No.6 | 外房編 ←No5北上編・No7水戸編→ | |||||||
旅行期間 | 1977年11月20日 | |||||||
走行区間 | 自宅日帰り | |||||||
輪行区間 | 君津市笹→木更津市街(ヒッチハイク) | |||||||
総走行距離 | 150km | |||||||
走破市町村 | 2(御宿,勝浦) | |||||||
累計数 | 67 | |||||||
同行者 | 無し | 使用自転車:LT | ||||||
総費用 | 多分500円程度 | 当時の年齢:13歳(中学2年生) | ||||||
快適な秋晴れ。筑波編から2週間しか経っていないが房総半島の外側に走っていないところが残っているのが気になり旅に出る。 夜明け前に自宅を出て牛久を過ぎ、笠森観音で夜明けを迎える。長南を経由して茂原市南部の八幡湖を見て長生村七井戸で128号線に出て南下の開始。 太東崎の断崖や御宿のメキシコ塔、月の砂漠記念碑、勝浦の官軍塚、猿ヶ城、鵜原理想郷と見ながら誕生寺に着き南房編に繋ぎ、小湊の東大水産研究所とかいう(その後千葉大に移管され衰退したと聞く)水族館に入る。シーワールドの1/20位の料金で、内容はそれ以上の差があったような記憶がある。 鴨川から鴨川有料道路を越えて君津市に入る頃に日が暮れる。親切な軽トラックの親父さんが何処まで行くかと窓を開けて聞くので、木更津ですと答えると、乗っていけよと有り難いお誘い。この先は前の南房編でも走っているし冷え込みもきつくなってきたからお言葉に甘えて街中まで初めてのヒッチハイクで街中まで送ってもらい、少しの自走で帰宅した。 よく考えると見も知らない親父さんの車に乗るのであるから今では気を付けろと言われるだろう。全て昔が良いとは言わないが長閑な時代だったと思う。近頃は殺伐としているから、仮に自分が恩返しを次の世代に行いたくても、昔のような親切を行いにくい時代になったようだ。(次は水戸編) |
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