No.35 多野編      日本を走る ←No34水上編No36栃木編→
旅行期間 1983年5月3日〜1983年5月4日 旅行日数:2日間
総走行距離 319km
走破市町村 17
同行者 無し 使用自転車:OP
総費用 3,161円 当時の年齢:19歳(大学2年)
初日 1983年5月3日
走行区間 桐生市塚本家〜児玉町長楽寺
走行距離 163km
走破市町村 7(南牧,上野,中里,万場,鬼石,神泉,児玉)
累計数 1,022
 群馬県多野郡と聞いてピンと来る人は少ないと思うが、秩父との境界にそった谷間の地域である。この2年後に日航機が墜落した御巣鷹山の有る辺りと言った方が理解しやすいだろう。桐生に移って最初の旅はそんな地域への旅である。
 この頃は流体力学の偏微分方程式や凍土の講義に対し、それを学ぶことが自分自身にとって役に立つのか、実社会で通用するのかと疑問を抱き、学習意欲の低下していた。それだけでなく女学生が多い荒牧を離れたことで生活力までもが低下している頃で、軽い鬱状況だったと思う。だから旅も長距離をガンガン責めるという気にもならず、GWだから走らねば、という義務感で出発するような状況になった。その結果が朝9時半の出発という気力のなさである。
 桐生を出て伊勢崎から富岡を経て下仁田に至り、塩沢峠を越えた後は不二洞という鍾乳洞に入る。上野村からは神流川に沿って下り、鬼石から埼玉県に入ったところで日が暮れて夜道の走行になる。児玉町のお寺に寝所を借りてこの日の走行は終わった。
2日目 1983年5月4日
走行区間 児玉町長楽寺〜桐生市塚本家
走行距離 156km
走破市町村 10(吉田,小鹿野,両神,東秩父,鳩山,坂戸,鶴ヶ島,滑川,江南,川本)
累計数 1,032
 児玉から吉田、小鹿野と秩父の深いところを回り、三峰口の秩父偏の軌跡に一致したらその時と同じように140号を秩父市街へ向かう。秩父の東側で昔の旅と別れ金昌寺の参拝を済ませて定峰峠に登り新緑のグリーンラインを走る。あまりの暑さに早めに切り上げたくなり、鳩山に降りて埼玉県下の市町村の未走破を幾つか走り抜いた後、午後3時半に桐生の下宿に帰り着いてしまい、日も高いうちから焼酎をあおり早寝をしてしまった。
 なお、こんな堕落した旅でも、それを終えたら残る群馬県は東村邑楽町、千代田村の3箇所に絞られたのだった。(次は栃木編