No.5 筑波編    日本を走る ←No4銚子編No6外房編→
旅行期間 1977年11月6日
走行区間 自宅日帰り
総走行距離 250km
走破市町村 13(八千代,印西,我孫子,利根,龍ヶ崎,牛久,茎崎,阿見,土浦,新治,筑波,藤代,取手)
累計数 65
同行者 無し 使用自転車:LT
総費用 多分1000円程度 当時の年齢:13歳(中学2年生)
 勉強もせずに自転車に乗っていたので中間テストは予想通りに成績がダウンしてしまったが、特に反省することなくテスト後の旅を再会する。前回の銚子編では茨城県まで日帰りできることを検証したので今回は筑波山までの日帰りに挑戦した。
 
 午前3時に自宅を出て北上する。前回は近道をしようとして県道で迷ったので16号線を単調に走る。八千代から木下街道に入り、千葉NTが出来る前の暗い北総台地を通り抜け、利根川を渡る頃に夜が明ける。それでも竜ヶ崎から土浦に抜ける県道で若干迷って時間をロスし、また始めてのパンクを修理したりしているので筑波神社到着はお昼になっていた。ケーブルカーで筑波山に登って関東平野を見渡したのは既に家を出て10時間も経過した午後1時になっていたので、今日中に帰宅できるのだろうかと不安になる。下山を終えて自転車に戻ったのが午後2時半となり脇目も降らず帰路に付く。6号線を藤代まで進むと千葉県に入る前に日没を迎える。木下に出て暗い道を往路と逆に辿り何とか夜10時前に帰宅することが出来た。
 翌日学校に行くと異常に肩が凝っている。自転車のフロントバックを肩掛けにして下山したのが原因だと思い、山に登る場合はザックが必要だなと実感した次第である。なお、この筑波山が日本百名山の一つだと知ったのは高校に入って深田久弥の名作に出会ってからだ。(次の旅は外房編