカー)
▼ 19日 木更津→佐賀空港〜ハウステンボス  前回の山陰ドライブを企画する際には、思い切って長崎まで足を伸ばそうと考えもしたが、小さな娘を連れて一週間になる旅は無理だろうと考え九州部分を別に分けた。今回もクリスマスの3連休の前の平日の旅である。
 
 朝の5時に起床して子供用の荷物をまとめ、8:21に金田BTからアクアラインバスに乗車して羽田空港に向かう。飛行機が初体験になる娘には気圧差で耳が痛くならないようにミルクを飲ませながら離陸する事とした。
 9:55発のANA4981便からは初冬の南北アルプスも良く見え、解っているのか娘も大はしゃぎである。12:05に佐賀空港に到着後はタイムズレンタカーで予約していた車を借りて出発。最初は有田か伊万里で焼き物を見学したいという妻のリクエストに答え、私も行きたかった大川内山を見て回る。鍋島御庭焼の展示を楽しむ妻に代わり、万が一でも陶器を壊さないように外でミルクを与えたりもした。
 簡単な空弁だけでは小腹が空いたという妻のリクエストに応え、佐世保インター近くでハンバーガーを食べ、展海峰から夕焼けの九十九島を見る。事前の計算不足で夕日と島の位置関係が悪かったが、展望台近くのヤギさんに娘も喜んでくれたので良しとする。
 佐世保重工の退社ラッシュの渋滞に巻きもまれてこの夜の宿である「変なホテル」へ到着したのは午後6時を回ってしまった、おまけにホテルの無料駐車場は遠く、結構な時間ロスをする。受付の恐竜ロボットは楽しかったが、別の棟に宿泊する私達にロボットポーターは対応出来ず、人間のスタッフが運んで頂いた。荷物を部屋に入れたら直ぐに近くのゲートで午後3時から有効である1.5DAYSパスポート(8,700円/人:乳児無料)を購入して園内に入り、およそ22年ぶりのハウステンボスに入って「光の王国」を楽しみ始める。クリスマスマーケットのホットワインにも後ろ髪を引かれたが、火を吹くドラゴンのイベントに合わせて我慢し、会場近くのパスタとワインを楽しんでからイベントを味わう。他のイベントも楽しもうと思ったが、営業終了の23時を待たずに雨が降り始めたことと娘がぐっすり寝てしっまたこともあり22時にはホテルに帰た。遅い時間であるが風呂に入り、日付が変わる前に眠りについた。
▼ 20日 ハウステンボス〜長崎  目覚まし時計を部屋にある言語を認識するロボットの「チューリーちゃん」にお願いして6時に起床したが、他の多くの事柄は変なところで噛み合わず、人間に替わる能力を発揮するのは数年早いと感じる。生憎の雨模様ではあるが朝食を離れのレストランで食べて荷物を整理していたらチェックアウト直前に成ってしまった。目覚めて直ぐに旅をしていた頃との差に言いしれないギャップを感じる。
 園内を観光している間の荷物を預かる費用が500円/個であることに納得できず、遠い無料駐車場から一旦車を真回して荷物を積んで駐車場に戻し、正面ゲート近くのコンビニで傘を買ってホテルに戻り、妻子と園内を楽しみ始めたのは11時に成る直前であった。因みにパスポートは開園の9時からなのだが思うように進行できない事に不機嫌になっていたようで、妻も機嫌が悪い。
 雨でアドベンチャーエリアを楽しむことは辞めて運河を進むカナルに乗ってタワーまで移動して園内の探索を開始する。前夜と違う風景と多くのアトラクションに妻も楽しみはじめてくれたが、何より私が個人的に楽しみたいところに案内する権利を与えてくれた妻に感謝である。残念な事は多くの場所で娘が寝ていたことで、物心ついてからもう一度来なければならないだろうと思った。
 さんざん楽しんで午後4時半を回り日が陰り始めたところでハウステンボスを退出する。券は今夜のイルミネーションも楽しむ権利があるのだが、長崎に移動して夜も楽しもうと考えての判断である。
 前日に続き帰宅ラッシュに巻き込まれて到着が遅くなったが、世界三大夜景に認定されたと自称する稲佐山には午後7時前に到着した。気温は平年よりかなり高いが空気は澄んでおり美しい夜景を満喫することが出来る。妻は「香港は知っているのでモナコに行きたい」と怖いことを言う。
 夜景鑑賞を終えて中華街の一角に有るホテルJALシティ長崎に到着。この位置なら中華街で夜食が普通であるが、翌日の昼間にチャンポンや皿うどんを食べようと言うことで意見が一致して、この夜は妻の会社の長崎市店の同僚がお勧めする「亜紗出島店」で郷土料理と焼酎を味わう。現地情報の確かさで、美味しく喜ばしい夜を満喫することが出来た。
