No.19 | 北陸編(2/2)1/2←No18三芳編・No20丹沢編→ | |||||||
旅行期間 | 1980年7月21日〜1980年8月2日 | 旅行日数:13日間 | ||||||
総走行距離 | 2,175km | |||||||
走破市町村 | 199 | |||||||
同行者 | 無し | 使用自転車:LT | ||||||
総費用 | 11,860円(1日あたり912.3円!) | 当時の年齢:16歳(高校2年) | ||||||
8日目 | 1980年7月28日 | |||||||
走行区間 | 石川県田鶴浜町オートパーラー〜新潟県糸魚川市糸魚川駅 | |||||||
走行距離 | 159km | |||||||
走破市町村 | 14(七尾,氷見,高岡,大島,大門,小杉,富山,滑川,魚津,黒部,入善,朝日,青海,糸魚川) | |||||||
累計数 | 340 | |||||||
田鶴浜を出発し、海岸沿いの国道を南下して高岡大仏、高岡城址を見学後小杉を経て富山城へ。その後魚津埋没林の資料館を見学し、入善町のそば屋に入り玉子飯を注文する。店のお姉さんにここまで1週間野宿で旅を続けている事を話すとご飯とおかずをサービスしてくれて料金は200円で済ませてくれた。そんな多くの人々の優しさに支えられ、この日の使用金額は行程中の最少額になる。 夜は糸魚川駅の待合室。寝台列車の到着の度に目を覚ますが駅は安心できる。 (この日の使用金額:僅か580円!(食費340;入園料40;銭湯190;電話10)) |
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9日目 | 1980年7月29日 | |||||||
走行区間 | 新潟県糸魚川市糸魚川駅〜長野県長野市正源寺 | |||||||
走行距離 | 175km | |||||||
走破市町村 | 13(小谷,白馬,大町,松川,穂高,豊科,松本,明科,生坂,八坂,大岡,信州新町,長野) | |||||||
累計数 | 353 | |||||||
糸魚川から謙信が信玄に塩を送ったという「塩の道」に沿って大町へ向かう。上り坂に苦労したが、高原に現れる青木湖や木崎湖と雲の切れ間に時折見える北アルプスの展望には登りの苦労が報われた思いをする。 大町山岳博物館や松本城を見学後、松本でUターンするように北上し、19号線で長野を目指す。市街到着前に日没を迎え、お寺の本堂で一夜の憩いを得た。 (この日の使用金額:1,010円) |
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10日目 | 1980年7月30日 | |||||||
走行区間 | 長野県長野市正源寺〜新潟県出雲崎町小木ノ城駅 | |||||||
走行距離 | 161km | |||||||
走破市町村 | 17(小布施,豊野,三水,牟礼,信濃,妙高々原,妙高,中郷,新井,上越,頚城,大潟,柿崎,柏崎,刈羽,西山,出雲崎) | |||||||
累計数 | 370 | |||||||
住職さんに感謝を伝え善光寺を目指す。天候は曇りで山々の展望が利かず残念である。旅行の途中は人に写真を頼むことが多いが、何故みんな構図に無頓着なんだろうか。出来た後でガッカリすることが多い。例えば左の写真もそうだが水平の感覚も悪く、屋根が切れるなど「写せば良い」的な出来であった。ともあれこの日は直江津まで18号で山を越えて進み、柏崎からは越後線に沿った県道で弥彦神社をめざし、途中の小木ノ城駅で駅寝する。 (この日の使用金額:945円) |
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11日目 | 1980年7月31日 | |||||||
走行区間 | 新潟県出雲崎町小木ノ城駅〜福島県会津坂下町坂本駅 | |||||||
走行距離 | 174km | |||||||
走破市町村 | 20(和島,寺泊,分水,吉田,弥彦,岩室,巻,西川,新潟,黒崎,亀田,横越,京ケ瀬,水原,安田,三川,津川,西会津,柳津,会津坂下) | |||||||
累計数 | 390 | |||||||
朝から弥彦神社を参拝する。天候は相変わらずの曇天で今にも降りそうな状況である。この頃行きたい場所を決めた理由は家に有ったハードカバーの「日本の観光」という写真集が大きく影響していたと思う。もちろんパソコンなんて無い時代だからHPで情報が入る事なんて無い。 この日は弥彦を見た後、新潟まで北上し、49号で会津に向かった。新潟市街はスルーしている。6日目の金沢もそうだが都市の面白さが解るようになったのは社会人になって、酒を飲むようになってからかもしれない。物座峠を越えて福島県に入り今日も駅でお泊まり。 (この日の使用金額:1,005円) |
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12日目 | 1980年8月1日 | |||||||
走行区間 | 福島県会津坂下町坂本駅〜茨城県真岡市寺内駅 | |||||||
走行距離 | 195km | |||||||
走破市町村 | 19(湯川,会津若松,河東,猪苗代,郡山,須賀川,鏡石,矢吹,泉崎,白河,西郷,那須,黒磯,西那須野,大田原,矢板,氏家,高根沢,真岡) | |||||||
累計数 | 409 | |||||||
この頃の国鉄の駅は左上の写真に有るように立派で、木のベンチにも温もりがあり快適だった。最近のJRではプラスチックの一人用椅子になり寝れないばかりか、上屋の廃止、さらには路線の廃止と続き、駅寝旅をする貧乏学生には辛い環境だろう。 それはさておき、8月になったこの日の行程は鶴ヶ城、白虎隊の墓、猪苗代湖と国道に沿った観光地を見て回り郡山に出て、4号線を栃木県氏家まで南下し、宇都宮を避けるように県道(今は国道)で真岡を目指して走り、日も沈んだ所で町外れの駅で連続駅寝となる。 (この日の使用金額:1,100円) |
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13日目 | 1980年8月2日 | |||||||
走行区間 | 茨城県真岡市寺内駅〜自宅 | |||||||
走行距離 | 147km | |||||||
走破市町村 | 9(二宮,下館,関城,下妻,千代川,石下,水海道,谷和原,守谷) | |||||||
累計数 | 418 | |||||||
最終日になって久々の朝日を拝むことが出来た。もうこの頃になると一刻も早く家に帰り「縁側でスイカを食べ種を飛ばす」症候群にかかっているので天気がよいと言っても寄り道はなく国道を取手までまっすぐ南下してしまう。6号線で利根川を渡り千葉県に帰り着く。 我孫子から手ヶ沼大橋を渡り、16号線で千葉を通過。天候が段々雨模様になってくる中を夕方の自宅に到着。13日間、2,175km、走破数199市町村の長旅が終了した。(次は丹沢編) |