No.21 多摩編      日本を走る ←No20丹沢編No22湖南編→
旅行期間 1980年11月2日〜1980年11月3日 旅行日数:2日間
総走行距離 308km
走破市町村 19
同行者 S井・I藤 使用自転車:OP
総費用 およそ2000円程度 当時の年齢:16歳(高校2年)
初日 1980年11月2日
走行区間 自宅〜奥多摩町太子堂
走行距離 188km
走破市町村 9(保谷,田無,小平,東久留米,清瀬,東村山,東大和,羽村,奥多摩)
累計数 434
 北陸編丹沢編で自転車に無理をさせたことともあるが、毎日往復21kmの通学でガタが来ているミヤタのルマンは通学に専念させ、ツーリング用に新たにフジのオリンピックを購入した。今回はそのファーストランである。
 今回はフェリーではなくナイトランで新宿の夜明けを狙った。快晴の中、ビルを染めて朝日が昇る。頭の中には復活したかぐや姫の「おはようおやすみ日曜日」がリフレインする。
 ♪あの高速道路の陰に朝日が昇るまでに君を遠い田舎の町まで連れていってあげよう〜
 青梅街道で進みながら多摩湖、羽村の堰などに立ち寄りながら奥多摩に。日原鍾乳洞に入り、小河内ダム(奥多摩湖)の湖面まで登ったら既に日没。おまけに急激に交通量も減る。寝場所は湖面に沈んだ寺を移設した小留浦の太子堂を選び、仏像に見つめられる中で3人寄り添って午後6時に寝た。
2日目 1980年11月3日
走行区間 奥多摩町太子堂〜自宅
走行距離 120km
走破市町村 10(檜原,五日市,日の出,秋川,福生,国分寺,小金井,武蔵野,三鷹,調布)
累計数 444
 寝たのも早いから起きるのも早い。夜明け前に出発し、奥多摩有料道路で檜原に越える。標高1,147mになる頂上の近くで夜明けを迎え、南西を見ると富士も綺麗である。頂上からは秋川に沿ってダウンヒルし、武蔵野郷土館や深大寺を経て稲城から多摩川サイクリングロードで川崎浮島のフェリー乗り場に午後4時半に到着。しかし波浪のためフェリーが欠航中である。
 ここから陸走すると100km5時間の戦いか・・・どうするか3人で相談する。結論は今日船が出なければ此処で泊まり明日の船を待つ事になった。野宿慣れしていると気楽である。結局船は7時に再開し、無事木更津に帰り着いたので夜の中之島大橋で無事を祝う。
 なお、この旅で東京都は伊豆諸島以外の走破を終了した、(次は湖南編