No.23 | 天城編 ←No22湖南編・No24袋田編→ | ||||||||
旅行期間 | 1980年12月28日〜1981年1月1日 | 旅行日数:5日間 | |||||||
総走行距離 | 590km | ||||||||
走破市町村 | 9 | ||||||||
同行者 | S井・I藤(途中別行動有り) | 使用自転車:OP | |||||||
総費用 | およそ9000円程度 | 当時の年齢:16歳(高校2年) | |||||||
初日 | 1980年12月28日 | ||||||||
走行区間 | 自宅〜修善寺町修善寺YH | ||||||||
走行距離 | 178km | ||||||||
走破市町村 | 1(裾野) | ||||||||
累計数 | 450 | ||||||||
冬休みでも寒くても仲間が有れば走る気が満ちてくる。どうせ行くのなら暖かなところ、と言うことで再度伊豆である。前回の伊豆編で伊豆半島の東側を回っているので、今回は西側、また年越しと初日の出も味わう計画である。 朝一番の久里浜行きフェリーに乗ることや、小田原までは湘南を進む事は何時も通り。ただ何時もと違うのは非常に強力な向かい風。船もよく欠航にならなかったと思うぐらい揺れが強い。その分だけ空気の透明度が高いのだけが救いだ。 鎌倉を過ぎると強風に足も止まり、I藤がパンクで遅れるなどした上で箱根の山越えである。風が無くて楽だと思うがやはり標高差に速度が上がらず、冬至に近い時期なので乙女峠を越えるときには既に日没となる。 三島で食事をとりナイトランで夜7時に修善寺の町中に到着する。商店の叔父さんにYHの場所を聞くが全く要領を得ない上に説明の時間が長い。熱心に教えてくれるし地図も書き出すので邪険に出来ないのだが全く役には立たなかった。結局標識を頼りに山を登り、8時近くにミーティング中の修善寺YHに到着。最初のYH経験は何の思い出も無いままに疲労回復の眠りに付く。 |
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2日目 | 1980年12月29日 | ||||||||
走行区間 | 修善寺町修善寺YH〜下田市げんすYH | ||||||||
走行距離 | 100km | ||||||||
走破市町村 | 7(伊豆長岡,沼津,戸田,土肥,賀茂,西伊豆,松崎) | ||||||||
累計数 | 457 | ||||||||
YHから狩野川放水路に沿って駿河湾に出る。僅かに走った大瀬崎で打合せ不足から先行していた私とI藤が岬に降りたのに対してS井は上から見下ろしたままで県道を直進したのでこの日の団体行動はここで終了。携帯の無い時代の苦労である。井田、戸田と港毎に上り下りを繰り返す海岸沿いの山道を、下りでもこがねば進まない向かい風と戦い強風で舞い上がった塩を被りながらながら松崎までひたすら南下。S井はここからも海岸沿いの彫刻ラインを進んだようだが私たちは蛇石峠越えを選ぶとこれが風が無く快適。日の暮れたげんすYHで再会したら温泉で慰労し合い、民宿のような落ち着いた部屋でゆっくりと就寝する。 | |||||||||
3日目 | 1980年12月30日 | ||||||||
走行区間 | 下田市げんすYH〜伊東市伊東YH | ||||||||
走行距離 | 112km | ||||||||
走破市町村 | 1(中伊豆) | ||||||||
累計数 | 458 | ||||||||
爪木崎の夜明けを見たくて午前5時に出発した努力も報われる綺麗な日の出と美しい水仙の広がり。おまけに無風!これで今日は日のあるうちに宿に着けるかなと思っていたが2日間の無理がたたり天城峠への上りでペースダウン。 河津七滝を見学しながら辿り着いた旧峠は雪が圧雪された氷結路に成っている。下りで転ぶこと数回。それがまた楽しかったりもする。しかし時間を費やしたので修善寺まで下ったら日没になってしまう。中伊豆町を経由し冷川トンネル有料道路を越えて伊東に付いたのは夜であった。YHのボリューム有る夕食に満足し、狭い貧弱な温泉風呂に不平を漏らし3日目の夜を迎える。 |
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4日目 | 1980年12月31日 | ||||||||
走行区間 | 伊東市伊東YH〜伊勢原市大山(徹夜) | ||||||||
走行距離 | 100km | ||||||||
走破市町村 | 0 | ||||||||
累計数 | 458 | ||||||||
基本的に団体行動をしない我々は、各々の行きたいところに行けばよい、と言うことでソロ走行日。私は湯河原から大観山まで上り、前回の伊豆編と同様に元箱根から旧道を駆け下りるコースを選ぶが途中の畑宿等で観光していくのが前回との違いである。小田原を抜け国府津から秦野に入り、午後6時5分前に集合地点の小田急伊勢原駅到着。 駅に着いてみると既にS井が到着しており、途中で前の乗用車が急停車したのに追突したとかでフレームを曲げているが怪我がないのでほっとする。I藤は20分ほど遅刻して到着する。大晦日の町中で時間をつぶした後、夜10時より大山寺へ。除夜の鐘を聞いた後は山頂を目指す。今夜は徹夜である。 |
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5日目 | 1981年1月1日 | ||||||||
走行区間 | 伊勢原市大山(徹夜)〜自宅 | ||||||||
走行距離 | 100km | ||||||||
走破市町村 | 0 | ||||||||
累計数 | 458 | ||||||||
雪の残る登山道を大勢の登山者とともに登り午前3時前には丹沢山系大山(伯耆大山と区別するため相模大山とも表す)の山頂に到着する。関東平野を一望する最高級の夜景に感動しつつも、走行重視の軽装なので夜明けまでの4時間に及ぶ寒さとの戦いが厳しい。もちろんそれに見合う素晴らしい1981年の日の出を味わえば何度でも来たくなる山になる。 多くの人が踏みしめて登った雪の登山道はつるつるに磨かれ下山では危険な道となり人も多く自由に進めないうちに私がはぐれる。寺で少し待つも会えないの自転車置き場まで行けば既に2人の姿は無し。2日目のS井の立場に今度は私が成ったわけだ。仕方ないので帰りに鎌倉鶴ヶ岡八幡宮で初詣しようと行ってみると偶然の再会でほっと安堵。帰り道が眠く、船の中では爆眠したことは言うまでもない。(次は袋田編) |
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