No.22 | 湖南編 ←No21多摩編・No23天城編→ | |||||||
旅行期間 | 1980年11月9日 | |||||||
走行区間 | 自宅日帰り | |||||||
総走行距離 | 250km | |||||||
走破市町村 | 5(河内,新利根,江戸崎,美浦,桜川) | |||||||
累計数 | 449 | |||||||
当時の年齢 | 16歳(高校2年生) | |||||||
同行者 | 無し | 使用自転車:OP | ||||||
総費用 | 150円 | 当時の年齢:16歳(高校2年) | ||||||
丹沢編で千葉県を走破するとともに神奈川の大部分を終了させ、多摩編で伊豆諸島を除いた東京都を終了させると千葉県の北隣に気になる空白区が残る。「あぁここにも行かねばならない」と旅に出た。 具体的には霞ヶ浦の南側、6号線と51号線に挟まれた地域である。霞ヶ浦の南だから霞南編と名付けるべきか考えたが中国湖南省にあやかり湖南編とした。しかしそこまで単純に往復するだけでは芸がない。未踏の道を楽しむのも手であるとオプションが付いてくる。 千葉県脱出は木下街道でも51号線でもない中間の刑務所脇の道を通ろう、1978年5月20日に開港して2年半で厳戒態勢の成田空港も見たいし、芝山仁王尊や埴輪も見たい、浪切不動(写真)や笠森観音にも寄るか、東金から茂原までの127号線も走ろう、いろいろ繋ぐと霞ヶ浦に行きながら茂原から帰るという不思議なルートが出来る。 これを多摩編から1週間後に実施。午前4時半出発、午後6時帰宅という13時間半で250kmの道のりを駆け抜けた。また、弁当持参で出かけたため、費用は芝山はにわ博物館入場料の150円のみという安価な旅となった。(次は天城編) |