No.31 志賀編      日本を走る ←No30北海編No32府中編→
旅行期間 1982年10月10日〜1982年10月11日 旅行日数:2日間
総走行距離 290km
走破市町村 15
同行者 No村 使用自転車:OP
総費用 6,115円 当時の年齢:18歳(大学1年)
初日 1982年10月10日
走行区間 前橋市赤城荘〜須坂市市神神社
走行距離 142km
走破市町村 6(六合,草津,高山,山之内,中野,須坂)
累計数 980
 群馬大は7月中旬から8月末まで夏休みを行い、9月当初から若干の講義を行った後に前期テストを実施するシステムになっていた。そのため10月上旬に採点休みのような形で1週間の秋休みが出来る。もちろん旅に行かずにいられない。
 秋だから紅葉を求め、志賀草津道路に出かけた。同行は同じ下宿のNo村君。レーサーに乗っている事もあり、ツーリング車の私より快適に走る。コースは中之条までは佐久編と同じで、そこから暮坂峠(1,086m)を越える旧道に入る。唐松の美しい峠を越えて白砂川の谷間にある六合村役場横を抜け、再度きつい上り坂に取り掛かる。草津を越え志賀草津有料に入り、標高2,172mの渋峠へ登るのであるから、この前に暮坂峠を越えているのがダメージとして大きい。気力を振り絞るように何とか渋峠をクリアすれば後は中野まで下り、温泉に入ってから酒などを購入し、寝所を探し神社の欄干に泊まる。2人でウィスキーを飲んで寝袋に収まった。
 なお、渋峠は現在に至るも私の国内最高所記録である。なお、海外では琉球編の台湾で武嶺の3,275mという記録を打ち立てている。
2日目 1982年10月11日
走行区間 須坂市市神神社〜前橋市赤城荘
走行距離 148km
走破市町村 9(更埴,戸倉,坂城,上山田,上田,東部,丸子,北御牧,小諸)
累計数 989
 朝早くに目覚めるが昨日の行程がきつく身体が痛み、結局朝8時まで休息を続ける事になる。起床後は松代の城下町を見学し、屋代で18号に出たら上田、小諸と通過する。この6年後には上田を生活圏にする事なんて、当然考えられるはずもなかった。
 天気も下り坂なので上田城や小諸城も観光もせずに走り続けたが、旧軽井沢に着く頃に雨が降り始める。旧軽銀座で赤城荘の友人に土産を購入して、濡れた碓氷峠旧道を駆け下る。冷たさで指の感覚が薄くなり、ブレーキ操作に神経を集中させる。安中からは国道をはなれ県道で近道をして旅は終了した。(次は府中編