No.10 | 高尾編 ←No9板東編・No11水郷編→ | |||||||
旅行期間 | 1978年12月30日 | |||||||
走行区間 | 自宅日帰り | |||||||
総走行距離 | 170km | |||||||
走破市町村 | 9(稲城,多摩,日野,八王子,相模湖,津久井,城山,相模原,町田) | |||||||
累計数 | 119 | |||||||
同行者 | 無し | 使用自転車:LT | ||||||
総費用 | 1,500円程度 | 当時の年齢:14歳(中学3年生) | ||||||
高校受験を控えた中学3年生の冬休み。明日は大晦日という日に、受験勉強の疲れとストレスを払うことと各地で合格祈願の願掛けをするために旅に出た。仲間はそれぞれ受験勉強で忙しいだろうからと声を掛けず、単独での旅である。 朝一番の木更津発川崎行きのフェリーに乗って、最初は川崎大師に祈願する。そこから多摩川沿いの川崎街道を西に進み高幡不動で2番目の祈願をする。高尾山口まで着いたら自転車を停めてケーブルカーで登り、薬王院で3度目の祈願をしてから、山頂まで行き遠くに富士山を拝む。因みに毎年多くのハイカーが訪れ、関東百名山でもあるこの著名な山頂を次に踏むのは39年後の夏まで空くことになるとは当然この時には知る由もない。ケーブルカーで下ったら20号線の大垂水峠を越えて相模湖に至り、津久井湖から橋本、稲城を経て川崎街道に戻り、帰路もフェリーを利用して木更津に帰った。 ちなみにこの旅は往復ともフェリーであるが、基本的には陸路が繋がらなければならないと言う自主規制をかけている。輪行を多用するようになるのは時間の制約が多くなる社会人からで有る。(次の旅は水郷編) |
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