No.37 羽越編      日本を走る ←No36栃木編No38飛騨編→
旅行期間 1983年7月25日〜1983年8月2日 旅行日数:9日間
総走行距離 950km
走破市町村 82
同行者 無し(函館で一部Y永) 使用自転車:OP
総費用 23,838円 当時の年齢:19歳(大学2年)








初日 1983年7月25日
移動区間 桐生市塚本家〜八戸市八戸駅(輪行のみ)
2日目 1983年7月26日
輪行区間 桐生→木更津→運河駅→八戸駅→函館駅(4日間の集計)
走行区間 函館駅〜函館市青雲荘
走行距離 9km
走破市町村 0
累計数 1,046
3日目 1983年7月27日
走行区間 函館市青雲荘起点日帰り
走行距離 30km
走破市町村 0
累計数 1,046
 大学2年の専門課程に進み、学ぶことの意義や今後の生き方について突き当たり悩む中で、夏だから気分転換に旅に出ようと、青春18切符を手に入れた。
 「初日」を正確に記載すると7月20日に自宅から借りてきた車に桐生で輪行袋を積み込んで、高校時代の友人が栃木県内での事故で自治医大に入院していたものを見舞いながら帰宅する。7月24日には姉ヶ崎駅から普通の切符で船橋に出て東武野田線運河駅近くに住むF原の下宿に転がり込む。25日に朝早い電車で柏まで出て、そこから常磐線・東北本線と全力で乗り継ぎ青春18切符の全力を使って八戸駅までたどり着いてホームで寝袋を敷き就寝する。ここまで全く走行は無し。だから3日間に渡る移動を「初日」に一括りにした。

 26日は下り始発列車で青森を経由し、大勢の観光客と伴に青函連絡船に乗り込む。昨年の北海偏ではここで50円しかなかった事などを思い出しながら函館に到着し自転車を組みY永邸に向かい前夜の寝不足を取り返すように昼寝をする。この夜には私の要望で居酒屋に行き、イカソーメン等に舌鼓を打つ。函館山にはガスが掛かりこの日も昨年に引き続き夜景は見えなかった。

 27日は自転車の機動力を生かした函館観光の日。トラピスチヌ修道院や立待岬、教会や坂道の風景を味わう。Y永はスクーターで同行してくれる。それでもモチベーションが高まらず、例えば江差方面や札幌方面まで旅行へ行こうという気がしてこない。のんびりとした、言い方を変えればダラダラした時間を過ごしてしまう。そしてこの日も函館山にガスがかかっていた。
4日目 1983年7月28日
走行区間 函館市青雲荘起点日帰り
走行距離 130km
走破市町村 6(戸井,恵山,椴法華,南茅部,鹿野,砂原)
累計数 1,052
5日目 1983年7月29日
走行区間 函館市青雲荘〜函館野辺地航路
走行距離 10km
走破市町村 0
累計数 1,052
 28日になると北海道を殆ど走らずに帰るのもどうかと思い、渡島半島の先端部分を軽く流す事を決める。恵山も駒ヶ岳も雲の中で見えない。水無浜温泉の情報も聞いていなかったので知らずに過ごすという残念な旅となる。寂しい海岸沿いを八雲まで走り、大沼を経て帰るだけで130kmだ。北海道の大きさを改めて実感する。もちろんこの日も函館山は曇っている。仕方ないので部屋でウイスキーを飲んでY永に愚痴を聞いて貰いながら過ごす。Y永邸に泊まった最後の夜であった。

