No.38 飛騨編      日本を走る ←No37羽越編No39会津編→
旅行期間 1983年10月4日〜1983年10月8日 旅行日数:5日間
総走行距離 700km
走破市町村 49
同行者 無し 使用自転車:OP
総費用 17,943円 当時の年齢:19歳(大学2年)
写真無し 初日 1983年10月4日
走行区間 桐生市塚本家〜笠懸村岩宿駅
輪行区間 国鉄岩宿駅→直江津駅
走行距離 10km
走破市町村 0
累計数 1,128
志賀編で説明したように10月上旬は秋休みである。そこで直江津〜糸魚川間が未走行のため、直江津をスタートに決め、岩宿からの片道切符で旅を始める。とは言え、岩宿を出たのが夕方だったので直江津には夜遅くに到着し、この夜は駅のベンチで寝袋に入り宿泊する。
2日目 1983年10月5日
走行区間 上越市直江津駅〜城端町城端駅
走行距離 200km
走破市町村 16(名立,能生,上市,舟橋,立山,大山,大沢野,八尾,婦中,砥波,庄川,井波,福野,井口,福光,城端)
累計数 1,144
 前回の羽越編から引き続き義務的に旅に出たがどうにも気が乗らない。前日も朝早い列車に乗れば良い物をグズグズしているから直江津泊となってしまい、実質的な走行開始は2日目になる。
 しかし天気は朝から秋の爽やかな陽気である。日本海が青く、北アルプスの北端に繋がる山々も綺麗に見える。気分の良いまま北陸編と逆方向で親不知を越え滑川で8号線と離れ、日本で最も高低差がある称妙滝を目指す。が、山の天気と秋の空は変わりやすい物で立山駅まで走ったところで雨が降り始める。『昨年に赤城荘の友人達とドライブで来て見ているから今回は良いかな』と自分を納得させ直ぐ撤退。庄川を経て城端に至り、2日続けてのも駅寝となる。
3日目 1983年10月6日
走行区間 城端町城端駅〜萩原町上呂駅
走行距離 205km
走破市町村 13(平,上平,白川,荘川,高鷲,白鳥,大和,八幡,和良,金山,白川,下呂,萩原)
累計数 1,157
 昨夜の雨は朝には上がっていたが立山の初冠雪を迎えるほど冷え込みがきつい日であった。平村との間にある細尾峠に登ると入口が綺麗に完成しているトンネルが有るが「工事中通行止め」との表示。バリケードに隙間があるし工事開始前の時間でもあり『自転車なら重機が置いてあっても通り抜けられるだろう』と暗いトンネルに突入。北半分こそ舗装してあったが南側は路盤工事中で段差はあるは水路が積んであるはで危険な状況。その時は無事通り抜けたが今は工事関係者として忠告する立場になった。『工事中の所には入らないで下さい!決して自己責任ではありません!何かあると関係者が管理責任を問われ迷惑です.』
 現在は世界遺産に指定された五箇山や白川郷に感動もしたが越飛七橋という国道の橋梁群に技術者の心を満足させられ、さらに御母衣ダムより仰ぎ見る白山連峰の景観や秋の空気の中で自分との会話を行う中で、精神の復活を感じた。
 飛騨から美濃に入り、郡上八幡まで下ると今度は堀越峠を越えて金山に至り41号線で再度北上。下呂路温泉を抜けた上呂駅で今晩も駅寝である。
4日目 1983年10月7日
走行区間 萩原町上呂駅〜安曇村乗鞍高原YH
走行距離 125km
走破市町村 7(小坂,久々野,宮,高山,丹生川,上宝,安積)
累計数 1,164
 寒さで早めに目を覚ます。駅の温度計は4度を示していた。寒くて眠れないのなら仕方ないと、早めに出発して41号線を北上し、高山の朝市を目指す。ここから北アルプス越えに入る。天候は薄曇りで気温が上がらない。上りで体が温まるから暑いよりは良いが指先とかが寒さで痺れてくる。一度平湯に軽く下ってから安房峠への綴れ折りの山道は、狭く急だが紅葉が美しく登りもまた楽しい。
 標高1,790mのピークを越えて下れば中ノ湯で上高地への分岐となる。S井が高校3年の時に自転車で行ってとても良かったと話をしているのでずっと気になっていたところである。
 釜トンネルの急登を再度過ぎれば大正池の美しい景観が広がる。多少雲が架かっているが梓川の水は清く、河童橋まで天上の世界を充分に楽しむ。その後再度ダウンヒルを大川渡まで行い、国道を離れて本日何回目かの上りを終えれば今夜の宿である乗鞍高原YHに到着する。
5日目 1983年10月8日
走行区間 安曇村乗鞍高原YH〜桐生市塚本家(輪行1回含む)
輪行区間 軽井沢バイパス入口〜桐生市国道50号バイパス
走行距離 160km
走破市町村 13(奈川,波田,梓川,三郷,堀金,池田,四賀,本城,坂北,麻積,坂井,青木,真田)
累計数 1,177
 今日は乗鞍ヒルクライムを行い山頂を目指すつもりだったが雨のため中止。堀金から明科を抜け、篠ノ井線沿いに東へ進む。修那羅峠を越えて青木村におり別所観光。この温泉の入浴料が当時30円と安い事も知らず入浴しなかった。まして上田時代の銭湯代わりに成ることなど知る由もない。
 上田から千曲川の対岸に渡り神川に沿って真田町に入ってから菅平有料で御代田にでる。軽井沢を過ぎるとまた小雨が降り始める。軽井沢バイパスに進むと栃木ナンバーの2tトラックが空荷で信号待ちしていた。足利方面に行くなら乗せていただけませんか、と頼んで交渉が成立する。こうして、今までは往路も復路も自力で走るのが当然と思っていたが、今回の旅では往路が国鉄、復路がトラックという往復の走行を省略する旅の第1号になった。(次は会津編