No.39 会津編      日本を走る ←No38飛騨編No40木曽編→
旅行期間 1984年5月3日〜1984年5月6日 旅行日数:4日間
総走行距離 579km
走破市町村 20
同行者 W辺(ただし原付:MT50) 使用自転車:OP
総費用 11,300円 当時の年齢:20歳(大学3年)
初日 1984年5月3日
走行区間 桐生市塚本家〜那須町那須高原YH
走行距離 177km
走破市町村 4(河内,上河内,塩谷,塩原)
累計数 1,181
 昨年の飛騨編が心の復活を果たしたのと同じ頃、2年の前期試験結果が帰ってきて思いの外評価が高かった。これで少し憂鬱だった大学生活も気が楽になり、そのまま一冬を越した。年度末にあった後期試験も悪くなく、無事3年に進級する。GWには気楽に旅が出来そうだ、と旅を計画していると飲み仲間のW辺が俺もバイクで参加させてくれと言う。こうして原付と自転車という組合せのツーリングが始まった。(この頃50ccはヘルメットしなくても違反では有りません。参考までに)
 初日は朝6時に出発する。忘れ物をしたW辺が一旦下宿に帰りおよそ30分遅れで追いかけたが追いつくのが50kmも進んだ栃木市に入った頃というほど速度差は顕著では無かった。この日の行程では塩原町を走るために渓谷を走るという寄り道があるが、殆どを走行時間に費やしたので3時にYHに着いてしまった。
 あまり早い到着なので名物の「鹿の湯」で汗を流し、同宿の人たちのうち明日の那須岳登山を考えている人達と打ち合わせをしたりする。
2日目 1984年5月4日
走行区間 那須町那須高原YH〜北塩原村裏磐梯YH
走行距離 126km
走破市町村 5(大信,天栄,長沼,岩瀬,北塩原)
累計数 1,186
 仙台から来ていた青年のアコードに同乗し、有料道路を通って登山口まで到着。他に藤沢から来ている青年と合わせて4人で登山開始。昨年の58豪雪の残雪が非常に多い。その上、峠に近付けば立っていられないほどの風が吹いている。足元はスニーカーというハイキングスタイルなので稜線沿いに山頂を目指すことは不可能であると判断し峠の茶屋で撤退する。
 アコードで一度YHに帰り、ペアレントさんが入れてくれた熱いお茶を飲んで冷えた身体が生き返った後、11時から自転車の旅が開始される。
 大沢を抜けて白河市に下り294号線で天栄まで走り、そこから県道で岩瀬村に至る。そこから諏訪峠を越えて猪苗代湖畔に降りようと考えていたがまだ冬季通行止めが続いているので白方から長沼に戻り勢至堂峠を越える。
 猪苗代湖畔に降りたら強風で三角波が立っていた。もちろん自転車も風に奔走され続ける。ただ北陸編でも北海編でも見られなかった磐梯山が雪を被り、くっきりと見える事が嬉しい。
 猪苗代湖を半時計回りに進み、街中から115号線を経由して裏磐梯YHに到着。同宿の東京から来たOL2人と仲良くなり、夕食を4人で食べながら明日の行程を決める。
3日目 1984年5月5日
走行区間 北塩原村裏磐梯YH〜田島町糸沢駅
走行距離 137km
走破市町村 9(熱塩加納,塩川,磐梯,北会津,新鶴,会津高田,本郷,下郷,田島)
累計数 1,195
 朝食前の時間を使い、女の子達と4人で五色沼周辺を散歩。昨日の風が嘘のように収まり、日本離れした景色が展開する。朝食をともに食べ、バスで来ている2人に鶴ヶ城での再会を約束し出発。檜原湖の道には残雪が沢山残り、北塩原村に降りる道路の正面には真っ白な飯豊山脈。道端には梅の花。GWと言うよりは早春の旅をしているような気分で喜多方街に入る。朝食直後なのでラーメンを食べる気分には成らないので、W辺の提案で今日の端午の節句に合わせ柏餅や串団子を購入し会津若松に向かう。
 城は桜満開。待ち合わせの正午に彼女らは不在で、代わりに同宿だったライダー一人だけが着いている。仕方なく城見学を終えて自転車置き場に帰ると2人が待っていたので、みんなで和菓子と振舞酒で花見をのんびりと行う。そうしていると3時になってしまったので近いうちに関東での再会を誓って名残惜しく出発。後は今夜の野宿打ち上げ用の酒を買うだけである。会津若松市内の酒屋でも良いのだがどうせなら造り酒屋を訪ねて入手したい。手持ちの地図を見ると会津高田町が古くからの集積が有る気配を漂わせている(神社や寺記号の配置、道の配置や地形などによる総合的な判断=感)。少し回り道になるが向かってみる。
 高田で出会ったのは白井酒造店の萬代芳という酒。祭日だが酒蔵見学をさせていただき、試飲もさせてもらう。W辺はバイクだから少し、私は自転車だから多めに飲んでみるとなかなか美味い。文句無く4合瓶を2本購入しバイクで運んでもらう。ちなみに、萬代芳は2級酒でも美味かったので、その後車で何度か買い出しに行った。卒業後、数年経って訪れると味がかなり変わっており、その後訪ねていないが最近はどの様な味の酒を造っているのだろうか。
 夕暮れの121号線を南下し、会津線の終点の一つ手前になる糸沢駅に到着、寝袋の準備をしてから宴会の開始である。大分盛り上がって来たところで警察官がパトカーで訪れる。駅寝初体験のW辺はビビリ緊張するが「旅行の途中で今晩1泊します。2人ともタバコは吸いませんから火の心配はありません。綺麗に片づけて出ていきます」と私が慣れた感じで答えると警察官も「お気をつけて」と出ていく。W辺は旅の自由さの虜になってはじけてしまったようだ。
4日目 1984年5月6日
走行区間 田島町糸沢駅〜桐生市塚本家
走行距離 139km
走破市町村 2(藤原,栗山)
累計数 1,197
 朝6時に起床。今日もとても天気が良い。山王峠越えも気持ちが弾む。空気は爽やかで若葉が清々しい。足取りも軽く南下を続ける。今市まで南下したら日光方面に向かう。今市に入ったところでW辺は「先に帰ってお茶でも入れておくから」と先行する。ここからは緩い上り坂なのでエンジン付きにはまるで敵わない。
 日光を過ぎ、日足峠を越え渡良瀬川に沿った122号線を栃木偏の逆に進む。足尾を過ぎると気温はどんどん上がり、日差しは容赦なく照りつける。午後2時半に下宿に着くと両腕が真っ赤に日焼けしている。銭湯でも湯に浸けられないし、2日後には皮がむけたほどだった。(次は木曽編