 29日は朝からY永が大学で用事ということなので下宿を出て函館西武で行われていた古本市に行き、小説を何冊か買い、五稜郭の石垣の上に横になり、北国の青空の下で優雅に長時間の読書と洒落込む。走行意欲は起きないが北海道はこの日までと決める。函館山には薄いガスが掛かってるだけだったので夜景を見に登山。下山後Y永と安くて大きい寿司を食べ、東日本フェリーターミナルへ。癒しの函館を後に野辺地向けの夜行船に乗るのだった。、
6日目 1983年7月30日
走行区間 函館野辺地航路〜田沢湖町田沢湖駅
走行距離 215km
走破市町村 17(天間林,七戸,上北,五戸,倉石,福地,名川,南部,三戸,二戸,一戸,岩手,玉山,滝沢,盛岡,雫石,田沢湖)
累計数 1,069
 朝4時に野辺地港に到着。薄暗いがライトを点けるほどでもないので、そのまま4号線を南下し始める。岩手町あたりで時計を落として紛失し、滝沢村では雨の中でパンクするなど、気も乗らずに走っていると運までも悪くなってくる。
 雨の上がった盛岡に着くと観光フェアの最中と言うことで3箇所以上のスタンプポイントを回ると手形や馬形を貰えると言うので自転車の機動力を利用して直ぐにスタンプを揃えて帰ってきて引き替えを行う。
 盛岡から奥羽山脈に入っていくと天候がまた悪くなってくる。小岩井で牧場の牛を眺め、県境を抜けて田沢湖駅に到着する頃には日も暮れる。この日は14時間ぐらい行動しているので流石に疲れ、早めに眠たくなった。しかし駅の中は出入りの人で騒がしいため、屋根付きの自転車置き場の片隅で横になる。
7日目 1983年7月31日
走行区間 田沢湖町田沢湖駅〜藤島町駅前旅館
走行距離 195km
走破市町村 20(西木,角館,中仙,太田,仙北,千畑,六郷,大曲,仙南,大雄,横手,平鹿,十文字,増田,湯沢,雄勝,真室川,金山,鮭川,藤島)
累計数 1,089
 朝から雨である。それでも合羽を着て走り始め秋田観光を行う。雨の中でも田沢湖の水の綺麗さや、角館の町並みの美しさは解るのだがどうにも気分が高揚して来ない。千畑から六郷を経て横手に至る頃には雨足が強くなり、土砂降りの雨を横手駅にてやり過ごし、小雨になったところで走行を再会する。
 雄勝峠を越えて山形県に入り、北海編と同じように最上川を見ながら陸羽西線に沿って海に向かう。朝から止まない雨で体中がふやけてしまいそうな気分なので、この日は野宿とはせず、藤島駅前の旅館に飛び込みで泊めて貰い、乾いた布団で寝ることにした。宿で布団に入りながら明日走る新潟平野に残っている小規模自治体を如何に効率よく走るかを様々にシュミレーションしているうちに疲れから眠ってしまった。
8日目 1983年8月1日
走行区間 藤島町駅前旅館〜川口町廃車置場
走行距離 245km
走破市町村 32(羽黒,三川,鶴岡,温海,山北,朝日,村上,神林,荒川,黒川,中条,加治川,新発田,聖篭,豊栄,豊浦,笹神,新津,潟東,白根,味方,月潟,中之口,加茂,三条,燕,栄,見附,中之島,長岡,小千谷,川口)
累計数 1,121
 今日もまた朝から時々小雨が混じる、どんよりとした天気である。特に観光をする意欲もないので地図に記載された自治体の境界線に注意を払い前夜のシュミレーションに従いながら、寄り道しながらの走破に専念する。そしてこの日の走破数である32市町村は1日の走破数として最高記録を残す事になる。
 行程の途中での特記事項もなく走り続け、連日の雨のため何処にも立ち寄らないので走行距離だけは伸びてくる。夜は上越線の駅でも、と考えていたが国道脇に置いてある廃車に誘われるように入って寝てしまう。
9日目 1983年8月2日
走行区間 川口町廃車置場〜桐生市塚本家
走行距離 165km
走破市町村 7(堀之内,小出,湯之谷,大和,六日,塩沢,湯沢)
累計数 1,128
 いよいよ桐生に帰るという日になって天気が回復する。冬はスキー場になる山の斜面の緑が鮮やかである。標高1,076mの三国峠の上りで日差しが強くなり暑さで体力を奪われかなり辛い。峠を越えて渋川から関東平野に出れば灼熱の大地が広がっている感じである。昨日までの雨続きも辛かったが真夏の日差しも楽ではない。脱水症状になりかけたままで桐生に帰り着き、達成感もなく、脱力感に覆われたまま今回の旅が終わったのであった。(次は飛騨編