▼ 21日 長崎〜熊本  この日は娘を連れて会社の長崎市店に顔を出すという妻と別行動を取り、午前8時にホテルを出て軍艦島(端島)のクルーズに向かう。またこの日はイタリア船籍のコスタ フォーチュナという総トン数102,669(t) のクルーズ船が入港することも事前に知っていたので楽しみである。
 軍艦島クルーズの乗船場所に行くと平日なのに多くの人が集まっている。朝の天気予報によると午前中は降水確率10%なので上陸できることを期待する。最高気温の予報も19度と高く、船上にいても寒く無さそうなことが嬉しい。
 曇天の中、9:10に長崎港を出発。湾内の観光や世界遺産の案内を済ませる頃に、上海から来た巨大なクルーズ船と擦れ違う。軍艦島上陸前に手前の高島に立ち寄り模型で島の解説を受けて資料館を見学してから再度船に乗り、軍艦島の北側の居住ゾーンを船上から見学した後に桟橋に着岸して無事に上陸を果たす。
 見学ゾーンは南西端の一部でビルの密集エリアには近づけないが、それでもおよそ40年前に突然無人島になった都市の跡が感じられ、朽ち果てるに任せている風景は心に沁みるものがあった。
 帰路も高島を経由するが立ち寄ることはなく直ぐに長崎に向かってスピードを上げる。往路で飽きた人達が船内に戻る中、日射しの暖かなデッキに登って港内の見学を楽しむ。イージス艦や巨大なクルーズ船の威容を見ているうちに正午過ぎに長崎港に戻る。妻はホテルに帰るまで時間があるようなので復元作業が進む出島を通り抜けてホテルに戻り、チェックアウトギリギリの午後1時に荷物をフロントに預け、ホテル2階の「桃苑」でチャンポンと皿うどんを食べる。食事中に娘が泣き始め交互にあやしながらの遅い昼食であった。
 長崎で観光を行わずに直ぐに高速に乗り、諫早から国道で島原まで向かい、16:25の九商フェリーで熊本に向かう。時間が有れば道の駅「みずなし本陣ふかえ」で火砕流に巻き込まれた家々を見せようとも思ったのだが、なかなか思うように進まない。その代わり、午後は雨になるという予報が外れ、船の上からは綺麗な夕焼けが見え、餌を与える人に集まるカモメを見て娘が大喜びであった。
 熊本港には午後7時半に到着。急いで熊本城下の桜の馬場に向かうが帰宅渋滞に巻き込まれ到着は午後6時を回り物販店舗は営業を終えてしまっていた。熊本地震からの復興を後押ししようと熊本で土産を購入する計画が崩れる。それでも子どもたちが復興を願い3000本のペットポトルで作った熊本城を見ることが出来たので駐車料金が無駄になったとは感じないことが出来た。
 駐車場を出て駅の売店に行くしかないかと考えつつ、この日に泊まるホテル日航熊本に電話を入れて、近くに土産物屋が無いかと聞いたところ、商店街に夜10時まで開けている店があると聞き、ホテルに車を停めてベビーカーを押して3人で買い物に出かける。お土産を購入しながら熊本名物「太平燕」の文字が目に入り、そういえば食べたことがないなと思いながら土産物店の人に聞くと近くに発祥の紅蘭亭が有るとき聞いて、買い物後はそこに向かう。オーダーストップは午後9時という店に8時45分過ぎに入って様々にオーダーして美味しい夕食を楽しまさせていただいた。
▼ 22日 熊本〜佐賀空港→木更津  この日は妻の実家が経営する朝霞市の「御船」に設置した募金箱を義母の実家である御船町役場へ届けるというミッションがある。しかし、目が覚めると午前8時に成ろうとしていた。早朝に地震で傷んだ熊本城などを見て回るつもりだったが、時間がない。ホテルの窓から遠望する姿で我慢した。それでも荷物の片付けや妻の化粧などに時間が掛かり、ホテルを出発できたのは御船町に募金を渡す約束の時刻である午前10時に成ろうとしていた。もちろん、町役場には遅くなる旨を電話しておよそ1時間遅れで到着。すると応接室に通され、総務課長に渡す姿を撮影していただく。町の広報紙に載るようだ。
 その後、副町長や議長とも挨拶して役場を出発。今は亡き祖母の実家を訪ねてご挨拶をしてから帰路に着く。ブルーシートの屋根と撤去されて空き地が目立つ益城町を通過して高速に乗り、佐賀空港には15:25に到着した。直ぐにチェックインとレンタカーの返却を済ませて搭乗口へ向かい15:50発のANA456便で帰路に着いた。羽田空港からはバスで金田BTに戻る。4日で2,000円の駐車料金を払い、自家用車で自宅に戻った。