No.20 丹沢編      日本を走る ←No19北陸編No21多摩編→
旅行期間 1980年8月19日〜1980年8月21日 旅行日数:3日間
総走行距離 411km
走破市町村 7
同行者 S井 使用自転車:LT
総費用 およそ3000円程度 当時の年齢:16歳(高校2年)
初日 1980年8月19日
走行区間 自宅〜山北町龍雲寺
走行距離 176km
走破市町村 5(寒川,愛川,清川,秦野,中井)
累計数 423
 夏休みの前半に強力な北陸編を済ませて若干燃え尽き気味ではあるが、夏休み中に浦安を処理したかったので旅に出た。同行者はS井である。
 朝一番の久里浜行きフェリーをタッチの差で逃し、2便で対岸に渡り、藤沢から内陸に入り寒川神社を詣で愛川から中津渓谷に入る。現在は宮ヶ瀬ダムに沈み見ることの出来ない渓谷美の中をヤビツ峠まで上り、中井町にある関東大震災で出来た震生湖に至る。中川町の走破により神奈川県は藤野町1町を残すのみとなる。この日は御殿場線谷峨駅で泊まろうと考えて向かった。しかし、予想外に立派な有人駅で、駅寝を断られる。考えてみれば丹那トンネル開通前までの東海道線だったから立派なはずだ。しかたなく近所のお寺に頼んだ所、資材置き場に寝させて頂けた。
2日目 1980年8月20日
走行区間 山北町龍雲寺〜中央区姉の下宿先
走行距離 135km
走破市町村 1(狛江)
累計数 424
 S井の持ってきたバーナーで湯を沸かし、朝の珈琲を飲んでから再度丹沢の横断に取りかかる。丹沢湖を経て中川温泉を越えると道は細くなり、その上未舗装路になる。犬越路隧道までも上りが大変であったが下りのダートの荒れていることに体中が震動で痺れてくる。もちろん自転車にも無理が来たのかパンクもする。青根で県道(現在は国道413号線)に出るが道は細く屈曲し上り下りが多く疲労が重なる。津久井湖に至ると交通量が増大し、路肩の狭い道では安全性も悪く精神的にも疲れる。鶴川を経て向ヶ丘まで出たところで今日中に川崎からのフェリーで帰るS井と別れ、狛江、世田谷を経由して中央区新富に引っ越した姉の元で一晩世話になる。
3日目 1980年8月21日
走行区間 中央区姉の下宿先〜自宅
走行距離 100km
走破市町村 1(浦安)
累計数 425
 天気も良いので自転車の機動力を生かした東京観光をする。皇居、国会、靖国神社、新宿副都心、上野公園、浅草寺などを走り回り、最後にこの日の最高の目的地である千葉県最後の自治体浦安町へ入る。もちろんディズニーなど影も形もない頃の市政施行前の浦安である。この浦安入りをもって千葉県完全走破を終了する。もちろん全都道府県の中で最初の走破完了である。浦安からは湾岸道路を木更津まで帰った。
 なお前回の北陸編で通学用の自転車の整備水準のままでは長距離に耐えきれないことが解ってきたためルマンのツーリングへの使用はこの旅を最後にし、高校まで片道11kmの通学専用自転車とし、次回からはツーリング専用に購入した富士サイクルのオリンピックを使用する。(次回は多摩編